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夢のあと  作者: 緋桜
第二章
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E.C.1010.08-3


 季節は進み、夏がやってくる頃、今年もまたレオンハルトの元には兄からの避暑の誘いの手紙が届いた。

 その手紙を手にしたレオンハルトの心中は、酷く複雑なものだった。

 離宮に行くということはつまり兄に会えるということで、そのことは嬉しい。兄に会いたい、兄の傍にいたいという心は本心だ。

 けれど一方で気が重いのは、昨年までと事情が異なるため――離宮に「彼女」がいるからだ。


 アメジア王国の王女、ローズマリーがこの国に訪れ、早七ヶ月が経った。

 その間、二人の婚約を示唆するような動きは未だない。

 けれど彼女が兄とともにセイレーヌの離宮で暮らしていることが、彼女が皇太子の婚約者候補であるということの何よりの証だった。


 そんな兄の婚約者候補「かも」しれない少女と対面して、レオンハルトは平静を保てるかどうかはわからなかった。

 もしも二人の仲睦まじい姿を見せられたら、きっと心中穏やかではいられない。

 自分でもどうかしているとは思う。けれどレオンハルトは、アデルバートに自分よりも大切なものができるなんて、耐えられない。


 とはいえ、意を決して離宮に来るも、レオンハルトの心配は杞憂だった。

 一週間の滞在の間、ローズマリーとは一度も顔を合わせていない。離宮に着いた日、キャロライナはローズマリーと面会したらしいが、レオンハルトは熱を出したウィリアムについていたためその機会を逸した。

 ウィリアムが回復したのち改めて挨拶に行こうとするも、今度はローズマリーが体調を崩してしまったらしく、部屋に閉じこもってしまった。

 伝染してはいけないから、と食事もレオンハルトたちととろうとはしない。


 そのためレオンハルトは離宮に来てまだ一度も彼女の姿を見ていない。

 あれだけ気を揉んでいたのが嘘のように、離宮での生活は心穏やかなものだった。


 しかし平穏などそう長くは続かないのが世の常だ。


「殿下は、皇太子殿下のこととなると本当にわかりやすくていらっしゃるのですね」

「……うるさいぞ、ジャン」

「せっかく兄君に会いに行かれたのにその御尊顔を拝すること叶わず拗ねていらっしゃるなど、可愛らしゅうございますね。

 殿下にもまだまだ歳相応なところがあられるようで、安心いたしました」

「口を慎め、ジャン=アトリー」


 軽口を叩く教育係を睨みつける。彼の言っていることは事実であるため、他に何もできなかった。


 数日前からとりつけていた遠駆けの約束は、アデルバートが熱を出したため反故となった。

 いつもの微熱だから心配ない、見舞いも要らないと追い返され、アデルバートの部屋からの帰り道、レオンハルトはすこぶる不機嫌だった。


「部屋に戻ったら、ミーリック嬢にお茶を淹れてもらいましょう。ウィリアム皇子殿下やキャロライナ皇女殿下を招いてお茶会を開いてはいかがです?」

「……そうだ」


 な、と続くはずだったレオンハルトの声は、不自然に途切れる。進行方向の地面に、何かキラキラしたものを見つけたためだ。

 不思議に思い近付いてみると、キラキラしたそれは婦人用の首飾りだということに気付く。


「これは……?」


 レオンハルトはその首飾りを拾い上げる。

 中央に小さな紫色の宝玉――アメジストがついている、シンプルだが一目で高価だとわかる物だ。

 しかし気になるのは、留め具のところがまるで力任せに引き千切ったように壊れていたことだ。

 それにどうしてこんなものがこんなところに落ちているのだろう。


 不思議に思いながらも、深い輝きを放つアメジストに心奪われる。


 この国においてアメジストはダイヤモンドやプラチナに次いで高価な宝石であり、また希少価値で言えばそれら以上かもしれない。

 アメジスト自体はそう大きなものではないが、控えめにあしらわれたそれは他の宝玉との調和も相まってかえって上品で美しい。


 思わず見惚れ、小さく溜息を吐いたときだった。

 ガザガサっと葉の擦れる音がしたかと思うと、首飾りが落ちていたすぐ横の茂みから人影が飛び出してきた。


「!?」


 飛び出してきた人物を見て、レオンハルトは目を見張る。


 現れたのは、十四、五歳ほどの見知らぬ少女。

 この国では珍しい黒曜石の髪とアメジストの瞳をしていた。

 茂みの中を通ってきたせいか乱れた髪に葉をつけ、頬にはいくつかの裂傷があり、それでも少女はレオンハルトを真っ直ぐに見つめていた。


 その瞳に、とらわれる。


 まるで、時間が止まったように思えた。


 止まってしまえばいいと、思った。


「その首飾り……」


 鈴の音のような小さな声に、レオンハルトは我に返る。

 そして同時にその声はレオンハルトの記憶を揺らす。

 初めて見るはずの少女の声を、レオンハルトは聞いたことがあった。


 まさか、と頭の片隅で、警鐘が鳴る。

 けれどそれに勝る「何か」が、このときのレオンハルトを突き動かした。


「……これは……貴女のものですか……?」

「……はい……」

「……どうぞ」

「……有難う、ございます」


 おそるおそるレオンハルトが差し出した首飾りを、少女は両の手でしっかりと受け取った。

 そして、微笑んだ。

 にっこりと、柔らかに。


「―――ッ」


 その瞬間、止まったはずの時間が再び動き始める。

 世界が色づく。

 何かとても伝えたいことが生まれ、けれど何も言葉にならない。

 レオンハルトは目の前の少女を、ただ黙って見つめた。


 どれほどそうしていただろう。

 いつまでもそうしていたかった。


 けれど。


「姫様!!」


 少女の出てきた茂みから、彼女よりも少し年長に見える栗毛の少女が飛び出してきた。


 永遠にも似た静寂が、一瞬にして終わる。

 悲鳴のような絶叫を上げながら、栗毛の少女は涙目になって、黒髪の少女にすがりつき、一気にまくし立てる。


「あぁもう姫様!!いきなり走り出されるなど、セシルは心臓が止まるかと思いました!!あぁっ!!美しいお顔に傷まで作られて……ッ!!

 姫様に何かあったら、セシルは国王陛下や王妃殿下方に何とご報告すればいいんですか!!

 いいえそれよりセシルだって、姫様にもしものことがあればきっと生きていけません!!」

「……にぎやかな方ですねぇ」

「ひぅえ!?」


 のほほんとジャンが口を挟むと、栗毛の少女――セシルは、驚いて声を上げる。


 部外者――ジャンたちの存在にまるで今気付きましたとでも言わんばかりの反応だった。

 いや、実際今気付いたのだろう。茂みから飛び出してからの十数秒、彼女は完全に黒髪の少女のことしか目に入っていなかった。


「だ……第二皇子殿下……!?」


 自らをセシルと呼ぶ少女は、帝国の人間とはどことなく雰囲気が異なる顔立ちをしていた。

 彫りが浅く、全体的にのっぺりとしている。可愛くないわけではないのだが、「素朴」という表現がよく似合う。


 けれどそのようなことはどうでもいい。

 レオンハルトの関心は今、この黒髪の少女にのみ注がれている。


 「姫様」と呼ばれる見知らぬ少女。

 その呼称から、彼女が何者であるのか想像することは容易い。

 そして何よりも、彼女の声。

 その声に、聞き覚えがある。


「お……っ。お見苦しいところをお見せいたしました……ッ!!非礼をお詫びいたします……ッ」

「……かまいません。それより、貴女方は……」

「……アメジア王国より参りました。ローズマリー=ヴィヴィアン=ルシア=シャムロックと申します」


 慌てふためくセシルを制し、黒髪の少女が静かに名乗る。


 予想が、確信へと変わる。


 少女――ローズマリーは淡い水色のドレスのスカートをつまんで優雅に礼をとりながら、七ヶ月前に彼女のために開かれた歓迎の宴のときと同じように名乗った。

 違うのは、礼のとり方が異国風――アメジアのものではなく、この国の作法に則ったやり方であること。

 そして、こうして向かい合う彼女がレオンハルトに素顔を晒しているということだ。


 初めて見るローズマリーの素顔に、レオンハルトは目を奪われる。


「殿下」

「え……?」

「……こちらはレオンハルト第二皇子殿下にあらせられます。遥々のお越し、心より歓迎いたします、と仰せです」

「……もったいなき御言葉にございます」


 沈黙し、ローズマリーを凝視していたレオンハルトはジャンに名を呼ばれて我に返る。

 しかし急に現実に引き戻されても、上手く頭が働かない。

 主の動揺を察したのか、代わりにジャンが向上を述べる。

 ローズマリーはそれに、顔を伏せたまま応えた。


 そのまつげの長さに見惚れながらも、徐々にレオンハルトは冷静さを取り戻していった。


「……顔をお上げください、姫君」

「……」

「慣れない異国で大変なことも多いでしょう……。私で力になれることがあれば、何なりとおっしゃってください」

「……もったいなき御言葉にございます。御心遣い、痛み入ります」

「では……私はこれで失礼いたします」

「……第二皇子殿下」


 このままローズマリーと対面していては、自分が自分でなくなりそうで。


 早急に立ち去ろうと踵を返したレオンハルトの背を、ローズマリーが呼び止める。


 自らに向けられた声に、呼吸が止まるかと思った。


「……何ですか、姫君」

「……ありがとうございました」


 首飾りを胸の前でしっかりと握り締め、ローズマリーは礼を言う。

 それは、先程の笑顔が夢ではないという何よりの証だった。


「……いえ……」


 お気になさらないでください、と告げた声は、震えてはいなかっただろうか。


 初めて見たアメジアの王女は、確かに「人形姫」と称されるのも頷けるほどの美貌の持ち主だ。

 一目でこの国の人間ではないとわかる顔立ちだが、そんなことは気にならないほど美しい。


 けれど彼女がそう呼ばれる理由は、別にあったはずだ。

 笑わない、怒らない、嘆かない。感情など無いと思えるほどの無表情だからこその「人形姫」。

 それなのに、どうして。


 どうして彼女は、レオンハルトに向かって微笑んだ?

 社交辞令や愛想笑などではない、心からの笑みをレオンハルトに向けた?


 わからない。


 けれど。


 その笑顔に、今まで「アメジアの王女」に対して抱いていた感情とはまったく別の感情が胸の中の音で生まれる音を、レオンハルトは聞いた。


 そんなことを、考えてはいけない。

 抱いてはいけない。

 そう思うのに。

 アメジストの如き輝きを放つ紫の瞳が、瞼裏に焼きついて離れない。


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