その2
ーその2ー
署内の面会室に通された詩音とオトポールは、今は“被疑者”となった彼の弟クマラと対面した。
ここは立ち合いの警護官は見張っているものの仕切りのガラスはなく、テーブルに対面して話を聞けた。
2メートル近い体つきのクマラは小さくなって椅子に腰掛けていた。
「いいか、オレたちが絶対お前を助けてやる。だから待ってろよ、諦めるなよ」
兄は窮地の弟に向かい、何度も励ました。
その時、詩音はひとつ異変に気付いた。
うつむいてるクマラのグッと握りしめている右手だけボロボロなのだ。皮がめくれ、肉が裂け、左手に比べ倍近く腫れ上がっている。詩音は以前目の当たりにした、ハンター仲間が拷問を受け、焼けた鉄棒で十数回も殴られた傷跡に似ていると感じた。
「大丈夫だ、こいつは信用できる。お前を助けるためにオレが連れてきたヤツだ。頼むから見せてやってくれ」
オトポールは弟に諭すように言って聞かせた。
クマラは詩音を見つめた。
詩音はクマラを見て、ポケーっとした顔だがクリクリして邪気のない綺麗な目だな、と感じた。
クマラは、詩音を信用したのか、ずっと閉ざしていた右手をゆっくり開いた。
詩音が中を覗き込むと、そこには——
「これって、ハエ?なんで」
「頼む、弟を助けるのにはこれしかねーんだ。このハエを使って弟の無実を証明してくれ!」
「ぬなな、まだ意味がわかんねー どーゆーこと? あんたの弟が犯人なんじゃないの?」
その時、面会室に尖った革靴の音が響き、ひとりの刑事が入ってきた。
「もう諦めろ。そいつがやったことは間違いない」
すべてのパーツが尖った男、キース刑事は禁煙の貼り紙あるこの部屋で細い葉巻に火をつけて、飛び回るハエを憐れに見つめた。
「ふん、大事そうに隠しだてしてるから何かと思えば、ハエか。飛んだ取り越し苦労だったな」
「貴様っ!」
怒気まじりに詰め寄るオトポールのツンツン立った髪をキースは掴みあげ、
「おい小僧、チンケなショーバイ続けてるとお前もブチ込むぞ。手間ぁ増やすなよ」
「くっ!」
つかさあ、と詩音はキースらに聞こえるようにつぶやいた。
「なんでその女の人、殺されちゃったの?」
「なんだ、貴様は」
キースは詩音を見下し言い放ったが、詩音はわざと色目を使いクネクネしながら熱い眼差しでキースを見つめた。
「なんだそれは……」
「うっ」
本人はそれなりに自信あったみたいだが、詩音の“色目”はキース刑事に全く通用しなかった。
「まあいい、そいつが殺した証拠が揃っている」
詩音は傷ついたのかそっぽ向いてブーたれたが、キースはかいつまんで今回の事件について口を開いた。
(キースにとって詩音は警戒する必要がない雑魚として見てくれたのだろう)
今回殺害されたのはポラという通称“ミルク売り”と呼ばれていた高級ガールだった女性で19歳。
このポラは“犯人”のクマラと数週間前から自宅前で口論になっていたり、深夜何度も待ち伏せの上、後をつけるなどイザコザが起き、それらは複数の目撃者もいた。
そして、犯行当日、狂気に使われたマフラーは数日前にポラが盗まれたものでクマラのDNAが検出された。
その場にいたクマラをキースと警官らが現行犯逮捕したのだった。
「デタラメだ!」
食ってかかったオトポールを警備員が制止した。
「この数ヶ月、10代少女をターゲットにした誘拐事件が続いている。こいつにはその余罪も考えられる。大方、誘拐が失敗して殺害したんだろうが、これから全貌を吐かせてやるから覚悟しておけ」
「でっちあげだ、弟はそんなことやっちゃあいねえ!」
警備員に羽交い締めにされているオトポールは歯が軋む音が聞こえるくらい噛み締めて吐き捨てた。
「必ず、弟の無実を証明してやる」
キースは尖った両目でオトポールを突き刺した後、クマラが手探りで宙をかき分かるような仕草を繰り返していた。まるで心配そうに何かを探しているように見えた。
「ハエは、ハエはどこだ?」
さっきまでいたハエがいなくなっている。
キースも両目だけで追ったがたしかにいない。
えっ、とオトポールも息を飲んだ。
唯一の頼みだったハエがいなくなっている。
キースは薄っすらと笑みを浮かべながら吹かしていた葉巻をオトポールに放りつけた。
「ふっ、公判は3日後だ。面倒は起こすなよ。“共犯”になりたくないならな」
尖った革靴の音は遠ざかっていき、オトポールは去って行くキースを睨み続けた。
「くそっ、あのクソヤロー。弟は無実だ。サツの不手際をみんな弟になすりつける気だ」
だが、大事な“目撃者”がいない。オトポールに焦りの色が浮かんだ。
詩音が声をかけた。
「ねえ、なんで弟をそこまで助けたいの?」
「なんでだと?」
オトポールの声に一層熱が帯びた。
「いいヤツなんだよこいつは、オレみたいなクズとは違って。こいつは軍人と警官に憧れてたんだ。みんなを守る仕事だからって。けど、知能検査と適性検査でどっちもなれなかった。頭が、ちょっと、な」
だが、と続けた。
「スーパーで警備員なんかやっててもこいつは、みんなの役に立ちたいってそういうヤツなんだよ。事件なんか起こすヤツじゃねえ、絶対に」
なんとかしてやりてえんだ、と言いかけた時、詩音がパカっと口を開いた。なんと中からハエが飛び出てきた。
「いったい、いつの間に⁈」
「“目撃者”は大事にしなくっちゃ、ね!」
「口の中に隠していたのか、道理で見つからない訳だ、抜け目のないヤツ。けど気に入ったぜ!おかげでキースのヤツにもバレなかった」
上機嫌のオトポールに詩音は、輝いた目で宣言した。
「いいわ、その依頼受けた!」
「ホントか、ホントに、で、できるのか?」
「このハエから聞き出せる『花』があるわ。それを見つける。その代わりーー」
「た、頼む。金ならなんとかする。なんなら、今オレが取り扱ってる風邪薬と抗がん剤を特別にキミに回す」
オトポールが普段扱っているドラッグは本当に“薬”のようだ。
「ギャラは当然いただくわよ、キッチリ。ただ、ひとつお願いがあるの」
「な、なんだ、言ってくれ。弟を助けるためならできる限りのことはする」
「お願いね。でも、こっちが終わってから♡」
交渉成立。
結んだ契約は以下の通りだ。
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《契約概要》
依頼人:オトポール22歳
担当者:佐保姫詩音13歳
依頼内容:依頼人弟クマラの無実を証明するため、“目撃者”から目撃情報を引き出す『花』を見つけ確保。
報酬:10,000コイン+税(仲介人のエンジェルには前金で3、000コイン+税はすでに支払い済み)
別途、仕事完了後に詩音の“お願い”をひとつ聞くこと
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ーその3に続くー