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夢のあと  作者: 緋桜
第二章
17/114

E.C.1010.08-5


 光の加減で金にも銀にも見える不思議な髪の色。太陽の届かぬ部屋の中では、少しくすんだ銀に見えた。


 アデルバートは生き写しといってもよいほど父によく似ているが、ふとした拍子に生母であるアンジェリカの面影が覗く。

 それはたとえば、今のように髪色が銀の色を保っているときとか。


 シルバーブロンドの髪と青い瞳をもち、皇帝と並んでも少しも見劣りしない美貌と怜悧な雰囲気から「氷華の女帝」の二つ名を有する正妃、アンジェリカ=セイルヴ=ジュエリアル。

 レオンハルトはそんな彼女と言葉を交わしたことは一度も無い。顔を合わせることも、式典などの公の場でのみだ。

 そういう場合レオンハルトはアデルバートの代理として出席するためアンジェリカとは皇帝を挟んだ反対側に座るのだが、彼女は常に前を向いていて、レオンハルトには目もくれない。


 嫌われているわけではない。ただ彼女にとってレオンハルトは気にかける必要などない存在。

 それだけのことだ。

 彼女が想うのは、国家の安寧と平穏だけ。


 「この身は陛下とこの国のためにある」。


 それが三代前の皇帝を曾祖父にもち神の血を引く一族にまつろう彼女の口癖であり、それを裏づけるように彼女は国のことを第一に考えた。

 それゆえ彼女はいつも夫たる皇帝に寄り添い、献身的に彼を支えた。

 そして皇帝もまた彼女を最も信頼のおける「忠臣」として常に傍に置いた。

 それは見る者が見れば、二人がまるで仲睦まじい夫婦のように映っていただろう。


 そんな皇帝の信頼を一身に受ける正妃アンジェリカが、この国の№2だ。

 発言力も決定権も影響力も皇帝に次いで強い。


 そのアンジェリカを母にもち、最高級の血統、後ろ盾に恵まれ、聡明で誠実、非の打ちどころの無いアデルバート。

 彼以上に皇太子――次期皇帝に相応しい者などいないと思っていた。彼が次代の「王」になると、何の疑いも無く信じていた。


 けれど自らの信じる「真実」が、「現実」ではないことを、レオンハルトは知ってしまった。



「御加減はいかがですか、兄上」

「あぁ……もう随分といいよ。心配をかけてすまなかったね」


 静かな声だった。

 声変わりを迎えていないレオンハルトよりも低く、父よりは高い、耳に心地よく響く声。


 風邪のため床についていたアデルバートはようやく熱が下がったようだが、体調はまだ万全というわけではない。

 そのため兄との久しぶりの面会は見舞いと言う名目になった。

 レオンハルトが部屋を訪ねると、アデルバートは寝台の中で上半身だけ起こし、いつもと変わらぬ笑顔で迎え入れてくれた。

 けれどほんの少し、以前より痩せた気がする。


 レオンハルトが物心ついたときからアデルバートは病がちで、一年の三分の一ほどをベッドの中で過ごしていた。

 彼が十歳になる頃――レオンハルトが五つのときにセイレーヌの治政を担うという名目で住まいを帝都にある城から離宮へと移したが、本当の目的は療養のためだ。

 夏は涼しく冬もさほど気温が下がらず気候が穏やかなこの地は、帝都に比べて過ごしやすい。

 また薬の原料となる植物も手に入りやすいのだという。


 それらの甲斐もあってか、成長し身体も大きくなった今では、生死をさまようほどの大病を患うという話は聞かなくなった。

 とはいえ劇的に健康になったというわけでもなく、幼少の頃ほどではないにしろ、今でも季節の変わり目などには必ずと言っていいほど体調を崩してしまう。


 そのような体質のせいで、また十六歳という年若さもあり、政を執り仕切ることも難しく、実際に統治しているのは側近だという噂もあった。

 そんな噂を聞いた耳にした「中央貴族」と呼ばれる中枢の権力者たちは囁き合う。

 病弱で政もままならない、皇太子としての務めも果たしていない「傀儡皇子」など、その座に相応しくないのではないか、と。


 「傀儡皇子」。


 アデルバートがそのように言われているとレオンハルトが知ったのは、半年前だった。

 教えてくれた(・・・・・・)のは、第四皇妃のジャスティーン。

 暇をもてあました麗しの側妃は、退屈しのぎに悪意を振りまく。長い睫の奥の翠の瞳には、いつも敵意と悪意があった。



 ―――そろそろ殿下も、現実を現実として見定めねばならないお年頃なのかもしれませんね。



 ジャスティーンの発言の意味を問い質すと、ジャンは答えない代わりにそう言った。

 普段の軽薄さなど感じられない、冷淡とすら思える態度に、レオンハルトは言い知れぬ不安を抱いた。


 ジャンは、自らの発言の意図も理由も語ろうとしなかった。レオンハルトもそれ以上もう何も訊かなかった。

 代わりに自分で考えた。ある推測に思い至った頃、レオンハルトの元にはアデルバートに関する噂や臣下たちの悪意を孕んだ囁きが届くようになった。


 そこまで来るともはや疑いようがなかった。

 それらの声が今までレオンハルトの元に届かなかったのは、ジャンがそう仕向けていたためだ。

 大好きな兄の悪評を、それが自分のせい(・・・・・)であるということを知って、レオンハルトが傷付くことがないように。


 臣下たちの悪意を孕んだ囁きのあとには、決まってこう続いた。


 「次期皇帝に最も相応しいのは、亡き第二皇妃の血を継ぎ、皇帝陛下に最も愛されている第二皇子だ」と。


 それを聞いた瞬間、頭が真っ白になった。

 大声で泣き喚きたい気分になった。

 自分の存在が兄の地位を脅かしていたなどと、信じたくなかった。


 兄を支えるために、兄の力になりたくて、「優秀な第二皇子」であろうとしてきた努力すべてが裏目に出るなんて、今までレオンハルトがしてきたことをすべて否定されたも同じだった。

 兄に褒められるたび無邪気に喜んでいた幼い自分を呪った。

 消えてしまいたいと、自分自身を憎みさえした。

 けれどそれでもレオンハルトには、「優秀な第二皇子」をやめることができない。


「……レオン」


 名前を呼ばれるたび、嬉しかった。

 微笑みかけられることが幸せだった。

 アデルバートのいる世界は、優しさが満ちていた。

 この人を失うことが、嫌われてしまう、レオンハルトは何より怖かった。


「はい」

「姫君と会ったそうだね」

「……」


 「姫君」。


 アデルバートはローズマリーのことをそう呼ぶ。レオンハルトもまた同じだが、示し合わせたわけではない。偶然の一致だ。


「……はい。先日」

「一度顔合わせの場を設けねば、とは思っていたんだけれどね。遅くなってすまなかったね」

「……いいえ」


 謝る兄の言葉に、曖昧に返す。


 ローズマリーがこの国に来てもう八ヶ月が経とうとしている。当初は身体の弱い彼女がどうしてわざわざやって来たのか納得できなかった。

 けれど今なら、理解できる。その理由も周囲の思惑も。


 アメジア王国第一王女ローズマリー=ヴィヴィアン=ルシア=シャムロック。


 彼女は、アメジアが帝国へと差し出した「人質」だ。


 敗戦国の王室が「人質」として王族の人間を差し出すことは、珍しいことではない。

 その「人質」の大半は女性で、彼女たちは勝戦国の王室に入り、王、或いは王太子の妻となり、子を産む。

 それが「忠誠」の証だ。


 アメジア王国も例に漏れず、第一王女をジュエリアル帝国へと送ってきた。

 ジャスティーンが言っていたように、おそらくはいずれ皇太子妃となるために。

 そのために彼女は離宮で暮らしているのだ。きっと身体が弱いというのも嘘だろう。

 すべては彼女をアデルバートの傍に置いておくための建前にすぎない。

 アメジストの瞳をした、美しい少女を。


「……かの姫君は、どのような御方なのですか」

「え?」


 レオンハルトの問いに、アデルバートは少し目を見開く。


 レオンハルト自身、どうして自分がこんなことを訊いたのかはわからなかった。

 ただ、知りたいと思った。

 アメジストの瞳をもつ、「人形姫」のこと。

 兄に寄り添い、一生をともにするであろう少女のことを。


「……不思議なひとだよ」


 しばらくの沈黙の後、アデルバートは静かな声でそう答えた。


「儚げでありながら凛々しく、たおやかでありながら意志の強さをおもちで、けれどとても繊細な方。

 お会いするたびに印象の変わる、不思議なひとだ」

「……」


 いったい、誰の話をしているのだろう。


 アデルバートの語るローズマリー像はレオンハルトの知る彼女とは、まるで違った。


(……そうじゃない)


 違うのではなく、知らないのだ。


 レオンハルトは、何も知らない。

 彼女が何を見て、何を考えて日々を過ごしているのか。

 はるか遠い国から、どのような思いでこの国に訪れたのか、どのような心地でアデルバートの傍にいるのか。


 レオンハルトは、何も知らない。


「レオンは、姫君のことを気にかけてくれているのかい?」

「……いえ、そういうわけでは……」


 その通りなのに思わず否定したのは、どこかうしろめたさを感じていたからなのかもしれない。

 アメジアの王女――兄の婚約者候補である少女に対し、興味を――それ以上の感情を抱いたことで。


 そのようなレオンハルトの複雑な胸中には気付かず、アデルバートは柔らかに言葉を紡ぐ。


「祖国から遠く離れたこの国へ侍女殿と二人きりでいらっしゃって、姫君もさぞ心細い思いをされていらっしゃることだろうね。

 レオン、どうかこの離宮にいる間だけでもいい。姫君のことを気遣ってさしあげてくれないか」

「……兄上」

「姫君の、力になってさしあげておくれ」

「……はい」


 アデルバートが何を思って彼女のことをそう評したのか。彼女のためにレオンハルトに何ができるのか。

 わからないままただ、兄の言葉に頷いた。



【たぶん本編には出てこない設定 その⑥】


 臣籍降下した皇族は皇爵位の身分を与えられますが、大体二・三代で途絶えます。

皇爵家は他の貴族と違い、あらゆる特権を与えられている代わりに長男しか家を継げないためです。

次男以下が家を継いだり婿をとったり養子をとったりして家を継ぐことを禁じられているため、後継ぎがいなければお取り潰しになります。

帝国は皇家至上主義なので、無闇に皇家の血を民間に混じることや家名だけ残して別の血筋の人間が権力を持つことを防ぐためです。

皇爵家以外の貴族は次男以下・娘・婿・養子、誰が継いでも大丈夫です。


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