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セイバートゥース ~魔を狩る牙~  作者: 夢見シン
闇夜の悪ガキ達
8/20

3

 修練日明けの土曜日。実行役である空護と煉、風真、そして源一郎ともう一人の《支援役》二人の計五人は正午過ぎに日ノ出市を発ち、岩戸村へ出発した。


《支援役》とは実際に仕事に当たる実行役を文字通り支援する役のこと。


 競りで仕事にありつけなかった魔狩が実行役に自分を売り込んでその役に就く。


 本来は実行役側に必要の有無を決める権利があるのだが、今回に限って空護は志願してくれた二人に感謝したかった。


 なにせ支援役のギャラは実行役の手取り分から支払うことになっている。


 そのため今回みたいに実行役のギャラが乏しい仕事では、割に合わないという理由で支援役を買って出る者がまずいない。そしてそうなると空護達は非常に困ることになるのだ。


 それは現場までの移動手段だ。空護は子どもなので車の免許がない。すると現場が遠い場合に苦労する。電車を使えなくもないが、色々怪しい仕事道具を持ち運ぶことになるし、そのせいで疲れるので極力避けたい。


 つまり空護達が遠出するには大人の支援役が必須で、安い仕事を承知で引き受けてくれた源一郎達は恩人と言っても過言ではないのだ。


「会津連中には俺らもドタマにきたからな。気にするな」


 礼を言うと、源一郎はそう言ってはにかんだ。口とは裏腹にこっちに気を遣ってくれたのが丸分かりだ。出発直前に風真はそのことで冷かしていたが、やり過ぎたせいで締め上げられるという逆襲を食らい皆から笑われていた。


 そんな小旅行にでも行くのかというノリの五人を乗せたミニバンは、途中二回の休憩を挟みながら目的地へひた走る。


 日ノ出中央ICから常磐道を北上し、いわきJCTで磐越道に乗り換えしばらく道なりに進み、会津坂下ICで高速を下りると下道を激走。休憩込みの約四時間で空護達は岩戸村に到着した。


 初めて訪れる場所、それは旅行に置き換えると感慨深い気持ちになる割と重要な要素。


 そんな場所に訪れて最初に言った記念すべき一言がこちら。


「スゲーしけた村だな」


 フロムバイ風真である。訪れる前に調べた情報によると、周囲を山に囲まれた岩戸村は全国有数のキャンプ地であり、川釣りの聖地でもあるそうだ。


 この時期なら賑わった観光地であるべきだが、今や風真が言った通り寒村にしか見えない。鳥の鳴き声と相まってなんとも侘しい情緒しか感じなかった。


「とりあえず、依頼人に会おう。まずは村長に挨拶だな。……待て風真! 車から出る前に覆面と外套を着けろ。誰か見てるかもしれんだろうが」


 源一郎に言われて風真が慌てて準備を整える。魔狩は正体を知られては不味いので覆面や外套といった身を隠す装備は必需品だ。空護と煉はとっくに装備済みだった。


 正直、風真にはこの仕事どれだけやってんだとツッコミたい。ひとまず車は村から離れた場所に停めて、空護達は依頼人に会うべく岩戸村の中心部を目指して歩き出した。



 日も落ち切った山の中を三つの影が翔ける。影の正体は空護、煉と風真の少年三人組。


既に覆面と外套は脱いでおり、三人は各々の武具を携えて臨戦態勢を整えている。


 共通装備として魔狩の装束に身を包み、個々の装備は煉が狙撃銃を背負い、風真が両手に手甲を着け、空護は腰に日本刀を差して頭部に鉢金を被るといった出で立ちだ。


 到着時までの旅行気分は抜け去り、空護は魔を狩ることだけに没頭する。人間としての感情を封じ込め、雑念を捨て去り、ただ目的を果たすために全力を――。


「だぁーっ! やってられるかーっ!」


 尽くさねばならない筈なんだが、お前はなんちゅう態度で仕事に臨んでやがる。


「風真、うるさい」

「うん、お願いだからしばらく黙ってて」


 当然窘める。しかしその言葉には嫌でも険が含まれてしまう。つまり空護も機嫌が悪くて更にそれを隠せてなくて、要は仕事に徹し切れていない。


 しかしだ。こちとらそれを押し殺して仕事に集中しようと努力しているのだ。


 やっぱり大っぴらに不平を漏らされるとなんか神経が逆撫でされてしまうのだよ。


 それなのに当の本人は喚くのをやめてくれない。


「これが言わずにいられるか! なんでオレらがあんな連中のために骨を折らなきゃいけねぇんだよ⁉」

「なにを今更。やめる選択肢なんて最初からねぇだろうが。それこそあの連中になに言われるか分かったもんじゃねぇ」

「そうだね。それに気が乗ろうと乗るまいと、僕ら既に標的の懐に入りかけてるんだから、周囲にしっかり気を配ってないと死ぬよ」


 二人がかりで窘めてようやく静かになった風真だが、顔は相変わらず仏頂面のままだった。競りで嫌がらせの依頼を押し付けられ、それでも仕事に向かうモチベーションを上げたってのに、まさか直前になってこんな事態に陥るとは。


 こうなった原因は《あの連中》――岩戸村民と接触したことだ。


 話を聞きに村長宅へ伺おうとしたが、村に入ってすぐ村長が出迎えてくれた。


 そこまでは良かった。


 村長は頭頂部がやや禿げた白髪で真っ白な頭が特徴的な初老の男性だった。


 その柔らかい物腰と穏やかな表情は空護の警戒心を僅かながら緩めさせたものだ。


 それなりに好感触なファーストコンタクトだったが良かったのはそれまで。


 村長に連れられ公民館に赴き他の村人と対面した時に状況は一変した。


 村人から好意的に受け入れられることを期待してはいなかった。昔はどうだったか知らないが、今のご時世魔狩とは裏稼業のヤクザ者という認識が強い。空護もそれは否定しないし、仕事で依頼人から好意を受けることの方が珍しい。


 特に岩戸村は一度魔狩を頼り、その期待を裏切られている。自分達が不信感を持たれているだろうとは予測していたのだが、正直その度合いの見積もりを誤っていた。


 空護はそれを被害状況の確認時に思い知った。


 公民館でなぜかある種の敵意を持った村人――村長の紹介により村の役員と魔精の犠牲となった人達の遺族だと分かった――に出迎えられ、村長と役員達を交えて村の被害状況を確認し、犠牲者は五人と判明。


 名簿を見て犠牲者は神代(かみしろ)が二人と小形(おがた)横田(よこた)と最後が和田(わだ)だと確認し終わった時にそれは起こった。


 源一郎がいきなり熟年の男女に掴みかかられたのだ。突然のことであたふたしていると男性の方が『息子を返せ!』と叫んだ。村長がなんとか二人を宥めて、事情を説明してくれたことでようやく事態を把握し、敵意の原因を知ることとなった。


 話を聞くと、空護達より前に訪れた会津集会所の奴らがやらかしたらしい。


 奴らはこともあろうに岩戸村の村民の幾人かを協力者として仕事に同行させたのだ。


 これは依頼人を意図的に危険に晒すとして魔狩では禁忌とされる行為であり、結果その愚行は最悪の結果を招くことになった。


 彼らは魔精の討伐に失敗した。しかも犠牲者まで出して。最大の問題はその時に犠牲となったのが岩戸村からの同行者、和田(わだ)武則(たけのり)だったということだ。


 掴みかかってきたのは彼の両親で、彼らにしてみれば魔狩は一人息子を死に追いやった仇という認識になるのだろう。自分達は会津連中とは違うと言いたかったが言えなかった。弁明にもならないことは明白だったからだ。これがきっかけで押し止められた敵意の波が決壊を起こし、周囲至る所から暴言責め苦が吹き荒れた。


『なんで糞の役にも立たねぇ余所者に金払ってまで頼らなきゃなんねぇんだよ⁉ テメェに任せて見殺しにされるくらいなら俺らで好きにやらせてもらう‼』


 そう言ったのは村の若い衆の代表的な男で、本気で自分達だけで出陣しかねない雰囲気に村の年輩組と源一郎が必死の説得をする事態になった。時期を同じく風真がその若頭に応戦しようとしていたので、空護と煉はそっちを抑えるのに必死になった。


 どうにか事態を収拾することに成功したが、当の若頭から『どうしてもって言うなら、今夜中に始末しろ!』などと無茶な要求を突き付けられてしまい、ただでさえ割に合わない仕事の厄介さが激増することになってしまった。


 その後、標的を狩るために山に入るにあたって、村人には決して山に入るなと厳命し、源一郎達《支援役》にはその監視と村の護衛を頼んで今に至る。


「大体なんだあの若頭! えーっと名前は……門松だっけ?」

「……門脇(かどわき)さんだよ」

「そうそれだよ! あの野郎、自分だって一回失敗してるくせに偉そうに! そんな魔狩が嫌なら自衛隊に頼めばいいじゃねぇか! 流石にこういうとこが被害に遭ったらオレらが出張んなくても連中が動いてくれんだろうが⁉」


 有名な観光地ならという意味で風真は言ったのだろうが、残念ながら《場所》と《相手》の問題で自衛隊が出張ることがあり得ない。


「いや、《特定封印地》でもない限り変化相手に自衛隊が出動することはない」

「なんだ? その《特定封印地》ってのは?」


 その発言に空護と煉が揃って嘆息した。煉がやれやれと説明する。


「一般人には巧妙に隠蔽されてる、国家を揺るがす程のなにかが封印された場所。かなり前に源さんと美空さんに教えてもらったでしょ」

「そうだっけ? いやぁ、オレってば座学的なこと聞いても頭に残んねぇから」

「あのね……。まぁ魔狩の人達でも存在を知ってるだけで実情を把握してる訳じゃないけど、少なくとも国の重要拠点だってこと」


 続けて空護が補足をする。


「全国に十数か所から数十か所あるって言われてるな。確かじゃないけど。俺らの近場だと行方市の夜刀神社がそうだ」

「マジ! オレ祖父ちゃんと行ったことあるぜ。あんなとこになにが封印されてんの⁉ それより一般人が入って大丈夫なのか⁉」

「一般人には巧妙に隠蔽されてるからな。結構、人のいる場所にあったりするらしいぞ。なにが封印されてるかは流石に俺も知らん」

「ともかく、それくらいの場所じゃないと変化相手に自衛隊は出動しないんだよ」


 煉の締めの言葉で風真は合点がいったようだ。


 魔精が出現すれば自衛隊が対処する。それが世の中の常識。しかしそれは標的が魔精だと確定していればの話で、逆に言えば確定していないと自衛隊は出動しない。


 魔精にも種類があり、その中でも《変化》とは野生の獣が魔精化した存在で、魔精としては比較的倒し易い部類に入る。個体差はあるが、それこそ弱い個体なら魔狩じゃなくても狩ることは可能だ。例として猟師、武装を固めた警察とか。


 そのため自衛隊と防衛相にとって変化とはちょっと凶暴な野生動物であり、現実として変化と思ったら普通の獣でしたなんてこともよくあるのだ。


 先に挙げた《特定封印地》のような場所が被害にでも合わない限り、自衛隊が変化の疑いがある獣相手に出動するのは現状あり得ない。


 体細胞を検査でもすれば分かるが、それこそ殺してみないと検査もできない。魔狩のように特殊な訓練をしていないと判別は容易じゃないのだ。


「でも今回の標的は間違いなく魔精なんだよねぇ。だって落ち目とは言え魔狩が失敗してるんだから」

「あぁ、それもかなりの大物だ。会津がしくじった理由は腕が悪かったってだけじゃない」


 煉に同意しながら空護は厳かに語った。


「なんてったってヒグマの変化だからな」


 公民館で情報を得た時、標的の写真を見せてもらった。村が襲撃された際に撮られた物らしく、見た瞬間に空護は目を見張った。


 全身を茶色の体毛で覆った巨大なクマはどう見てもツキノワグマには見えなかった。


 競りの際はこの情報も意図的に隠されていたんだろうなと歯噛みしたが後の祭りである。ついでに言うと気付くのも無理だ。そもそも本州に野生のヒグマがいる理由が分からない。


「前に秋田県のクマ牧場でヒグマが脱走したってニュースがあったよね。確か脱走した内の一頭がまだ見つかっていないって言ってた。きっとそれがここに来るまでに魔精化したんじゃないかな?」


 恐らく煉の推測は正しい。だとしたら、とんでもない偶然が重なってくれたものだ。


「でもよ空護、クマの変化なんて今まで結構相手にしてきたぜ。ヒグマってだけでそこまで用心しなきゃいけねぇのか?」

「今までのはツキノワグマの変化だろ。ヒグマとツキノワグマじゃ比べ物にならない」


 ツキノワグマは大きいもので体長二メートル弱、体重一五〇キログラムに対し、ヒグマは平均で体長二メートル以上、体重三〇〇キログラムに達する。更に肉食性も強く凶暴で、人間を罠に嵌める程に頭もいい。ツキノワグマとは生まれ持ったものが違う。


 空護もヒグマの変化とやり合った経験はない。聞いた話では北海道では一頭仕留めるのに、腕利きの魔狩が十人必要と言われている。


「つまりオレ達はそんな相手をこの広い山ん中を三人でしかも今夜中に仕留めにゃいかんということか?」

「そういうことだ」


 無茶だが村人だけに任せれば全滅確定。そうなれば北茨城集会所の信用は地に落ちる。会津集会所が大喜びだろう。だから村人の態度に不満はあるけれどやるしかない。言って空護と風真は揃って溜息を吐いた。慰めの言葉をかけたのは煉だ。


「二人とも元気出して。幸せが逃げちゃうよ。ほら、上手くやれば村の人達も感謝してくれるよ、きっと……ね。僕も頑張って探すからさ」


 そう言って煉はサラサラの黒髪を揺らし、手をヒラヒラ振って笑いかけた。


「頼むわ。こうなったらお前の《読心術(どくしんじゅつ)》が頼りだ」


 空護はなんとか苦笑いを返した。魔狩の仕事では標的を追う立場になることが多い。


 そのため魔狩――武空術士は生物の気配を読む術に長けている。


 発気の応用技術の一つで、熟練者なら広範囲の気配を察知できるが、対象が索敵範囲の外にいたり、気配を絶っていたりすると効果が薄いという欠点がある。


 そういう時に役立つのが煉の使う《読心術(どくしんじゅつ)》だ。


 これは生物の気配しか追えない武空術の索敵と違い、対象が触れた物、通った道、排泄した物等に残った残留思念を読み取ることが可能で、武空術とは比べ物にならない範囲を索敵できる。


 有効な術ではあるが、修練次第で誰でも習得できる武空術と違い、完全に資質ありきの術のため使い手は稀少で、煉は北茨城集会所に所属する唯一の読心術士だ。


 しかし夜の山は相手のテリトリーなのは言うまでもなく、煉の読心術で痕跡は追えるが、標的は熟練の猟師すら罠に嵌めるヒグマ――しかも変化だ。捜索中にこちらが不意打ちを受けることを考慮すれば遭遇戦はリスクが高い。


 先手を取れればいいがそれは難しく、だからと言ってただ罠を仕掛けて待ち受けるのは時間がかかる。依頼主から急かされている以上、そんな悠長なことはできない。


 そうなると最も効果的な手は囮を使って無理矢理こちらに有利なフィールドに誘導して不意打ちを仕掛けることだと空護は結論付けた。この場合、囮に一人、不意打ちに二人を配置して、囮が目標地点にヒグマを誘導し、ヒグマが気を取られている隙に、不意打ち役の二人がヒグマに気付かれる前に仕留める――という流れになる。


 しかしこの作戦にも一つ欠点があった。それはヒグマが確実に囮に釣られてくれる保証がないことだ。もしヒグマが囮に釣られず不意打ち側を襲撃すれば作戦が根底から覆されることになる。


「もしそうなったら、遭遇戦と変わらないよね。しかもこっちの戦力は一人足りないから明らかに不利だ」

「囮役が餌でもぶら下げてればイイんじゃねぇ?」

「相手は人間を五人も食った人食いグマだぞ。餌なんかぶら下げても意味なんかねぇよ。……今ここにいる俺らが餌そのものなんだから」

「それなら最初から遭遇戦を想定して三人でヒグマを追うのが無難かな?」

「そうするとお前のリスクが増える。標的を追うのにお前の読心術は必須だ。否が応でもお前が前に出ることになる。戦闘になったら俺や風真みたいに接近戦に長けていないお前が危険に晒されることになるぞ」

「大丈夫。自分を守れる程度には鍛えてるよ。それに、本当に危なくなったら空護が助けてくれるでしょ」


 これが社交辞令や煽ての類でないことを空護は知っている。煉は普段からズケズケ歯に衣着せぬ物言いが目立つが、その内容は毒舌から賞賛まで実に幅広い。良いことから悪いことまで思ったことをなんでも口にする性格なのだ。


 つまり喋ること全部がほぼ本音であって、今の発言が空護に対する絶対の信頼を表すものだと察することは難しくなかった。


 あまりにどストレートな信頼発言に空護は後頭部を掻きながら困惑した。褒められるのに弱いとは思ってないが、ここまで信頼されるとそれに応えたいのも人情である。


 しかしリスクを無視する訳にもいかず、鉢金に拳を当てながら熟考していると、注意を促すように煉が静かに警告のサインを出した。見ると指先を地面に当てて術を行使している最中だった。


「気配がする。遠くない」

「ヒグマか?」

「ヒグマの痕跡も感じるけど、これは人間の気配が強い」

「おい、まさか村の人間が入り込んでんじゃないだろうな⁉」


 風真が冗談じゃないと言わんばかりに声を荒げた。


「あんだけ言ったのに、それを無視するってんなら流石にタダじゃおかねぇぞ!」


 村でのやり取りは風真が村人を強く嫌悪するのに十分だったようで、風真は村人に対して不快感を隠す気を毛頭ないようだ。


「読んだ感じだと、少なくとも僕の知らない人なのは確かだよ。村人の可能性は高いね」


 煉の報告は風真の忍耐という名の火薬庫に火種を放ったようで、「そうならブン殴る!」とまで言い出した。煉も村人にはいい感情を持っていないようで、風真の言動を諌めず聞き流す。


「覆面を被り直そう。顔を見られると不味いし」


 煉の提案を風真は無言で聞き入れようとしたが、空護が制した。腑に落ちない顔をした二人に空護は理由を話した。


「多分、生きた人間じゃない」


 そう言うと、空護は煉に気配の方向を聞き歩き出した。煉と風真もそれに続いた。



 煉の指示に従って進むと、三十分もしない内に谷間の杉林に辿り着いた。


 その中の直径四十センチメートル程の杉の根元で《それ》は発見された。


「これ……マジか」


《それ》を見た風真は気分を悪くしていた。《それ》は人間の体の一部だった。


 膝から下の脚部二本と頭蓋骨の一部が土に埋もれていた。頭蓋骨には頭皮と毛髪が残っている。犠牲になった村人五人の内の誰かだろう。


「食い残しだな」


 それを聞いて風真が顔をしかめる。更に気分を悪くしたようだ。言葉を選び損なったかと思い、「悪い」と空護は詫びた。風真は「気にすんな」と微妙な笑みを返した。


「空護。これってヒグマの習性?」


 風真と違って冷静な態度を崩さない煉が説明を求めた。


「あぁ。ヒグマは捕らえた獲物をこうやって土に埋めて蓄える習性があるんだ。食い切れない分を後で食うためにな」

「それじゃ腐っちまうじゃねぇか」


 風真が気持ち悪いと吐き捨てるように反論した。


「腐ってもいいんだよ。ヒグマは腐った肉が好物なんだから」


 その回答に風真は嘔吐を催すように口を手で覆った。沈黙が続いた後、煉が口を開く。


「持ち帰る? これしか残ってなくても村の人にとっては身内の亡骸だし」

「そうだな……」


 気に入らない相手でも通さなければならない仁義がある。二人は村人に対する嫌悪感を一旦置いて、人道を尊ぶことに同意したようだ。しかし空護はそれに待ったをかけた。


「ダメだ。今は持ち帰れない」


 その発言に二人は弾かれたように詰め寄った。


「空護、それは――」

「幾らなんでもあんまりだろ! そりゃ村の連中は気に入らねぇけど、そこまで冷たくせんでも……大体らしくねぇぞ空護、お前そんな陰険な意趣返しするタイプじゃねぇだろ⁉」


 親友達は揃って抗議の声を上げた。空護は焦った。どうやら大きな勘違いをされている。


「待て、落ち着け! 誤解してる、お前らすごい誤解してる! そんな質の悪い意趣返し考えてないし、誰も持ち帰るなとは言ってない。よく聞け。『今は』って言ったんだ。最後はちゃんと村に持って帰るさ。ただ、今はダメな理由があるんだよ」


 一気に言い切ると二人は誤りを受け入れ、気分が落ち着くと煉が質問した。


「理由って?」


 空護は一息ついて、丁寧に説明した。


「ヒグマには獲物を埋めて蓄える以外にも色々習性があってだな。その一つに、一度手に入れた獲物に対する異常な所有本能ってのがある。簡単に言うと、餌とか自分の所有物を盗まれるとすげぇ怒って、盗んだ相手に報復しないと気が済まないんだ。つまり、仮にこの遺体を回収して村に持ち帰ったら奴は怒り狂って村まで取り返しに来ちまうってことだ。だから奴を狩り終えるまで、この遺体を村に持ち帰れないんだよ」


 説明を聞いて、煉と風真はこちらの言い分に納得してくれたようだ。聞き終わると風真が意気揚々と宣言した。


「じゃあ、今はこのままにしておくか。よし、そうと決まればこんな所に長居は無用だ。とっととクマ公を狩りに行こうぜ。残り物を食われねぇ内にな」


 言い方がやや粗暴だが、風真なりに死者を悼んでいると分かった。村人の無礼な態度のせいでいまいち気が乗らない様子だったが、村が置かれた現状をこれ以上ない形で見せつけられて腹が決まったらしい。


 それなのに、折角上がった士気を下げると知りながら空護は風真に言って聞かせた。


「いや、今すぐ掘り起こすぞ。風真、背嚢貸して」

「へっ?」


 風真は対応できなかった。意味不明とばかりに顔から足先まで硬直している。


「なに言ってんだ空護? さっき持ち帰れないってお前が言ったんだぞ。自分で言ったこと忘れたのか? あれか? 突発性健康症か? それともオレの脳みその言葉を理解するどっかが壊れたのか?」

「それを言うなら突発性健忘症な。違うって。俺がそんなもん発症するならお前の脳みその壊れ具合を疑ったほうが現実的……って待てって悪かった。そんなキレんなって」


 失言に憤慨した風真は無言で拳を振り上げていた。空護は咄嗟に謝ったが、拳を引いても機嫌は直ってなさそうだ。


「なるほど、確かに」


 と呟いたのは煉だ。空護の意図を理解したのだろう。流石に察しがいい。


 だが風真はそれを別の意味で解釈して完全にブチキレた。


「なにが『確かに』だ‼ お前ら二人揃ってオレに喧嘩売ってんのか⁉」


 ――多分、いや絶対に風真がどう誤解するか分かってて呟いたんだろうな。


 二人の話に置いてかれている風真。それ煉がからかって楽しんでいるのはバレバレで、その証拠に謝ってはいたがその態度は軽い。


「ごめんごめん、そうじゃないって。これを使えば、さっきまでの問題点が簡単に片付くねって意味だよね空護」

「そうだろ。これでヒグマ野郎を狩る準備が整ったってことだ。っちゅう訳で風真、早く背嚢貸してくれ」

「『そうだろ』っじゃねぇよ‼ なに二人だけで理解し合ってんだよ! 分かんねぇっつーの! いい加減説明しろ‼」


 空護と煉はニヤニヤ笑いながら風真をからかっていたが、可哀想になってきたので謝罪も込めてこれから行う作戦を説明した。


「分かった分かった。悪かったって。いや、マジで。この作戦の鍵はお前なんだから頼むから機嫌直せ。」


 説明された内容に対して風真から多少の異議があったものの、作戦は空護の提案通りに決行されることになった。

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