E.C.1010.02-1
アメジアの第一王女が来国して、二週間が経った。その間王女はジュエリアル城内の「宮廷」に滞在していた。同じ城内とは言え、レオンハルトは「後宮」で暮らしているため、彼女との交流は無い。
けれど噂は、いくつか聞こえてくる。
歓迎の宴以降、王女は祖国の装束を脱ぎ、ジュエリアルの装束で過ごしているとか。
そのため、当然のことながら顔を隠していたヴェールを外して素顔を晒しているとか。
そしてその素顔は、まるで精巧にこしらえられた人形のように美しいのだとか。
「宮廷」に出入りし彼女の素顔を目にした者は、彼女のことをいつしか「人形姫」と呼ぶようになった。
「あら。ごきげんよう、レオンハルト皇子殿下」
嫌な奴に会った。
「後宮」の廊下を歩いていたレオンハルトは、ばったり出くわした胡桃色の髪と翠の瞳をした二十歳ほどの女を見て、そう思った。
しかし当然、そのような心中は微塵も顔に出したりはしない。品行方正な第二皇子として完璧な、容姿の愛らしさを存分に振り撒く微笑みを浮かべて見せた。
「ご機嫌麗しゅう存じます、第四皇妃殿下」
優雅に礼をするレオンハルトを見て満足げに微笑む淑女の名は、ジャスティーン=キャヴェンド=ジュエリアル。
皇帝の第四皇妃で、レオンハルトにとってはセレスティアと同じく義母に当たる。
けれどセレスティアとは決定的に違うところは、この女はレオンハルトを嫌っているということ。
そしてレオンハルトもまた、この女のことが嫌いだということだ。
「お一人で出歩かれるなど、珍しいですわね。また第三皇妃殿下のお部屋に遊びに行かれてましたの?本当に仲がよろしいこと。たまにはわたくしのお部屋も訪ねて来てくださればよろしいのに」
「えぇ……機会があれば、ぜひ」
絵に描いたような社交辞令にジャスティーンは一瞬片眉を顰めるも、すぐに貼り付いたような笑みを浮かべた。
「そういえば殿下、アメジアの姫君のお顔はもうご覧になりまして?」
「はい?」
突然の話に、レオンハルトは訝る。
彼女が意味も無くこんな話題を振るわけがない。ジャスティーンという女は計算高くで強かで、常に周りを蹴落とす機会を窺っているような女だ。
「……いえ。先日の宴の際にヴェールを付けたお姿を拝見しただけです。何でも、非常に美しい姫君だということは伺っておりますが、実際にそのお顔を拝見したことはありません」
「まぁ。さすが殿方はお耳が早いこと。では姫君が『人形姫』と呼ばれていらっしゃることはご存知?」
「えぇ……まぁ。それほどまでに美しい姫君でいらっしゃるのですね」
「美しい、ねぇ……」
翠の眸がスッと細められる。まるで、獲物を見つけた蛇のような目だ。
「確かにアメジアの姫君はお美しい方ですわ。宮廷の詩人がこぞって歌を贈りたくなるほどの、ね。けれど皇子殿下。かの姫君が『人形姫』と呼ばれていらっしゃる理由は、それだけではありませんのよ」
「……と、言いますと?」
「まったく笑顔をお見せにならないんですの」
「……?」
「笑顔だけではありませんわ。憤られたり嘆かれたり、そういった感情の動きが一切ありませんの。
普通十四歳の姫君がこのような異国に侍女の一人だけを連れていらっしゃるのだから、もっと心細そうにされたりしてもよろしいと思いません?それなのに、まったくそのようなそぶりを見せられませんの。
まるで、お人形みたい」
細められた翠の瞳に、剣呑な光が覗く。
その瞬間、レオンハルトは唐突に確信した。
アメジアの王女のことを「人形姫」と呼び始めたのはこの女だ、と。
「……でも、お似合いかもしれませんわね」
長いまつげが上下する様は、文句なしに美しい。
四大公爵家キャヴェンディッシュ家の令嬢として生まれ、きっと他の貴族の娘よりも手間も金もかけて育てられたジャスティーンは、美女と呼ぶに相応しい。
けれどジャスティーンは、昔から意地の悪い女だった。
皇帝の寵愛を得られない欝憤を、周りを傷付けることで晴らしているように見えた。
そんなことをしても何の意味も無いのに。十一歳のレオンハルトでもわかることが、彼女にはわからないのだ。
憐れむようなレオンハルトの眼差しには気付かず、ジャスティーンは続ける。
「『傀儡皇子』と『人形姫』とは」
「……どういう意味です、それは」
「あら」
美しく磨かれた指先を口元に添え、ジャスティーンは艶やかに微笑う。
しかしその眼差しは少しも笑っていない。翠の眸に滲むのは、揶揄のような侮蔑のような、ありありとした悪意の色。
「まさかご存知ありませんの?レオンハルト皇子殿下ともあろう御方が」
「だから、何をです」
「『人形姫』がこの国を訪れた本当の理由を、ですわ」
「本当の理由……?」
「皇子殿下の大好きな兄君の妃となるためですわ」
「は……!?」
あまりに予想外なジャスティーンの言葉に、レオンハルトは言葉を失う。
その反応に満足したのか、ジャスティーンはいっそう楽しげに笑った。
その笑みが、どうしようもなく癇に障る。
「それはどういう……」
「あぁいけない。皇子殿下があまりにも可愛らしいからついついおしゃべりに興じてしまいましたわ。わたくし、そろそろ参りませんと。
ごきげんよう、皇子殿下」
「待……ッ」
我に返ったレオンハルトが引きとめるようとする声など気にも留めず、ジャスティーンは侍女たちを従え、優雅に身を翻す。
その背を追いかけようとするも、レオンハルトは思い直し、踵を返す。
そして廊下を駆け出した。
【本編にはたぶん出てこない設定 その⑤】
第六皇妃と第四皇女がいるので、もちろん第五皇妃、第二・第三皇女もいます。
コーネリア=キャヴェンド=ジュエリアル
・第二皇女 髪:胡桃色 瞳:翠色
オリヴィア=ゲイル=ジュエリアル
・第五皇妃 髪:杏子色 瞳:蒼色
マーガレット=ゲイル=ジュエリアル
・第三皇女 髪:亜麻色 瞳:蒼色




