END.
前回更新分と本編最終話の間に入るお話です。
皇帝陛下がお隠れになりました。
皇帝の近侍が運んできた報告に、レオンハルトはただ、そうか、とだけ返した。
他に何を言えばいいか、わからなかった。
この国の皇帝であるレオンハルトの父が病に倒れてもう随分と経つ。
最後に会ったのはいつだっただろう。もう何年も会っていない気がするけれど、そんなわけはない。
記憶の中の父は、常に美しかった。
生ける芸術と謳われた美貌は年を重ねるほどに艶を増し、病を得てなお損なわれることはなかった。
そのままでいてほしかった。
絶対的な強者のままであってほしかった。
老い衰えていく姿を見たくなかった。
病床の父を見舞わなかったのは、それだけが理由ではないけれど。
「……最期は、誰が?」
「正妃殿下が看取られました」
「お一人で?」
「御危篤の報せを受け皆様駆け付けられましたが、いよいよというとき正妃殿下が最後は二人きりで過ごされたいとお人払いをされ……」
「へぇ……。意外だな。正妃殿下は父上とあまり仲が良くないと思っていたけど」
「……そんなことは……」
「まぁ……夫婦にしかわからないことがあるんだろうね」
目に見えている形だけがすべてではない。夫婦には、夫婦の数だけ真実がある。
レオンハルトも実際に妻を迎えてそのことを知った。
たった一人の妻でさえもてあましているのだ。
正妃の他側妃も抱える皇帝となれば、その関係や心情も複雑だろう。
「今もまだ正妃殿下が御傍に?」
「いえ……正妃殿下はお部屋に戻られ、今は第三皇妃殿下が御傍についておいでです」
「その次は第四皇妃殿下?順番に参じるつもりなのかな。私の番は当分は回ってきそうにないね」
「……」
「だったら呼ばれたときに行けばよかったのにと思っている?」
「……いえ」
皇帝が危篤だという報せは、「宮廷」内で執務中だったレオンハルトの元にも届いた。
報せを聞いたレオンハルトは矢も楯もたまらず皇帝の寝室へ向かった――向かうつもりだった。
息子として皇太子として、皇帝を看取る義務がある。
それがわかっているのに、皇帝の部屋が見えた瞬間足が止まった。
困惑するグレイスターの声を振り切り、踵を返して逃げ出した。
そしてたどり着いた大聖堂の中、いったいどれくらいの時間座っていただろう。
もしかしたら転寝していたかもしれない。それくらい時間の流れが曖昧だ。
もしカーティスが探しに来なければ、そのままここで息絶えていたかもしれない。
そんなばかなことを考える。
「……薄情な息子だと思う?危篤の父の元に駆けつけず、こんなところで油を売っているなんて」
「……いえ」
否定とも肯定ともつかない相槌を打つカーティスは、知っているのだ。
レオンハルトが父に、どのような仕打ちを受けてきたのか。
あの男がレオンハルトに看取られて逝きたいなんて思うはずないし、そんな権利も無いはずだ。
「……ねぇ、ディルク卿」
「……はい」
「やっぱり父上は、今でも私のことを憎んでいるのかな」
「……」
「結局最期まで愛してはくれなかったね」
ずっと、憎まれていた。
生まれてこなければよかったと思われるほどに。
レオンがそのことを知ったのは、二十を超えてしばらくした頃だった。
他でもない父自身からそう告げられた。
母の命と引き換えに生まれてきたレオンハルトのことが憎くて仕方ない。
アデルバートのもの何もかも奪うレオンハルトのことが疎ましい。
愛を騙った刃でローズマリーを追い詰め死なせたレオンハルトを許せない。
そう告げたときの父の顔を覚えている。
あのときレオンハルトは自分の願いが永遠に叶わないことを知った。
本当は、父に愛されたかった。
兄のように、兄にするように抱きしめてほしかった。
愛していると言ってほしかった。
幼い頃に描いた夢物語だ。
「……私が陛下の御心推しはかることなど畏れ多いことです。ですが陛下は常に、皇太子殿下のことを気にかけておいででした」
「……」
「皇太子殿下の御成長を見守り、喜んでいらっしゃいました。陛下は確かに、皇太子殿下のことを慈しんでおられました」
それはきっと、純粋な愛情ではなく、単純な憎悪でもなかった。
憎むほどに愛しさは募り、愛しいと思うたび憎しみが増す。
レオンハルトの安寧を願いながら破滅を望む。
きっと自分でも、どうすればいいかわからなくなっていたのだろう。
ただ愛しくて、どうしてもなく憎らしくて、それでも手放せなくて、苦しむ姿に救われながら憂いていた。
そんなどうしようもない矛盾を抱えていたように見えたと、カーティスは語った。
皇帝もまた苦しんでいたのだと知ったところで、何の慰めにもならないと知りながら。
「……そう」
真実なのかカーティスのついた優しい嘘なのか、今となってはわからない。
永遠に。
「……さて、と。じゃぁ……まず即位の儀を行って、そのあと葬儀で戴冠式かな?あれ、戴冠式が先だっけ……」
「……葬儀ののち戴冠式、その後立太子式です」
「そうか、立太子式もしないといけないのか」
やることたくさんだなぁ、とため息をついてみせる。
軽薄な仕草に、カーティスは表情を変えない。
きっと言いたいことは山ほどあるだろうに、すべてを飲み込む。
出来た近侍だ。
そろそろ五十路を超えたかというカーティスは、皇帝の懐刀であり友人であり幼馴染だった。
きっと息子であるレオンハルトより、彼の方が父のことをよく知っているのだろう。
そしてきっと、レオンハルトよりもずっと父の死を悼んでくれているのだろう。
「とりあえず、葬儀の手配は国務大臣に任せるよ。兄上のときもそうだったよね。戴冠式や立太子式の日取りは、早急に会議を開いて決めようか。きっとアルフォート侯爵が出張ってくるだろうけど、そろそろ侯爵としての最後の仕事だろうし、花をもたせてあげよう。あとは……『後宮』も整理しないとね」
皇太子であるレオンハルトは、現在妻とともに皇太子宮で暮らしている。
今「後宮」で暮らしているのは父の妃たちと、未婚の第二皇女、未成年の第三皇女、第四皇女、第四皇子だけだ。
彼女たちの身の振り方も考えなければいけない。
「これは極力聞き入れてほしい私の望みなんだけどね」
「……何でしょう」
「皇太后には正妃殿下についていただきたいと思っているんだ」
「第三皇妃殿下ではなく……ですか」
「セレスさまの社交や人心掌握術は素晴らしいけれど、ディアナで十分事足りるよ。それよりも手放すには惜しいのは正妃殿下の政治力だ。セレスさまには南の離宮に移って、余生はのんびりしていただこう」
「……他の妃殿下方はどうなさいますか」
「うーん……第五皇妃殿下は多分こちらの意向に従ってくださると思うけど、問題は第四皇妃殿下か……。皇籍から除外して御実家に戻っていただくか……どこぞの先代侯爵あたりの後妻に収まっていただくか……」
「……従いますかね」
「今まで好き勝手してきたツケだから、仕方ないよ。従うも従わないも、向こうに選択権なんて無いさ。まぁキャヴェンディッシュ家には、ネリーを皇妹として降嫁させるか貴族として嫁がせるかくらいは選ばせてあげよう」
前者ならば持参金を用意するのは皇家だし、箔も付く。
せめてもの恩情だよ、と微笑むと、カーティスは口を噤みそれ以上の反論はしてこなかった。
「あとは……君かな」
「……」
「君はどうしたい?ディルク卿」
皇帝が遺した一番の功績は、きっとこの優秀な近侍、カーティスだ。
彼がいたからこそ、最初に父が病に倒れたときも大した混乱なく政は問題なく回っていた。
古参の大臣たちはレオンハルトをしきりに褒めそやしたが、成人して五年にも満たない皇子の政治力などたかがしれている。
カーティスの手厚いサポートあってこそだ。
まるで、ずっと前からそうしていたかのような。
「……お許しいただけるのならば領地に戻り、亡き陛下の魂の幸いを祈りたいと存じます」
「許さないよ」
予想通りのカーティスの要望を切り捨てる。
きっとカーティスにとっても予想通りだったのだろう。
驚いた様子もなく、ただレオンハルトの視線を受け止める
「君はこのまま近侍として私に仕えるべきだ。それが私を生かした、君の贖罪だ」
「……っ」
「父上が死んで、解放されると思った?残念だったね。君も同罪だよ」
レオンハルトは立ち上がり、カーティスへと歩み寄る。
幼い頃はあんなにも大きく感じていた男が、今では背丈もさほど変わらない。
カーティスの肩に手を置き、耳元に唇を近付ける。
誰にも聞かせてはならない秘密事を囁くために。
「君の罪は、私が死ぬまで消えない。いや、私が死んでもあの子が生きているかぎり」
レオンハルトの言葉に、カーティスはピクリとも動かない。それも予想のうえだ。
この男が焦ったり困ったりするところなど、見たことない。
皇帝の前以外では。
何だかんだ言って、この男は皇帝を慕っていた。心酔していた。
皇帝以上の忠誠を、この男から得ることはきっと不可能だ。
だからレオンハルトはこの男を縛り付ける。信頼ではなく、贖罪で。
敬愛する皇帝の尻ぬぐいをするのはお前なのだと。
「何か言うことは?」
「……かしこまりました」
「違うよ?」
カーティスの肩から手を放し、距離をとる。
容姿の良さを存分に発揮する笑みを見せると、ようやくカーティスは眉をピクリと動かした。
「仰せのままに、我が君」
「よくできました」
跪き、最敬礼を払うカーティスをにこやかに見下ろした。
ここまでお付き合いくださった方、長い間ありがとうございました。
亀より遅いカタツムリ更新でしたが、無事に完結させられて一安心です。
またブックマーク・評価ありがとうございました!励みになりました。
いつかまた、別のお話もお付き合いいただけると嬉しいです。
ありがとうございました。




