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夢のあと  作者: 緋桜
第一章
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E.C.1009.07-1


冒頭より遡ること約十年。

レオンハルト十歳の頃のお話です。


 太陽の雫、流星の欠片、女神の愛し児。


 そのように称されるほど、ジュエリアル帝国第二皇子、レオンハルト=ランス=ジュエリアルは美しかった。


 太陽の光を細くより合わせてこしらえたような金糸の髪、それと同色の扇形のまつげ、すらりとつり上がった知的そうな眉、なめらかな白皙の肌、咲き初めの薔薇のような頬、澄み切った夏空のように蒼い眸。

 何より、太陽の女神と謳われるほどの美女であった母親譲りの美貌。

 成長とともにその美しさは磨かれ、皇族の象徴であり義務とも言える秀でた容姿を持つ兄弟の中でもひときわ目を引いた。


 しかしレオンハルトは、そのようなものには興味は無かった。

 自らの美しさも、惜しみなく注がれる叙事詩のような賛美の言葉も、自分をとりまくすべてのものがつまらなく、くだらないと思えて仕方なかった。

 最高級の血統を持ち最高級の教育を受け最高級の環境を与えられながら、すべてが退屈で仕方なかった。


 弱冠十歳にして、レオンハルトは人生というものに退屈していた。


「人生とは本当につまらないようにできているね。そうは思わないかい、ステラ」


 花瓶に活けられた純白の薔薇を手折りながら、レオンハルトは傍に控える侍女頭のステラへと問いを投げかける。

 ステラは黙ったまま、濃い灰色のまつげをそっと伏せた。

 それを同意の証と受け取ったレオンハルトもまた、黙ったままふいとステラから視線を外す。


 ステラの無言の反応も、レオンハルトにとっては予想の範疇だった。

 もっとも、彼女の「返事」が同意であっても反論であっても、どちらでも構わなかった。問う口ぶりは同意を求めているようでその実、彼は侍女頭の答えなどどうでもよかった。

 自らが手折った薔薇の行く末も、レオンハルトにとっては取るに足らないこと。

 ここには、大切なものなんて何も無い。


「畏れながら殿下!」

「!?」


 レオンハルトが手持ち無沙汰に手折った薔薇をもてあそんでいると、音を立てて唐突に扉が開かれ、その音に驚いてレオンハルトは思わず手にした薔薇を落とす。

 しかし入ってきた男が誰なのか認識した瞬間、その愛らしい顔を露骨に歪めた。


「……いきなり何だ、ジャン」

「殿下は御年十であらせられるといいますのに、まるで枯れてしまわれた老爺(ジジイ)のようなことをおっしゃるのですね」

「……突然入ってきてそれか、無礼にもほどがあるぞ。口を慎め、ジャン=アトリー。

 というかお前、また扉の前で立ち聞きしていたのか」

「天使の歌声のように美しく小鳥のさえずりの如く愛らしき我が君の声、一言とて私が聞き逃すわけが御座いましょうか」

「……」


 答えになっていない答えを自信満々に言い放つこの男は、レオンハルトの教育係にして、唯一ノック無しに主の部屋に入ることが許されている従者だった。


 皇帝の子女は、五歳になると専属の教育係をつけられる。

 城の中に出入りを許された高位貴族の中から学識、武術、芸術、容姿において特に優れた者が選出され、十五の祝いを迎えるその日まで、学問から礼儀作法まですべての教育をつきっきりで施す。

 そうした慣例に則り、並みいる有力貴族の中から選ばれたのがこの男、アトリー伯爵家の次男坊ジャン=アトリーだ。


 ジャンとの付き合いはもう五年になるが、この男の存在もまた、レオンハルトにとっての「思い通りにならないこと」の一つだった。

 臣下の身でありながら教育係りの特権「皇子を指導する」という名目でレオンハルトに進言できる立場であるのをいいことに、レオンハルトに対しやりたい放題だ。

 歯の浮くような賛辞の言葉を並べ立ててレオンハルトを苛立たせたり、言葉尻を捕らえて揚げ足をとってはレオンハルトをおちょくったりするのは日常茶飯事で、「教育係」としての能力は優秀なのかもしれないが、人格に関しては著しく「難有り」だ。


 しかし今のように聞く者が聞けば――というか誰が聞いても立派な不敬罪に当たりかねない暴言を吐かれても、レオンハルトは空色の眸で睨めつけるだけでそれ以上の咎めを下すことはない。

 「寛大」なのではない。レオンハルトの一存でこの男を解雇(クビ)にすることなどできないのだ。

 教育係の選任は生母たる皇妃、或いは後見人に一任されており、その者が「不適」と判断しないかぎり、教育係はその任を解かれることはない。

 そういった事情も、この男をつけあがらせている要因となっているのかもしれない。


 あらゆる才と美貌に恵まれた第二皇子。

 しかしその実、レオンハルトの思い通りになることなど一つとしてなかった。


 清くあれ、賢くあれ、正しい道へと民を導き、祝福の地へと誘わん。

 それが皇族として生まれた者の宿命であり、使命だった。そのことに、不満を言うつもりはない。

 どうにもならないことを嘆いたり、自らに課せられた使命を放棄したりするほど、レオンハルトは愚かではない。

 だからこそ、退屈な日々を憂えてみせるのも単なる退屈凌ぎでしかなった。


 もっとも、そんなことでこの身に降りかかる退屈を凌げたことなど一度もないのだけれど。


 そんなレオンハルトの境遇も心境も熟知したうえで、教育係は爽やかに微笑む。


「さぁ、殿下。悲劇のヒロインごっこはそれくらいになさって、本日の殿下の御予定を申しあげますよ」

「……誰がヒロインだ」

「まず午前中は昨日の政治学の続きです。

 午後からは乗馬の御稽古をしていただきまして、十五の刻から十六の刻まで第三皇妃殿下とティータイムです。

 その後は剣術、弓術の鍛錬と続きまして、夕食の後は数学、史学、貿易学を学んでいただきますので、そのおつもりで」

「……ちょっと待て、ジャン」

「ハイ?」

「いつもより過密(ハード)じゃないか?」

「そうですか?」

「そうですかって……明らかにいつもよりタイトだろう。

 大体昨日は剣術の稽古をするなどとは言っていなかったはずだ。

 それに妃殿下とお茶会も……」

「何を仰いますか。それもこれも、殿下のためなのですよ。あまり我儘をおっしゃって私を困らせないでください」

「わが……」


 主の反論を鮮やかに却下し、ジャンはいけしゃあしゃあとのたまう。とんだ面の皮の厚さだ。


 一方、至極全うな反論、というよりもむしろ純粋な質問を「我儘」と称されたレオンハルトは、言葉を失う。

 そんな主の様子に気付きながら、ジャンはレオンハルトに追い討ちをかけるようににこやかに続ける。


「今日も今日とて殿下は御機嫌斜めでいらっしゃいますね。そのようにふてくされていては、折角の麗しの御尊顔が台無しにございますよ」

「……先程も言ったはずだが、ジャン=アトリー。口を慎め」

「そんな殿下に朗報です」

「だか……」


 こちらの苛立ちなどまったく意に介さず自由奔放に話を進める教育係に思わず声を荒げようとしたレオンハルトの目の前に、白い封筒が出される。

 そこに書かれたサインは――。


「兄上から!?」


 兄の署名と花印の記された封筒を見て、レオンハルトは反射的にそれをジャンから奪い取る。

 封を開け、中から出てきた最高級の純白の羊皮でこしらえられた便箋に書かれていたのは、紛れもなく兄の字だ。


 レオンハルトの兄であり、皇帝の第一皇子にして第一帝位後継者――つまり皇太子であるアデルバートは現在、帝都から馬車で一日ほどのところに位置するセイレーヌという街で暮らしている。

 手紙の内容は、来月の頭からその離宮に避暑を兼ねて遊びに来ないかという誘いだった。


 読み進めていくうちに、レオンハルトは自分の頬が上気していくのがわかった。

 しかしそこに水を差す声もあった。


「ね、殿下。ご理解いただけましたか?」

「は?何がだ」

「来月から離宮にご滞在なさるので、カリキュラムを組み直したのです。座学はともかく、向こうで剣術の鍛錬はできませんでしょう?こちらにいらっしゃる間にみっちりとお稽古していただこうかと。

 それから離宮に行かれるのでしたら、第三妃殿下の許可が必要にございましょう?そのためのティータイムです。

 どうです、殿下。ご理解いただけましたか?」

「……お前のそういうお喋りなところが嫌いだ」

「そうですか。

 私は殿下の愛らしい御尊顔も我儘で尊大なところも頭のてっぺんから脚のつまさきまですべてが愛しくて堪りませんよ」

「……お前は本当に気色悪い」


 うんざりとした表情で言い捨てるレオンハルトとは対照的に、にっこりと満面の笑みを浮かべるジャンは、どこからどう見ても好青年なのだが、いかんせん気色悪い。身の毛がよだつ。どこか自慢げな表情も鼻につく。

 総合的に言うと、レオンハルトはジャンのことが苦手で仕方なかった。


「……もういいから、お前はちょっと退がっていろ」

「はい?」

「今から兄上にお返事を書く。書き終わったら呼ぶから、それまで隣の部屋で控えていろ」


 ぞんざいに言い放ち、レオンハルトはジャンに背を向ける。


 便箋とペンを用意するようステラに命じるレオンハルトの背に、ジャンは主が見ていないことを知りながら、満足げに微笑み、優雅に礼をとる。


仰せの(イエス・)のままに、(ユア・)我が君(ハイネス)


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