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夢のあと  作者: 緋桜
第二章
10/114

E.C.1009.09-1


 再び遡ること約十年。

レオンハルト十歳の頃のお話です。



 光の加減で金にも銀にも見える不思議な色の髪と銀灰色の瞳をもち、「戦神」と謳われるジュエリアル帝国第四十八代皇帝、ルーカス=ジュエリアル。

 歴代の皇帝の中でも最強と呼び声高く、十八歳のとき初陣を飾って以来、その戦歴は無敗を誇る。

 歳を重ねてもその伝説は褪せることはなく、未だに戦に出れば負け知らずの英雄。

 その男こそが、アデルバートの、そしてレオンハルトの父親だった。


「お帰りなさいませ、陛下」


 跪いて(こうべ)を垂れ、アデルバートは皇帝へと奏上する。レオンハルトも無言のままそれに倣う。


「顔をお上げ、アデルバート、レオンハルト」


 「宮殿」の中心部に位置する皇帝の執務室、「玉座の間」に涼しげな美声が響く。

 世界を彩る声、とかつて宮廷詩人に称された声は、聞く者を酔い痴れさせる。

 控える侍女や、近侍までもがほぅ……と息を吐く声が聞こえた。


 玉座に座る男は圧倒的なまでに凛々しく、若々しい。けれど若さにそぐわぬ貫禄ももち合わせている。

 ひとことでいうならば年齢不詳。

 否、もっと簡単な言葉を選ぶなら、「美しい」。

 この男を表すなら、ただそれだけで事足りる。


 この世で最も美しい男。

 それが二人の父であり、国主であるこの男だ。


 そんな父によく似た容貌をもつアデルバートは、促されたとおり顔を上げ、父を真っ直ぐ見据える。


「長きに亘る御出陣、お疲れ様にございました。陛下のご無事での御帰還、心よりお喜び申しあげます」

「そなたたちも息災そうで何よりだ。留守中、我が国を守ってくれて礼を言う」

「もったいなき御言葉にございます」


 紛れもなく血をわけた父と子の間で交わされるのは、親子の会話とは思えないほど他人行儀なやりとりだ。


 しかしそれも当然のこと。

 彼は、父である前に国主だ。そして二人は皇帝と皇太子。親子である前に、君主と臣下だ。

 ようやく戦地から戻った皇帝の元に皇太子と第二皇子が呼ばれたのは、親子の再会を喜ぶためではない。

 そのことをわかっているから、レオンハルトは皇帝の態度に対して何の不満も感慨も湧かなかった。


「留守中の話は後々聞くとして、それよりもアデルバート。そなたに頼みがあるのだが、聞いてくれるかな?」

「陛下のお望みとあらば、何なりと」


 突然の皇帝の申し出に、アデルバートは一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに再び首を垂れる。

 皇帝は、それを見て満足そうに目を細めた。


「そなたの離宮にて客人を一人、もてなしてほしいのだ」

「客人……でございますか」

「そう。アメジア王国の王女殿下のことは知っているか?」

「存じております。確か……姉姫のローズマリー王女殿下と、妹姫のヴァイオレット王女殿下のお二人がいらっしゃったと……」

「そう。その姉姫をこの国にお招きすることになったのだ。

 しかしなにぶん、ローズマリー王女殿下はお身体が弱い。そのため、気候の穏やかなセイレーヌで暮らしていただこうと考えておるのだ」

「……左様でございますか」


 何かがおかしい。


 相槌を打つアデルバートを横目で見ながら、レオンハルトは皇帝の言葉の中に矛盾を感じていた。

 どうして身体の弱い王女をわざわざこの国に招く必要があるのか。

 それに今、戦争で負けたばかりのアメジアの王女が国を不在にしていてもかまわないのか。

 しかし抱いた疑問を口にすることは、レオンハルトには叶わない。

 この場において発言が許されているのはアデルバートだけだ。レオンハルトはただひたすら黙したまま、二人の会話に耳を傾けることしかできない。


「引き受けてくれるかい?アデルバート」

「は……。仰せのままに」

「それはよかった。ではそのように手配するとしよう。カーティス」

「かしこまりました」


 皇帝は言葉少なに側近に命じ、満足げに微笑む。


 対照的に、彼によく似た容貌をもつアデルバートの表情は心なしか浮かない。

 兄もまた、父の言葉に矛盾を感じ、しかしそれを問い質せずにいるのだろうか。


「私の頼みとはそれだけだ。聞き入れてくれて感謝する。もう退ってよいぞ、アデルバート」

「は……」

「……あぁ、そう言えば、今宵はアンジェリカと三人で夕食をとる予定になっていたかな。

 カーティス」

「十九の刻からの御予定になっております」

「だ、そうだ。それまではゆるりと過ごしなさい」

「は……。心待ちにしております」

「私もだよ。私の留守中の話をたっぷりと聞かせておくれ。

 ……あぁ、レオンハルト。そなたにはまだ退出を命じておらぬぞ」

「え?」


 一礼し、部屋を出るアデルバートに続こうとしたレオンハルトを、皇帝は呼び止める。

 柔らかな、けれどどこか鋭さを秘めた声に呼ばれ、レオンハルトは身を硬くする。

 部屋の空気が一気に冷えた気がした。


 アデルバートはレオンハルトの肩にそっと触れ、命じられたとおり退出した。


 おいていかないでください。


 そう叫びたかった。

 けれどそんなことできるはずもなく、レオンハルトは再び元の位置に跪く。


「レオンハルト」

「……はい」

「また今年も夏の間は、セイレーヌの離宮に行っていたそうだね」

「……はい」

「楽しかったかい?」

「……はい。兄上やキャロライナ、ウィリアムとともに楽しい時間を過ごすことができました。

 またセイレーヌの街を直に見て参ることもできましたし、非常に有意義な経験となりました」

「そうか」


 「優等生」の模範的な回答を返すレオンハルトに、しかし皇帝は自分から尋ねておきながら、返す相槌はそっけない。

 けれど白刃のように鋭いまなざしは真っ直ぐにレオンハルトに注がれている。


 自らに向けられる言葉と眼差しの温度差に戸惑うことをやめてから、どれくらい経っただろうか。


 当代一の美女と謳われ、「太陽の女神」と称されるほどの美しさを誇った亡き第二皇妃、マリアンヌ=ランス=ジュエリアル。

 四大公爵家ランチェスター家の長女として生まれ、十六で皇帝に嫁ぎ、二十歳で第二皇子を産むと同時に身罷るまで、皇帝の寵愛を一身に受けた。

 皇帝最愛の寵妃として今なお語り継がれているマリアンヌこそが、レオンハルトの生母だ。


 生前のマリアンヌを知る者は皆、口をそろえて言う。


 亡き第二皇妃殿下は美しく気高く、そして優しかった。

 あらゆるものに無償の愛情を注ぎ、また、誰もが彼女を愛した。

 彼女は愛されるために生まれてきたのだ、と。


 そんなマリアンヌに、レオンハルトはよく似ている。

 母の顔は肖像画でしか知らないけれど、レオンハルト自身もうりふたつだと思うほどだ。


 だからこそ、臣下たちは密やかに囁く。


 「今は亡き第二皇妃に生き写しである第二皇子殿下こそを、皇帝陛下は一番にご寵愛なさっている」と。


 今日のように皇帝がアデルバートとレオンハルトを呼びつけておきながらレオンハルトを一人の残してアデルバートを先に退がらせることも、一度や二度ではない。

 誰の目からも皇帝がレオンハルトを特別扱いしているのは明らかだ。


 けれどレオンハルトは、臣下の間で交わされる「噂話」を耳にするたび、不思議で仕方なかった。

 皇帝がマリアンヌのことを愛していたというのなら、どうしてマリアンヌを死に追いやったレオンハルトのことを愛することができるというのだろうか、と。


 皇帝という立場上、親子として過ごした時間はそう多くない。

 記憶を辿ってみても、抱きしめられたことはおろか、頭を撫でられたことさえない。

 それでも父はいつも優しかった。

 怒られたことなど一度もないし、父はいつも優しい声でレオンハルトを呼んでくれる。


 だから今よりもっと幼い頃――兄に出会うまでは、自分は父に愛されているのだと信じていた。

 誰よりも父に愛されているのだと。


 囁かれる噂話も、注がれていた愛情もまやかしだったと気付いて以来、父と向かい合うたび、名前を呼ばれるたび、警鐘のように頭の中で響く声があった。



 ―――第二皇妃殿下は皇子殿下のことをお産みになったせいでお亡くなりになったのですよ



 鮮やかな悪意を孕み、いっそ愉しげに細められた翠色の瞳を、今もまだ覚えている。


 子守歌のように優しい声が、ただただ怖かった。

 何かとても恐ろしいことを言われたような気がして、焦燥感に駆られるままステラの元へと駆けた。

 彼女の膝に身体を預けて声を殺して泣いた。

 驚いたステラに何があったか訊かれても、何も答えられなかった。言えばもっと恐ろしいことが起きてしまうような気がして、ただただステラにしがみついた。


 当時は言葉に込められた敵意にわけもわからず怯えることしかできなかったけれど、今なら理解できる。

 告げられた言葉の意味も、それが何を意味しているのかも。


 マリアンヌは、レオンハルトを産んだせいで死んだ。レオンハルトのせいで、マリアンヌは死んだ。


 だとしたら皇帝は、マリアンヌの――最愛のひとの命と引き換えに生まれてきたレオンハルトのことをどうして許せるだろう。

 愛することができるだろう。


 父に愛されていないことを知ったレオンハルトは同時に、愛されることを諦めた。

 だって、もしもレオンハルトにとって最愛の人――アデルバートが、たとえばキャロライナのせいで死んだとしたら、レオンハルトは決して彼女のことを許せないだろう。

 キャロライナのことも愛している。大切な大切な妹だ。


 それでも決して許せない。


 レオンハルトからアデルバートを奪う者を、決して。


 だからこそ、皇帝がレオンハルトのことを愛しているという噂を聞くたび、何を馬鹿なことを、と思わずにはいられなかった。

 レオンハルトがマリアンヌの息子であるかぎり、レオンハルトは父には愛されない。


 それでも彼がレオンハルトを傍に置くのは、レオンハルトがマリアンヌにうりふたつだからなのだろう。

 父はいつも、レオンハルトの中にマリアンヌの面影を探している。

 だからレオンハルトの話などどうでもいい。彼にとって価値があるのは、レオンハルトのこの顔だけ。


 酷い父親だと責めるつもりはない。

 酷いのは、生まれてきたレオンハルトの方なのだから。


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