彼という名のトリガー
とある建物の一室。
上質そうな空間に落ち着いた調度品が並んでおり、一目で格式の高さがうかがえる。
つい先ほどまで人がいたのか部屋の明かりは点いたままで、これまた重厚そうな机の上に置かれているカップからは湯気が立っていた。
部屋の主の行方は定かではないが、よほど慌てていたに違いない。
机上に置かれた書類らしき紙が、散乱したまま放置されているのだ。
書類には細かい文字が書き連ねている物や、グラフや写真が描かれている物もある。
きちんと順序立てて読んでいかなければ、おおよその内容把握は難しいことが伺えるものばかりだ。
しかしそんな中にも例外が一つ。
それには分かりやすく、明瞭なタイトルが付けられていた
最重要機密
硫黄島航空基地との通信途絶と、IEの関与
「模擬戦…ですか」
未だ癒えぬ過去の記憶…、というのは冗談。
どうしても直近の経験を引き合い出してしまい、つい苦い気持ちになってしまう。
「そうよ。海崎くんの実力も大体把握出来たしね」
俺は午前の座学を終え、午後の実技の時間を迎えていた。
基本的に週に3回設定されているらしく、今回で編入してから6回目を数える。
あれから一音、零華、和月の3人で交互に見て貰っていたわけだが…
「まだ模擬戦が出来るほど上手に立ち回れる自信ないんですが」
「そんな気負わなくても大丈夫。別に私達の誰かと一対一で戦わせようってわけじゃないからさ」
「それ、フラグにしか聞こえません…」
しかし渋る俺を他所に話は進む。
「いいから付いてきて」
恰好こそいつもの体操服だが、向かう先は校舎の地下。
「一体どこに?」
「秘密の特訓場…、なんてね」
「えぇ…」
ふざけた回答ではあったが、通された部屋を見た瞬間
「まさか本当に…?」
現実離れしたと感じてしまうような真っ白な部屋。
設置物などは見当たらず、だだっ広いだけの空虚な空間だった。
「はい。それじゃあ、海崎くんの相手はこれ」
ヘッドマウントディスプレイみたいなのを手渡される。
「えーと…、これは?」
予想外のものに少々理解が追いつかない。
「VR技術を利用した試作品。被ってみれば分かると思うよ」
「はぁ」
言われるがままに装着してみる。
すると自動的に起動し始め、すぐさまゲームのスタート画面のようなものが表示された。
『設定や進行はこっちが全て受け持つから、海崎くんは指示に従うだけでいいわ』
和月の声が音声として聞こえた。
どうも耳まですっぽり覆われているらしく、外部からの音は一切入ってこない構造らしい。
未知の体験に興奮と不安が入り混じる中、不意に画面が切り替わる。
(…ここは?)
見渡してみると、どうも大きな廃墟の中のようだ。
そこでReadyの文字が空中に浮かんでいる事に気づく。
続けて「準備完了ならば右手で指させ」と表示される。
(よし、やるか!)
揺れる心を一喝し、その勢いで指さす。
すぐさま文字が消え、その代わりに1人の兵士が出現する。
緑の単一色で統一した軍服。
武器を携帯しているようには見えない。
遅れて表示されるクリア条件を確認して嘆息する。
(制圧しろ…か)
和月が何をしたいのかは分からないが、俺は本格的な近接格闘術など習った事はない。
あるのは能力を併用した、いわゆる力押しだけ。
『悩んでいる海崎くんに嬉しいお知らせ。第一フェーズまでの能力なら使用可能です』
フェーズ。
これは能力における4つの各形態を指した呼び名である。
第一フェーズには能力の基本である身体強化などが含まれる。
これは属性に依存せず、また全ての能力者が扱う事ができる。
基本的に第二フェーズ以降と違って、発動文句を必要としない。
しかし能力者であれば誰でも扱える半面、ここまでしか扱えない者は大勢いる。
フェーズを重ねるごとに行使可能な人数は減り、最上位と言われている第四フェーズは世界的に見てもほんの一握りだという。
(…なら遠慮なくやらせて貰おうかな)
意思に反応した力が、急速に身体に行き渡る感覚。
画面端に能力発動中と表示されるのを確認して突っ込んだ。
(ふぅ、こんなもんか)
条件達成による勝利。
VRの模擬戦闘を初めて3日目。
初回こそ感覚の違いに戸惑ったものの、数を重ねるごとに慣れていく事は出来た。
ゲーム感覚としては悪くはない。
しかしこれは実戦を想定しているはずのもの。
そうなると自ずと欠点も見えてくる。
触覚に訴える機器に対応していない分、反動といったリアルな感触が無い。
「会長」
『何かな?不具合でもあった?』
思い切って何とかならないか尋ねてみた。
『あー、それなら』
少し待つように言われた。
(何とかなるもんだな)
あっさり通った事にいささか疑問を感じ得ないが、ともあれ要望が通った事に満足した。
『相手のモーションを再現するロボットを用意しました。これなら要望に応えられるとは思うけど、あまり本気でやらないでね。壊れると色々と面倒だから』
忠告もそこそこに早速開始した。
(おぉ、これはリアルだ)
こちらが攻撃しようと拳を振りぬくと、相手にガードされた瞬間に硬い感触を感じた。
逆に相手からの攻撃を受ける場合も、硬く鋭い感触が身体に伝わるのだ。
それはよくあるバイブレーション機能で被弾を知らせるような物とは明らかに違う。
身体が感じとる刺激が、今まさに戦っているのだと実感させてくれる。
VRとロボット。
バーチャルとリアルのハイブリッドな戦いに没入していった。
『お疲れ様。次が今日のラストだけど大丈夫?』
「大丈夫です」
ロボット無しの時と違い、生身に受けたダメージが存在する。
攻撃はかなり軽めに調整されているみたいだが、それでも受けた場所を含めてちょっと痛い。
だが次がラスト。
痛みのせいもあってか、むしろやる気が漲ってきた。
『じゃあ…、始めようか』
今まで無かった和月の合図。
それが妙に耳に残った。
(うん…?)
今まで全く変わることがなかった敵役。
外見上の変化は無いようだが、どこか違和感を覚えた。
(体格か?少し背も低くなって…?)
しかし悩んでいる暇はなかった。
敵役が痺れを切らしたかのように動き出したのだ。
(っ?!早い!)
桁違いの速さで接近され、流れるように繰り出される拳。
回避は間に合わないと判断。
直後、防御した腕から凄まじい衝撃が走った。
「っつう!」
思わず声が漏れる。
身体強化の恩恵があったとしても、下手すれば折れていたかもしれない。
その後も敵との攻防は後手も後手。
こちらからの攻撃なんて夢のまた夢。
むしろ防御が間に合わず、息が詰まるようなダメージすら貰っていた。
今までとは明らかに違う。
少しでも気を抜けば即刻アウト。
こちら側の敗北条件は今まで気にも留めていなかったが、今更になって画面端のHPゲージに目が行く。
(まずい。もう半分割ってる)
現実とは違って死にはしないが、それでも負けは負け。
この間にもじりじりと減り続けるゲージ。
(こんなことで…!)
能力は第一フェーズまでに制限されている。
ならばその範囲で足掻けるだけ足掻く。
動体視力なんて序の口に終わってしまうほどに、ありとあらゆるものを総動員する。
技術が無いならないなりに、思いっ切ってぶつかっていく。
するとここにきて初めてクリーンヒットが決まる。
さぁ、反撃開始と意気込むと、無情にも終了が告げられた。
こちらのHP全損による敗北。
(くそっ!)
あまりに不甲斐ない結果に、悔しさと怒りがごちゃ混ぜになる。
もう用はないとばかりにヘッドマウントディスプレイを外した。
久々に感じる無機質な空間が目に飛び込んでくる。
しかしすぐにおかしい点に気づく。
「…何やっているんです?」
「ん~?」
俺の目の前にはロボットなどではなく、生身の人間…、和月が立っていた。
当のロボットは壁の方に避けられており、ラストの戦いの相手ではないことを物語っていた。
そしてその相手の正体。
俺と同じヘッドマウントディスプレイを頭に付けた和月が、ちょうどそれを取り外していた。
「何のつもりでこんな事を?」
「理由はまぁ、色々あるかな」
「…例えば?」
「私もやってみたくなっちゃった~、とか?」
「………」
「ごめんごめん。真面目に答えるから、許して」
手に持っていたヘッドマウントディスプレイを持ち直す。
「私はね、君の本気を見てみたかったの」
「本気…ですか」
「うん。だからさ」
「もう一戦。今度は外でやってみない?」
実技で何度もお世話になっているグラウンド。
ではなく、その先、海へと出ていた。
「フロートリングの扱いもかなりのもの、か」
ますます楽しみだと言わんばかりの笑顔を向けてくる。
彼女に連れられて、島の反対側の海上まで来ていた。
ここなら人目につくことはない。
だから思う存分やってくれ。
これが和月が用意してくれた舞台だった。
「それで、ルールとかどうするんです?」
「どちらかが降参するまで、と言いたいけれど…」
またもや何か手渡される。
見たところ軍用のタクティカルサングラスのようだ。
「それは実戦にも使用されている能力者用の特殊な物なの。今回はその機能の1つを利用して決着のタイミングを図ることにするわね」
促されるままかけてみると、これまた自動で立ち上がる。
「センサーが使用者のバイタルを表示してくれていると思うんだけど、どうかな?」
「視界の端のやつですよね?」
「それそれ。使用者が危険な状態にあると判断すると、自動的に警告してくれるから、それを目安にしてちょうだい。無理しないように互いに状態を共有する設定だからそのつもりで」
「わかりました」
ほどなく彼女のバイタルが自身のよりは小さいが表示された。
対戦環境は準備万端整った。
「どこまでやっていいんですか?」
「君が出せる全力でお願い。私の心配はいらないから」
目の前の相手は間違いなく強敵。
噂やテレビなどで伝え聞く激戦をその身で経験した手練なのだ。
しかし不思議と気負ったり緊張したりといったものは感じない。
本来ならもっと先、それこそ実戦で発揮するものと踏んでいた全力をここで発揮する。
更には相手はその全てを受け止め、そして何倍もの規模で返してくれる。
戦闘狂などではないが、沸き立つ高揚感は悪くなかった。
(あぁ、でも…)
こんな気分になったのも、もしかしたら和月が仕込んだ事せいなのでは、と考えてしまう。
俺の覚悟を見定めるため。
もしかしなくとも、零華が仕掛けたものと大差ないのかもしれない。
「じゃあ…、始めようか」
初手は俺から仕掛けた。
陸上とは違う独特な感触を踏みしめ、猛然と突っ込む。
対する和月はただ悠然と佇んでいた。
お互いとも既に第2フェーズまで展開しており、漆黒と月白の光が接触を予感して激しく明滅する。
両者接触の間際。
俺は身体強化は勿論のこと、先程はフルに発揮することがなかったモノを鋭敏にして解き放つ。
またそれ単体でも十分に攻撃力を秘める光の粒子達を、繰り出す拳に集中。
(まずは1発)
挨拶というにはキツめの一撃を、和月のど真ん中目に掛けて振り抜いた。
「甘いよ」
ようやく和月も動き出す。
利き手を返し、手の平で俺の拳を受け止めた。
(やっぱりダメか!)
一発の威力は生半可な防御などものともしないレベル。
人など容易く吹き飛ばし、非装甲の自動車ならば一瞬にして大破させるほど。
それを加味した上で、更に数倍の力を込めて打ち込んだのだが、案の定受け止められてしまった。
しかしそれで諦めるなら勝負など受けたりしない。
素人に毛が生えた程度の技術をなんとか形にして、可能な限りの速さをもって打ち込み続ける。
「さっきの事を引きづっているみたいだけど…」
「それで勝とうなんて思っちゃいないよね?」
「ぐっ?!」
強烈なカウンターを叩き込まれた。
あまりの衝撃に吹き飛ばされる。
また防御が間に合わなかったのもあって、その一撃で身体が悲鳴を上げた。
フロートリングのおかげで沈みこそしないが、弾けた海水で顔を洗う事になってしまった。
「慣れない土俵で戦い続けるのは愚の骨頂。それでもやろうってなら、相手になってもいいけど?」
言葉の追撃を受けて思わず歯ぎしりする。
「言ったでしょ、遠慮はいらないって」
「………」
「はぁ、ならこう言えば良いのかしら。佐世保から話は聞いている、って」
「それは…!」
「全部知った上であなたに仕掛けているの。ほら、グズグズしてないで早く来なさい」
まるで挑発するように光の粒子を踊らせる。
彼女の言葉を受け、反芻し、過去の記憶を省みて…、決断した。
「エンゲージッ!」
光の粒子を束ね、第3フェーズへと昇華させる。
相次いで大量の粒子が現出し、明確な意思の元に統制、組み合わされていく。
最初に形となったのは巨大な盾。
半透明から徐々に色が濃くなっていき、その濃密な色合いが頑丈さをアピールしていた。
精製完了した盾は次々と周囲に展開され、他の流出と混じって滞留し始める。
「ようやくね。それじゃあ、私も」
エンゲージ。
まるで夜空に浮かぶ月のよう。
それはとても美しく映え、対戦相手だというのに見惚れてしまった。
そして瞬く間に俺と同じ体制を、より洗練された形で整えた。
(…手強いな)
言い知れぬ劣等感を感じてしまう。
指先1つの動きですらそう感じてしまうのだから、精神的にも劣勢を強いられていると言ってよかった。
だがそんな弱気を敢えてねじ伏せて
「いくぞ」
「来なさい」
白と黒の乱舞。
互いの攻防がせめぎ合い、それはさながら花火のごとく。
緒戦と比べて近接戦闘は鳴りを潜め、飛び道具を駆使した中距離戦闘が繰り広げられており、全く異なる様相を呈していた。
宙に幾つもの陣が展開し、精緻な幾何学模様が激しく明滅する。
そして次の瞬間、光り輝く光弾が撃ち出された。
色こそ違えど、互いに幾つも応酬し合う。
漆黒の砲弾が飛翔すれば、月白の盾が受け止める。
その逆もしかり。
(威力はこっちが上の様だが…)
自身が得意とする砲撃戦。
手数や威力などを含めた時間帯火力はこちらに分があり、ここにきてまともかつ、安定して戦えるようになってきていた。
和月もまた、負けじと多数の砲撃を放ってくるが、威力が劣るせいもあってか攻めあぐねているような気がする。
しかし一方的かと問われれば答えはノーだ。
(まだ一発もバイタルパートに命中できてない)
相手をダウンさせるには、相手自身の身体に直撃させる必要がある。
つまりバイタルパートに命中させるということだ。
これは戦闘艦の装甲を盾に、重要防御区画を能力者本人に見立てた事から付いた通称である。
その見立て通り、相手の装甲を抜くには相応の火力が必要となる。
それだけの貫徹力を秘めた攻撃手段は自ずと限られてくる。
(でもあれ、制御出来ずに不安定になるんだよな…)
それをもってウイニングショットとするには博打が過ぎる。
失敗すれば間違いなく自滅して負けるだろう。
更に仮に実行しようとしても、発射までの時間は今までの比ではない。
併せて膨大な力と集中力を要するため、当然ながら隙は大きくなる。
最大のチャンスであるそれを見逃してくれるほど和月は甘くはない。
果たしてリスクに見合うメリットはあるのか。
成功すれば勝利の可能性は高くなるは理解している。
この勝負にのったのも和月に勝つためであった。
ならば挑むべき。
しかし不思議と決め手に欠けている事を自覚してしまっている。
答えを求め、内外へ目を向けてみる。
そうして目に入るのは勝利の渇望と、今なお激しい砲撃が行き交う最中で笑顔を絶やさない和月。
そこではたと気づく。
和月はこれこそを待ち望んでいたのではないのかと。
現にこちらと視線が合う度に問われるていた。
どうした、こんなものか?、と。
(…会長、煽った分は責任もって受け止めてくださいね)
何度目かの大きな決心。
自身の優柔不断さが招く迷いに辟易しつつ、特大の賭けに向けて仕込みを開始した。
海上でぶつかり合う2人。
それを島の外周を走る堤防より眺める3つの影。
和月は蒼麻に対し、人目につかないと説明していたが、その実観戦者がいたのだった。
「すごい…戦いですね」
「…そうですね」
璃音の素直な感嘆に、零華は苦い気持ちを抑えられなかった。
一方の一音はというと、どこか清々しい顔で堤防の上に立っていた。
事情を深く知らない璃音とは違う、言うなれば私と同じ立場なはず。
だというのにこの差は何だろう。
彼…、蒼麻が編入して来てから早くも2週間が経つ。
初日からほんの数日で思いもよらない顛末を迎えてしまい、極めて短期間で互いを深く知る関係になっていた。
こんなつもりではなかったと言えば嘘になる。
内に抱えた秘密を他人に理解して貰う。
これがどれだけ救いとなるのかを知る事が出来た。
前々から促されていながら、ついぞ果たすことの出来なかったこと。
せめて共にいく仲間くらいには…
(私だけ…取り残されてる)
チラつくのは今は亡き戦友であり…、先輩。
かけがえのないものを失って得られたものは後悔のみ。
それを打ち破り、前へと踏み出すには私の心は弱すぎた。
このまま空虚なままの日々を送っていくのか。
しかし悲観していた私の前に彼が現れた。
こんな私に寄り添ってくれた人の弟。
奇しくも昔と同じ経緯を辿ったのは天の悪戯か。
(けれど…)
未だ何も変えられていない。
一音に目をやる。
先ほどと変わらず、軽く仁王立ちにも見えるその姿は、彼女の根幹を体現しているようだった。
その中で自然と吸い寄せられるのは彼女の目。
とても強い光を湛えているようだった。
今までその強さに憧れ、なりたいと願っていた。
そうなればきっと…、何度考えたことか。
きっとその在り方は間違っていない。
しかし弱い自分が、長らく貯めこんできた過去の負債という強敵に打ち勝てるのだろうか。
今はその術を…、何より切っ掛けが欲しかった。
視線を感じる。
だが目線を向けることはなく、その正体を看過していた。
(言いたいことがあるなら、早く言ってきなさいよ…)
いつ何時でも、そう思わずにはいられなかった。
第一印象はとても丁寧で育ちがよさそうな人。
他人への対応も配慮が行き届き、そして優しい。
性分のせいか、良くも悪くも一直線な自分とは大違い。
実力もまた素晴らしく、仲間としてとても信頼できた。
目に付く不満など全くない。
しかし間もなくして、そんな評価に陰りが見えてしまった。
彼女は仮面を付けている。
そう感じたのは彼女と知り合ってから暫く、欧州遠征の最中であった。
何も特別なイベントやハプニングに遭遇したからというわけではない。
彼女が私と、そして誰かと話している時。
そんな普通の一コマを眺め、回数を重ねていく。
暫くしてふと気づく。
上手く説明出来るような明確な言葉が浮かんだわけではない。
しかし確かに感じたのだ。
彼女の言葉と、感情。
外と内が噛み合っていない。
ずれている、と。
それからは常に小さい疑念と寄り添う日々だった。
しかも質の悪いことに、それは時間の経過と共に大きくなっていった。
ゆっくりと、少しずつ。
遠征から帰り、信頼していた先輩達を失い、部隊が解散しても。
今や少なくないウェイトを占めるそれが、彼女への信頼に巣食い始めてもおかしくなかった。
更にこの地に来てから過ごす平穏な日々が、病状悪化へ拍車を掛けているとすら考え始めていた。
それだけではない。
彼女が長らく向けてきた目線こそ、むしろ元凶といえる。
今もそうだ。
何か言いたげに私の方を見ては、何事もなく逸らしていく。
耐えかねて過去に何度か尋ねてみても、何でもないの一点張り。
(よく我慢できたわね…、私)
総括すると我慢の限界は近かったといえる。
しかしそれは過去の話。
意識を海上へと向ければ、相変わらず吹き荒れる光の嵐。
白と黒のコントラストが蒼い海によく映えていた。
(まさか会長相手にここまでやれるとはね)
彼は確かな実力を秘めており、その成長は期待出来るものがある。
間違いなく私達の力になってくれるだろう。
それは共に戦う仲間として心強いという意味。
だがそれだけではない。
いつまでも過去に縛られたままの私達を変えてくれる力。
彼なら間違いなく変革をもたらしてくれるはず。
最近は特に、横でうじうじしている彼女と色々やっているようだ。
終わりは近い。
そう予感させた。
だが敢えて欲を言わせて貰えるならあと一つ、決め手が欲しい。
それはきっと…
(見せてもらうわよ。あなたの全力を)
凄い。
人は何かと圧倒されると、語彙力が低下してしまうらしい。
しかしその言葉を連呼してしまっても、おかしいと感じないレベルに達してしまったのだから仕方がない。
切っ掛けは会長から面白いものを見せると言われたこと。
他の先輩方と一緒にここまでやって来ると、最近ここに来たばかりの先輩…、蒼麻が会長と戦っていた。
どうやら模擬戦をやっているようなのだが、今まで見たことないくらい激しい攻撃の応酬に驚き、圧倒されてしまった。
ここに来る前、つまり佐世保にいた頃にも訓練や模擬戦を見る機会は多かった。
当然自分も参加することもあって、決して珍しいものではない。
よって似たような形式の戦いも見たことはあるが、目の前のそれはレベルが違う気がした。
(海崎先輩の相手は、あの伝説の…)
能力者の界隈なら誰もが知っている伝説の部隊。
たった5人で遥々欧州まで行き、戦い、帰ってきた。
ある種の英雄と称される者達を束ねたリーダー、その人であるのだ。
そんな人を相手に一歩も引かずに戦っている。
並みの人間ならそもそもその舞台にすら上がりたがらない。
そんな彼の姿に強く驚き、感動し、尊敬した。
(…あ…)
胸を駆け抜けた既視感。
何故かその感覚を逃がしてしまうのは強く躊躇われ、必死に捕まえる。
今もなお戦う彼の姿と照らし合わせ、その正体を懸命に探った。
どこかで見たことがあるのか。
それとも誰かに似てるのか。
記憶の引き出しをあちこち引っ張りだしては、目の前のそれに当てはめていく。
記憶を刺激するキーワードを手掛かりに探っていき…、それは見つかった。
しかしパズルのようにピタリとはまったわけではない。
何故なら性別も関係性も戦い方だって違う。
でもその根幹、抱いた心象が同じだったのだ。
(お姉ちゃん…)
初めて姉…、暁璃の戦う姿を見たのは、まだ初等部の頃。
能力者として開花していた彼女はとても強く、通っていたキャンパスで敵なしの状態であった。
同じ能力者であることは勿論、何より家族として自慢の姉であった。
更に暫くして、選りすぐりの精鋭のみを集めた部隊のメンバーにまで指名されたのだ。
それは名実共に日本屈指の強さを認められた証拠に等しい。
よって誰もの羨望の的となり、目標となった。
当然ながらかく言う私もそれを強く意識して、日々の訓練や授業に励んだ。
やがてその努力は実り始め、周囲からの評価も徐々にだが上がっていった。
だが何よりも嬉しかったのは尊敬する姉から褒められたこと。
それを糧する事でどんな困難にも立ち向かえた。
だがそれは有限だった。
あんなに強かった姉は今はいない。
あんなに大きく見えた背中はとても小さくなり、頑張ったねと褒めてくれた優しい声は聞こえなくなった。
顛末を知った者は皆悲しみ、私も…
(あぁ…、泣けなかったんだっけ…)
あまりに大きい存在であったが故に、実感が伴うには時間がかかったのだ。
唯一しっかりと自覚出来た感覚は空虚だった。
補完の目途など立つ筈もなく、また自前で満たすには大き過ぎる。
どうすれば良いのか分からず、内面に四苦八苦する日々を送らざるえなかった。
更に追い討ちを掛けられる事態が発生した。
なんと暁璃と、妹である私を比べ始めたのだ。
ただ単に応援という名の期待が高まっただけなら話は単純である。
だが周囲の目に留まったのは能力だった。
姉妹といえど、全くの同一存在などではないのだから、当然ながら差異は出てくる。
能力もまた然りで、姉はAAC…つまり攻撃機。
対する私はRAC…、偵察機だった。
戦闘に関わる以上、直接攻撃出来る手段を持つ種別持ちは花形だ。
しかも空を翔けて戦う姉の姿は周囲に強い印象を残していた。
なまじ同じ属性であったのが災いしたのもしれない。
そこから起きた事はあまり思い出したくない。
しかし捨てる神あれば拾う神あり。
状況を知った佐世保の学生会長から、転属して来ないかと誘われたのだ。
その時の私は度重なるストレスで疲労し、能力発動にすら影響をきたしていた。
佐世保に行けば何か変えられるかもしれない。
そう願い、藁にも縋る気持ちで転属を決めた。
佐世保また、姉と同じ経緯で選出された学生が在籍していた。
そのため少なくない注目を浴びたが、結果として何も問題は起きなかった。
人目を過度に気にする事なく、何事もない平穏な生活を送る。
それすら幸福と感じるのだから、私が抱えていたものが如何に深刻だったのかを思い知らされた。
そして暫く。
当たり前の日常とやらにようやく慣れてきた私は、現在も同キャンパスに在籍しているという姉の知り合いを探すことにした。
何か変わるかは分からないが、会って話せば得られるものがあるかもしれない。
思い立った私はすぐさま行動に移した。
しかし直ぐに見つかると思っていた私の予想は裏切れる。
なんと帰国後暫く、全く学園に顔を出していないという。
その行方は誰も知らないらしく、このままでは諦めるしかなかった。
しかし私には最後の手段が残されていた。
それは学生会長へ直接聞いてみること。
通常の学校のそれとは立場や権限が圧倒的に違う。
そんな人ならば、きっと何か知っているに違いない。
転属時に面倒を見てもらった縁を生かし、早速コンタクトをとった。
(けれど会えなかった)
会長に、ではない。
会長自身には直ぐに連絡がつき、話もまた聞いてもらえた。
しかし目当ての人物、姉の知り合いに会うことは結果として叶わなかった。
聞けば姉が亡くなった一件から特殊な状況に置かれてしまい、表立って動けないらしい。
また近いうちにに出ていくとも。
行き先は当初濁されたが、なんとか粘ってみるとこっそりと教えてくれた。
時期を同じくして新設されるキャンバスに移る、と。
そこには関係者…、つまり姉の所属していた部隊の人達のみ在学が許される場所。
その特殊性から、役目を終えるまでの数年間のみ機能する臨時のキャンパスという扱いのようだ。
それ以上の詳しい話は聞けなかったが、正直にいってそれ以上のものに興味はなかった。
ある未来の想像と、それがもたらす恩恵で頭の中が満たされていたからだ。
それを早く現実のものにしたいと思うのは、至極自然の流れであったといえる。
きっと、もっと時間をかけて深く考える方が賢いと言われる。
しかしこれを実現するには、今ここで決めてしまわなければならないという予感があったのだ。
少し考え…、私は直感を信じることにした。
そこからはあっという間。
実質的に部外者であった私の受け入れで多少揉めたものの、無事に転属。
先輩達と比べて実力差は如何ともしがたがったが、将来の可能性について大いに期待されたのは嬉しかった。
無論、私の過去や能力の不調についても全て話した上でだ。
そんな素晴らしい人達と過ごして現在。
かつての全盛期を0とするならば、未だマイナスの領域のままなのが現状だ。
しかしプラスの方へと着実に進めているのもまた確かな話なのである。
例え時間がかかっても、これならきっと…
ドンッ!
交差し、弾ける強い光。
それは私に呼びかけた。
璃音、あなたはもっと強くなれる。
きっと世界の誰よりも…、そして私すらね。
だってあなたの力は唯一無二のものなんだから。
(…?!)
それはいとも簡単に私の考えを塗り替えた。
(このままじゃ、お姉ちゃんを超えられない)
何故なら能力者にとって最高の環境に身を置いているにも関わらず、悠長にリハビリで甘んじているのだ。
姉は今の私とそう変わらない歳で活躍していた。
だというのに言い訳を並べては、ぬるま湯に浮かべて浸かっている。
途中で辛いことがあったからとか、能力が不安定になってしまったとか…。
挙げ出したらきっと止まらなくなる。
昔と変わらない弱いままの自分。
私には「強さ」が足りない。
全盛期の栄華はきっと姉のおかげ。
尊敬という名の依存で自分を騙し、自身の足で立っていなかった。
しかし姉がいなくなり、支えもまた消失した。
これではバランスを崩し、立ち上がることすらままならなくなる。
打開しなければならない。
しかし残念ながら単独では無理だろう。
出来るならとっくにやれている…
(ううん。切っ掛けが必要なのかも)
くすぶったままの火種を大きく燃え上がらせるための何か。
それは幸運なことに、絶好の機会が目の前に展開されていた。
2人の戦いは拮抗しているようだが、このままでは絶対に終わらない。
実力を考えれば和月だが…
(海崎先輩は諦めていない。きっと何か手を考えている)
彼の一手が新たな自分を切り開くチャンスと願って…