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夢のあと  作者: 緋桜
第三章
19/114

E.C.1019.06-2


 時間は戻って再びレオンハルト20歳の話の続きです。


 ジュエリアル帝国第一皇子にして皇太子であったアデルバート=セイルヴ=ジュエリアルの葬儀の翌月、第二皇子の立太子式が行われた。

 第一皇子の死からまだ一月と経っていないけれど、異を唱える者など誰もいなかった。

 それは政に携わる者はそのような情にかまけている暇など無い、ということを意味していたのかもしれない。

 ――或いは、亡き第一皇子は「傀儡皇子」と揶揄されていたとおり、本当にお飾りの皇太子でしかなかったということか。


 どちらにしろ確かなのは、アデルバートはもういないということだけだ。

 もう、兄には会えない。

 あの優しい声で名前を呼んでもらうことも、頬に柔らかなキスを落とされることも、温かな腕で抱きしめられることも、もう二度と叶わない。


 けれどレオンハルトには、それを嘆くことは許されない。兄の死を哀しむことも、涙を流すことさえも許されない。


 その理由は、皇太子という自らの立場ゆえのことだけではない。


 レオンハルトには、その資格が無いから。

 赦されることのない罪を背負うレオンハルトがアデルバートの死を悼むなど、ましてや安らかな夢路を願うなど、あまりにも大それている。



「……兄上」


 よろしいですか、とノックとともに、扉の外でキャロライナの声がした。


 侍女のメリエルに命じて扉を開けさせると、外には黒のドレスを纏ったキャロライナが立っていた。

 鮮やかな緋色の髪と白雪の肌は、闇を落としたような漆黒のドレスの色を更に際立たせる。


「どうかしたかい、キャリー」

「……お話があります、兄上」

「話?」

「えぇ……」


 レオンハルトの問いに頷きながら、キャロライナはチラリとメリエルに視線をやる。おそらく席を外せ、ということなのだろう。


「……メリエル」

「はい」


 名を呼ぶと、それだけで主の意図を察したメリエルは一礼し、部屋を出ていく。

 相変わらず、できた侍女だ。

 何も言わずともレオンハルトの言いたいことを理解してくれる。


 人払いが済むとレオンハルトは立ち上がり、キャロライナをティーテーブルへとエスコートした。


「何か飲むかい?」

「いいえ。結構です」

「そうか。それで、話というのは何かな?キャリー」

「明日の午後、国に帰ろうと思います」

「サフィーラに?」


 アデルバートの死後、葬儀が済んでもキャロライナは国に留まっていた。

 隣国の王太子妃として新皇太子の立太子式に出席するためという名目もあったのだろうが、実際には、彼女自身が離れたくなかったというのが本心だろう。

 最愛の兄、アデルバートが眠るこの地から。


 アデルバートが息を引きとると、キャロライナはクリスティーナを押しのけ、彼の亡骸にすがって大声で泣いた。

 弟妹や臣下の前だというのも関係なく、恥も外聞も捨てて泣き叫んだ。


 一つしか歳の違わない――ほとんど同い年の妹が泣くところなど、レオンハルトは初めて見た。

 一人祖国を離れて隣国へと嫁ぐときも気丈に振舞い、涙ひとつ見せなかったのに。

 それほどまでにキャロライナにとってアデルバートは特別な存在だったのだ。


 それでも。


「はい。いつまでも国を空けているわけにはまいりませんから」


 毅然と答えたキャロライナの顔はまぎれもなく「王太子妃」だった。

 キャロライナが隣国に嫁いでもうすぐ一年半。

 すっかり向こうの王家の人間としての自覚が芽生えたのだろう。

 もはや彼女が帰る場所はここではない。いつまでも兄恋しと哀しみにくれているわけにはいかないのだ。


 しかしこんなことが人払いをしてまで話したかったことであるはずがない。

 そんなレオンハルトの胸中をまなざしから察したのか、キャロライナはふいに視線を落とし、自嘲のような微笑を零した。

 それは彼女がこの城で暮らしていた頃には決して見せることはなかった表情だ。


 キャルライナは不器用に歪められた唇をそっと開いた。


「……ねぇ、兄上」

「うん?」

「覚えていらっしゃいますか?」

「何をだい?」

「昔、まだわたくしが十ほどの頃、あの御方……第六皇妃殿下の首飾りをお兄様の離宮の庭園で兄上が拾われたこと」

「……っ」


 思いもよらないキャロライナの言葉に、レオンハルトは思わず息を呑む。


 覚えているも何も、すべてはあそこから始まったのだ。

 もしもあのときレオンハルトがあの首飾りを拾わなければ。彼女がレオンハルトに向かって微笑まなければ。


 今頃はまったく別の結末が用意されていたはずだ。


 あの日のことは、きっと生涯消えることのない、レオンハルトの最大の後悔だった。


 しかしなぜあのときのことをキャロライナが知っているのか。

 また今頃になってどうしてこんな話を言い出したのか。

 レオンハルトが問うよりも先に、妹姫は更に続ける。


「どうしてあんなところに首飾りなんて落ちていたのか、兄上はご存知でして?」

「……なぜだい?」

「わたくしが窓から放り投げたからですわ」


 薔薇色の唇を三日月の形に歪め、キャロライナはいっそ楽しげに、何でもないことのように告げた。


「わたくしがあの御方の首からむしり取って、窓から放り投げました。それを兄上が拾われて、あの御方にお返しになられた。

 ……窓から見ていて、兄上は何と余計なことをなさるのかと思いましたわ」

「なぜ……そんなことを……」

「だって」


 キャロライナは、いっそう微笑む。

 笑っているのに、泣いているように見えた。


「だって……許せなかったんですもの。あの御方が、あの首飾りをつけていること。

 ……どうしても、許せませんでした」

「どうして……」


 レオンハルトの知るかぎり、キャロライナは清廉な少女だった。

 曲がったことが大嫌いで、秩序と公正を重んじる一種の潔癖とさえ映るその姿こそが彼女が「騎士姫」と呼ばれる所以のひとつでもあった。

 だからこそ、キャロライナ自身の口から語られる彼女らしからぬ理不尽さに、驚く。戸惑う。


 けれどそのようなこと吹き飛んでしまうほど、キャロライナは更なる衝撃の真実を告げた。


「あの首飾りが、お兄様から贈られたものだったからですわ」

「―――ッ」


 妹姫の言葉に、レオンハルトは耳を疑う。

 キャロライナが何を言っているのか理解できず、めまいすら覚えた。

 まさか、そんなはずはない。頭の中に浮かんだある恐ろしい考えを必死に打ち消す。


 けれど同時に、あぁ。やはりそうだったのか、と納得している自分もいた。


 諦念めいた気だるさに、レオンハルトは深く息を吐く。

 身体じゅうが熱に浮かされているようにも、指先までも凍えてしまっているようにも感じ、妙な気分だ。


「……兄上。兄上に会わせたい者がいるのですが、ここへお呼びしてもよろしいですか」

「……会わせたい者……?」

「お入りなさい、ブライトナー嬢」


 レオンハルトの動揺を知ってか知らずか、キャロライナは再びレオンハルトへと尋ねる。

 けれど今度は答えは待たず、扉の方――部屋の外へと向かって呼びかけた。


 そして入ってきた人物を見て、レオンハルトは目を丸くした。


「君は……」


 現れたのは、侍女服を身に纏った二十代半ばほどの女性。レオンハルトは彼女に見覚えがあった。


「セシル=ブライトナーと申します。……わたくしのことを、覚えておいでですか」


 そう言って真っ直ぐにレオンハルトを見つめるのは、今は亡き第六皇妃――アメジア王国の王女が祖国からたった一人連れて来た侍女だった。


「……お久しぶりです、侍女殿」

「覚えていてくださって光栄です。皇太子殿下」

「……今まで、どちらに?」

「我が主、ローズマリー妃殿下の御逝去ののちは御子君方付の侍女として、セイレーヌの離宮にてアデルバート皇子殿下の元、お世話になっておりました」

「……そうですか」


 冷静を装いながら、レオンハルトはどうしてキャロライナが彼女を呼びつけたのか考える。


 ――否、本当は、考えなくてもわかっていた。


 ただ、知りたくなかっただけ。

 認めるのが、怖かっただけ。


「……ブライトナー嬢。先日わたくしに話したことと同じことを、兄上にも話してさしあげなさい」


 ―――あぁ。


 どうして世界はこんなにも残酷なのだろう。


 塗り固められた嘘がまたひとつ剥がれ落ち、そして残酷な真実が浮かび上がる。


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