E.C.1010.01-2
「本当にあの国の女性の装束は顔を隠すんだな」
宴の間から自室へと戻ったレオンハルトは、侍女頭の手によって正装を解かれながら、ポツリと呟く。
至近距離でその呟きを聞いていた侍女頭――ステラは、常の通り淡々とした声で尋ね返した。
「あの国……とは、アメジアのことにございますか?」
「あぁ」
「そのようですね。
アメジア国の高貴な女人は、夫君となる殿方以外の方には素顔をお見せにならないしきたりだと聞き及んでおります。実際に目にいたしましたのはわたくしも今宵が初めてですが」
「……ふぅん」
ステラの言葉に相槌を打つ。
自分から話しかけておいて気のない返事だが、ステラはさして気に留めたふうもなく、レオンハルトの服を脱がしにかかる。
仕事熱心、ともすれば無愛想とも映りかねない態度だが、仕事に対して忠実なところは彼女の美徳であり、二十一歳という若さで第二皇子の侍女頭まで上り詰めた所以でもある。
そんな優秀な侍女頭の手に身を委ねながら、レオンハルトは先刻の宴の様子を思い出していた。
贅を凝らしたきらびやかな城の一室で催された宴は、集う貴人も皆華やかに装い、その顔には明らかな愉悦の笑みを浮かべていた。誰もが勝利の美酒に酔い、麗しき君主の栄光を讃えていた。
ただ一人の姫君を除いて。
アメジア王国第一王女、ローズマリー=ヴィヴィアン=ルシア=シャムロック。
先日異国より「客人」として迎えられた一四歳の姫君は、彼女のために開かれた歓迎の宴の間、ずっと黒のヴェールで顔を隠していた。
この国にはめったにいない黒曜石の髪に、異国風のドレス。肌の露出の少ないそれは、帝国から出たことのないレオンハルトにとっては文献などでしか知らない、初めて目にする物だった。
たった一人の侍女を連れて異国へとやって来た、一四歳の姫君。
彼女がどんな顔をしているのか、レオンハルトは知らない。
彼女のことなど、何も知らない。
知りたくもない。
「……ステラ」
「はい」
「兄上は、いつ離宮へお戻りになるんだ?」
「……来月の半ばには御出立されるご予定と伺っております」
「それは王女殿下もご一緒にか?」
「……はい」
「そうか」
言葉少なに応えたレオンハルトに、ステラが困ったように視線を落とす。時に鉄仮面、と称されるほどの無表情の侍女頭だが、困っているのだとわかった。――困らせているのだとわかった。
けれどそれがわかっていても、レオンハルトは自分の感情の整理がつかない。兄と異国より訪れた姫君のことを考えるだけで、心が乱れて仕方ない。
(……私だって)
兄と一緒にいたい。傍にいたい。いつもそう思っている。
けれどレオンハルトの願いが聞き入れられることはない。
レオンハルトにはレオンハルトの役目がある。兄の傍でただ兄に甘えていればよかった幼い頃とは違う。
アデルバートと離れて過ごし、この帝都で学ぶことには必ず意味があり、いつかジャンが言っていたとおり、必ず将来アデルバートのために役立てる日がくるはずだ。
そうやってずっと自分を納得させてきた。
それなのに彼女は、これからもずっとアデルバートと共に過ごすのだという。
ずるいと思った。
本当は、彼女が病弱だとか敗戦間もないとかそんなことはどうでもよかった。
ただ単純に、レオンハルトは嫉妬していた。兄とともに離宮へ向かうという少女に。
兄の傍にいられる少女のことが、羨ましくて妬ましくて仕方なかった。
【本編にはたぶん出てこない設定 その④】
だいぶざっくりですが、西大陸はヨーロッパ、東大陸はアジアのイメージです。
アメジア王国はそのどちらにも属さない独自の文化圏ですが、日本と中国がちゃんぽんされてる感じです。




