E.C.1009.09-2
皇帝との謁見を終え、自室へと戻ったレオンハルトは正装のまま寝台にその身を横たえる。
血の繋がった親子でありながら、父と会うときレオンハルトはいつも異常なほど緊張していた。
父に愛されることがないとしても、これ以上嫌われないように。父の機嫌を損ねないようにと、いつもそればかり気にしていた。
「お疲れ様にございます、殿下」
「……あぁ」
「何か温かいお飲み物をお持ちいたしましょうか」
「いや……いい……」
要らないと言いながら、レオンハルトは自らの右手を差し出す。
矛盾した行動に、しかし第二皇子の侍女を五年以上務めている有能な侍女頭はそれだけで主の意図を察し、寝台のすぐ傍に膝をついて伸ばされた手に自らの手を重ねる。
冷えた手に、嫌いではない相手の体温は心地よかった。それは心が弱っているときならばなおさらだ。
影のように常に付き従い、時に厳しく叱咤し、時に甘やかしてくれるステラは、母を知らぬレオンハルトにとっては姉であり、母親のような存在だった。
彼女と過ごすこの部屋でなら、気を張らずありのままに自分でいられた。
アデルバートへと向ける盲目的な敬愛とはまた違う絶対的な信頼、或いは親愛の情を、レオンハルトはステラに対しても抱いていた。
だからこそ、玉座の間で抱いた疑問をステラへとぶつけてみる。
「なぁ……ステラ」
「はい」
「身体の弱いアメジアの王女殿下が静養を兼ねて兄上の離宮で暮らされるって、どういうことだと思う?」
「は?」
「父上がおっしゃっていたんだ。アメジアから第一王女殿下をお招きするって。
でもおかしいと思わないか?今は戦争が終わって大変なときなのに、そんな時期に王女殿下が国を離れられるなんて。
それにアメジアからジュエリアルまで最低でも半月かかるだろう?お身体が弱い方なのに、そんな長旅してまでいらっしゃるなんて、おかしくないか?」
「……それは……」
聡明な彼女ならこの矛盾を解消してくれるかもしれない。そんな期待を込めて問うと、しかしステラは彼女にしては珍しく言い澱んだ。
また鉄仮面と称されるステラの顔は、ほんの少し戸惑っているようにも見えた。
一体どうしたのか。何かまずいことでもあるのか。
そう思ったレオンハルトが重ねて問おうとした瞬間。
「恐れながら殿下!
それほどまでに我が国の医療技術が進み、またセイレーヌの環境がいいと言うことではないでしょうか!」
「……また立ち聞きしていたのか、ジャン」
もはや当たり前のように突然入ってきたジャンに、レオンハルトは起き上がる。
今日も今日とて無礼な教育係をじろりと睨みつけると、常の通り「怒った殿下も愛らしいですね」と気のぬけそうなことを言ってにっこり笑う。どこまでも噛み合わない、且つ腹立たしい男だ。
「私はステラに訊いているんだ。お前は黙っていろ」
「ミーリック嬢も私と同じ意見だと思いますよ。ですよね、ミーリック嬢」
「……わたくしも、アトリー卿のおっしゃるとおりと存じます」
「……そうか」
ジャンの言葉を肯定するステラの表情は、いつも通り感情が読み取れない。だがジャンはともかく彼女が自分に嘘を言うはずがない。
やはり考えすぎかと結論づけ、レオンハルトは寝台から下りる。
「ジャン。もういい。着替えるから出て行け」
「おや。今更私にお召し替えを見られるのを恥じらわれるなど、やはり殿下は実は…」
「やはりって何だ。どういう意味だ。
お前本当に、そろそろいい加減にしないとセレス様に言って解雇状を書いていただくぞ」
「はいはい仰せのままに。
それはそうと、今日の講義は十五の刻から歴史学ですよ。時間になったらまた参ります」
仮にも主に対して何だその態度は、と腹を立てるレオンハルトは、ジャンとステラの間で交わされる意味ありげな目くばせに、まったく気付かなかった。
【本編にはたぶん出てこない設定 その②】
ステラはレオンハルトが三歳のときから「後宮」で働いており、
ジャンはレオンハルトが五歳になると同時に教育係に任命されました。
二人の付き合いもそこそこ長いですが、仲は別によくないです。
というかステラが一方的にジャンのこと嫌いです。




