E.C.1010.08-7
レオンハルトたちが離宮に来て、一月が過ぎた。
その間、レオンハルトはローズマリーの姿を何度か見かけた。けれど見かけただけで、言葉を交わすことは無かった。
ジュエリアル城にいた頃同様基本的には自室に閉じこもっているローズマリーだが、時には庭園で本を読んでいたり、時には廊下を侍女とともに歩いていたりする。
黒曜石の髪とアメジストの瞳をした彼女は、どこにいてもよく目立った。
常に伏し目がちでありながらピンと背を伸ばして立つ姿は美しく気高く、どこにいても、すぐに見つけることができた。
けれどいつ見ても彼女は一貫して「人形姫」だった。
今日も昼間に庭園にいる彼女を見かけたときも、咲き誇る花を見ても心が動くことなどないのか、色鮮やかな薔薇をただ無感動に見つめていた。
笑わない、怒らない、嘆かない。表情を変えない美しきお人形。
そんなローズマリーの笑顔を見たのは、ただの一度だけ。
たった一度だけだからこそ、その瞬間が鮮やかなまでに脳裏に焼き付いて離れない。
気付いたら彼女のことばかりを考えている自分がいた。
どうして彼女はあのときレオンハルトに微笑んでくれたのか。
レオンハルトのことをどう思っているのか。
そんなことばかり考えた。
そうしているうちにあっという間に時は流れ、帝都へと戻る日が来た。
「では、気をつけて帰りなさい。父上や妃殿下によろしく伝えておくれ」
皇家の紋章を掲げた馬車の前、レオンハルトとキャロライナ、そしてウィリアムは長兄との別れの言葉を交わす。
今年は夏が終わっても、アデルバートは帝都には戻らない。ローズマリーとともに離宮に留まる。
ずるい、と思った。
それがどちらに向けた感情であるのかはわからない。
わからないことに、驚いた。
「はい。兄上もお身体にはお気を付けて。ご自愛くださいませ」
「ありがとう」
微笑み、アデルバートはレオンハルトの額にそっとキスをする。
キャロライナとウィリアムの額にも同様にくちづけ、最後に一度、レオンハルトの肩を撫でた。
「帝都をよろしく頼んだよ」
「はい」
頷きながら、レオンハルトは離宮の窓へとチラリと視線をやる。
庭園がよく見える日当たりのいい部屋。そこはローズマリーに与えられた部屋だった。
しかしその窓からローズマリーが顔を覗かせたことはない。
少なくとも、レオンハルトの知る限りは。
兄の育てた美しい花も、彼女にとっては意味の無いものなのだろうか。
そんなことを考えながら、不審に思われる前にレオンハルトは視線を窓から外す。
「では、失礼いたします兄上」
そう言ってレオンハルトは一礼し、弟妹とともに馬車へと乗り込む。
こうしてレオンハルトの十一歳の夏は終わった。
そしてその年が、レオンハルトがセイレーヌの離宮を訪れた最後の年だった。
第二章終了です。




