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競りの翌日、昨日と違い早めに帰宅できた煉はジャージとTシャツに着替えると、替えの服、タオルと凍らせたスポーツドリンクをスポーツバックに詰め込み、大和宅へ愛用のマウンテンバイクを走らせた。
夕方と言うには早く、まだ日中と言える時間帯にペダルを踏み込むとそれだけで額に汗が滲んでくる。顔に当たる向い風も暑くとても爽快には感じない。
この時間、程よく車が走る国道で信号に引っかからない絶妙な速度を維持し男としてはやや長めの黒髪をなびかせて、煉は昨夜のやり取りを頭の中で反芻しては苦笑をこぼした。
――今日の空護、機嫌悪かったなぁ。
家でも不機嫌なままだろうという懸念を抱いていると、あっという間に目的地に到着した。時間にして十数分の道程だった。
玄関脇の定位置に愛車を止めて、勝手知ったる具合に敷居を跨いだ。この時間、美空は店に出ているのでチャイムを鳴らしても意味はない。
なにも知らなければ施錠もせずに不用心と思うが、この家では全く問題にならない。
玄関からリビング、キッチンを抜けて店のカウンター裏から顔を出す。
そこでは《喫茶YAMATO》の店主――美空が鍋に調味料らしき粉を投入していた。
「こんにちは美空さん」
美空もこちらに気付き、振り向いた彼女と視線が合うと互いに挨拶を交わした。
「いらっしゃい煉くん」
挨拶と共に返された美人店主の笑顔に煉もつられて顔が綻ぶ。
会う度に思うが、とても自分の同級生の母親とは思えない。確か今年で三十六歳になるそうだが、正直二十代前半と言われても疑わない。
腰まで届くダークブラウンの髪は日が当たれば光沢が出る艶やかさを放ち、今は仕事の邪魔にならないよう一束の三つ編みを結んでいるが解けば上質の絹糸の如く滑らかだ。
髪の下の顔立ちは皺一つなく、白く張りのある肌に整った鼻筋が凛とした雰囲気を醸し出している。そこから感じ取れるのは大人の色気と言うよりはあどけない少女の可愛らしさなのが不思議な魅力となっている。空護と同じ金色の目が眩しく輝いているのも影響していると煉は断言できる。
店の常連にはそんな美空を目当てに通っている者も多く――って言うかほとんどそうだろう――カウンター席に座っている客だけでなく、窓際のテーブル席の客までエプロン姿の美空に見惚れていた。
「空護ならもう道場にいるわ。……流石に機嫌も直ってるから心配しないで」
昨日の出来事は空護から聞いているとして、こちらの心情を察する慧眼には感服する。
こういう気遣いも店が繁盛している理由だと納得し、煉は美空にお礼を言うと店を出た。
キッチンに戻り裏口から外に出ると、そこには木造の建築物が居を構えていた。
建てられてどれ程の年月が経ったのか、目の前の武道場と言える建物からはその古びた外観に相応の風格が漂っていた。まるでそこで修練を積んだ先人たちの想いが染みついているようだ。
いや、実際染みついているのだ。ここに通い始めて二年、幾度も自身の体と心でそれを感じてきたのだから。
戸をくぐって足を踏み入れると中は外界とは全く違った空気で満たされており、道場に踏み入った途端に外の雑音という雑音が一瞬で消え去った。
道路を走る車のエンジン音からセミの鳴き声、風に揺れる木々のせせらぎも聞こえない。
ただ一つ……キン……キンと澄んだ音だけが鳴り響いている。
まるで異世界にでも迷い込んだような錯覚を覚えながら、煉は道場の真ん中で直立している人物に目を向ける。その手には日本刀が握られており、先程から耳に響く清音がその刀身から発せられていることに煉は気付いた。
その人物――同級生であり親友でもある空護は目を閉じたまま刀を中段に構えた状態で一切身動ぎしていない。服装こそ煉と同じジャージとTシャツだが、これ以上なく凛々しく見える。正に不動と言える立ち姿と空間に響く不純物のない旋律が合わさって、そこに一つの世界が形成されているようだった。
しばらくそのまま見入っていると空護から口を開いた。
「……いつまでそうしているつもりだ?」
「あ、気付いてた? 流石だねぇ。気配は殺してた筈なんだけど」
修練の邪魔にならないように気を遣っていたのだが、あまり意味はなかった。
「店入った段階で気配絶ってないと意味ねぇよ。……っつうか律儀だなお前。来る度わざわざ母さんに挨拶しなくてもいいぞ」
この家が施錠しなくても不用心でない理由がこれ。要はこの男には敷地内で誰がどこに居るのか筒抜けなのだ。見てもいないのに美空に会っていたこともお見通しとは恐れ入る。
「まぁ、それでもお前の気配の殺し方が悪いって訳じゃねぇよ。道場ん中には俺の《気力》が満ちてるし、その上一つしかない入口に注意してれば気付いて当たり前だ。」
そう言われると悪い気はしない。空護に師事してもう二年になるが、この親友兼師匠の教えは厳しい。そのためこのように迂遠な表現でも褒められると素直に嬉しい。そんなことを思いながら、煉は空護の体及び手にした刀が纏うそれ――《気力》に目を向ける。
「《発気》が穏やかだ。美空さんの言う通り機嫌は復調してるね」
「あんのカカァ、余計な世話だっつーの。そりゃいつまでも不貞腐れてらんねぇし」
「ご尤もだね。《奴》にも見習って欲しいよ」
「あぁ、うん。……俺も今日は大概だったけど、《野郎》は酷かったな」
「……空護は僕以外に悟られてないけど、《奴》はそんなもんじゃないし……怖すぎて誰も近付けてなかったよ」
《奴》、《野郎》と呼称される人物を中心に半径三メートルが無人となる様子は圧巻だった。
なんの躊躇もなく――なかった訳ではないが――ボディタッチした煉と空護がさり気に勇者認定されたことはここだけの話。
などと話している内に、玄関先に新たな気配を感知する。まるで隠す気がない荒々しい気配は真っ直ぐ道場を目指し、バァンと勢いよく戸を開け放った。
「邪魔するぞ!」
「だったら帰れ」
「分かった……じゃねぇよ‼」
なにかの寸劇かと思わずツッコミたくなるノリで登場した、先程まで《奴》、《野郎》と呼称された人物――風真の顔は不愉快という字が逃げ出しそうな怒り面だ。
只今、絶賛、超絶不機嫌中です。
「ここに季節外れの低気圧持ち込んでんじゃねぇ。いつまでも不機嫌ぶら下げてんだよ?」
「それ聞く⁉ 他でもない昨日の出来事を知るお前が! それをオレに聞くのか⁉」
少し……いやすごく珍しいことに煉も風真に同意したかった。風真程ではないにしろ、空護も同じ理由で今日の放課後までピリピリしていたのだから。
今は機嫌が直っていると言ってもどの口でほざくと激しく言いたい。言ったとして空護は聞き流すのは分かっているが。現に風真が噛み付いているが空護は全く堪えていない。
風真もいい加減に空護に口で挑んでも無意味だと悟ればいいのに。と言うよりもう十分発散したんだから早く落ち着けよ。
――気持ちは分かるけどねぇ。
態度には出さないが、煉も昨日のことはまだ納得がいかない。思い出すと今でも不快感で胸がムカムカする。不快の原因となる事件は集会所で競りの最中に起こった。
魔狩の仕事は《調査役》と呼ばれる者が企業の営業職のように現地に赴き見つけてくるもので、その際に収集した情報から仕事の難易度等を見積り、それらを元に調査役が依頼主と交渉することで報酬が決まる。ここまで工程を経て仕事は競りに出される。
競りではまず調査役が獲得した依頼料――依頼主からの報酬が提示され、参加者がその提示額を下回る額を提示し、最終的に一番安い額を提示した者が仕事を落札できる。
この時、落札した額が仕事を獲った《実行役》――現地で実際に仕事をこなす者達――の報酬となり、その額と最初に提示された額との差額が集会所への上納金となる。つまり実行役が報酬を安くすればする程、集会所の懐は潤う理屈だ。端から見ると労働者に非情とも取れるシステムではあるが、これには落札した側にもちゃんとメリットがある。
困難な仕事をどれだけ安い報酬でこなせるかは魔狩の力量を図る一つの基準となっており、競りの場で安い報酬を提示する行為は《自分はこれっぽっちの報酬でこれだけの仕事ができる》というアピールになる。
なにより集会所に上納金を多く収めれば集会所内の評価が上がる。そして評価が上がれば所属する集会所の《顔》として名が売れることになる。
そうなると他の集会所から助っ人を依頼され、結果として多くの仕事と実力に見合った報酬を得ることができるのだそうだ。
実際、北茨城集会所でトップクラスの腕利きである空護もよく他の集会所から依頼を受けている。しかし名が売れるとはいいことばかりではなく、好意的でない行為の対象となるリスクも増えるのだ。
その日、競りに挙げられた仕事は三つ。最初の二つを落札されて、三つ目に挙げられた仕事はどうしても落札したいと思った。開示情報によると標的はクマの《変化》――討伐対象としてはメジャーで報酬もむしろ難易度を考えれば少し高い。この時点でかなり割のいい仕事と確信……いや錯覚してしまったのは煉にとって不覚だった。
真っ先に落札額を口にしたのは風真だ。それを皮切りに周囲から次々と声が上がった。
場が白熱する中、煉は競りの行く末より空護の様子が気になっていた。
なぜか競りに参加せずに手元に配布された資料を食い入るように見ている。隣では風真が新たに落札額を提示していたが、それすら耳に入っていないようだった。
何気なく煉も資料に目を落としていると、その中のある一文に目を剥いた。空護も同じタイミングでそれに気付いたらしく、すぐに競りを中断するよう呼びかけた。
「待っ――」
「それでは落札者は伊達風真さんに決定させて頂きます!」
一手間に合わず、プレゼンをしていた調査役の男は落札を決定してしまった。
それを聞いて風真は歓喜していたが、煉と空護は頭を抱えて項垂れた。それに気付いた風真は不思議そうにキョトンとしていた。
周りを見ると鶴乃と源一郎を含めた数人もこちらと同じ事実に気付いた様子だった。
全ての競りが終了して騒然とする中、代表してプレゼンターに問いかけたのは空護だ。
「一つ聞きたい。この資料に書かれている《岩戸村》ってのはどこにあるんだ?」
その後の展開は煉にとって思い出すのも腹立たしい事態だった。
論点の肝となった《岩戸村》という単語は資料の後ろの方の更に隅っこにまるで注意するなと言わんばかりに控えめに記述されていたのだが、なんと仕事現場の名称だったのだ。
そんな重要情報は真っ先に口頭で言うものだが、それを指摘するとプレゼンターである調査役は次のように返した。
『すいません。資料に記述しているのでわざわざ説明する必要がないと思いまして――』
だったらもっと目立つ場所に記述しろと言い返したかったが、問題は岩戸村がどこにあるかということだった。
結論を言えば、所在地は福島県大沼郡の山間。北茨城集会所の縄張りの外、完全に他所の集会所の縄張りだ。確か《会津集会所》の縄張りだった筈。
つまりこの仕事は会津集会所が「手に負えないので助けてくれ」という意味で寄越してきた《助っ人の依頼》であり、悪く言えば難易度の高い厄介な仕事ということになる。
そうなると一番の問題は依頼料の額だ。当初は割がいいと感じたが、助っ人の依頼となると明らかに安過ぎる。これを知った風真は落札の撤回を求めたが――。
「ふざけんなよあの野郎! なにが『落札した仕事を放棄するとは、それでもプロですか?』だ! 半端な紹介しやがった分際で偉そうに!」
という次第で、結局は引き受けることになってしまった。
「落ち着け風真。一度引き受けた仕事を放り出すのは魔狩の世界じゃタブーなんだよ」
言ってしまえば面子やら矜持の話だろうが、それでも風真は納得できない様子だった。それは煉も同じ気持ちで、きっと空護もそうだろう。なぜなら事の真相は別にある。
「つまりは嫌がらせってことだよね。会津から北茨城に対しての。あの調査役の人は否定したけど、どう考えても会津集会所が一度しくじった仕事だし」
「……そういうことだ」
煉の言い直しに空護は忌々し気に肯定の意を示した。
調査役の男は一貫して『助っ人の依頼ではない』と主張していたがそんな訳がない。
自分達の縄張りの仕事を他所――しかも北茨城集会所――に持っていかれて会津の連中が黙っている筈がない。
あくまで推測だが、今回の騒動には次のようなロジックが存在すると考えられる。
まず会津集会所は真っ当な手順で依頼を受けたが、力及ばず失敗してしまった。
こうなると近場の集会所に助っ人依頼を出すのだが、会津連中はここで一人の調査役にこんな指示を出す。
『この仕事を君が独自に仕入れた仕事として北茨城集会所に持ち込んでくれ』
本来、助っ人を依頼すると《頼んだ集会所》から《頼まれた集会所》に謝礼金を送らなければならないが、間に調査役を挟むことで助っ人の依頼ではないことにしたのだ。
そしてめでたく会津集会所は懐が痛まない上に厄介事を気に入らない連中に押し付けて万々歳ということになる。
こうなった背景として北茨城集会所と会津集会所はお世辞にも友好的な関係とは言い難いことが挙げられる。縄張りも近いことから結構な頻度で仕事の取り合いといった小競り合いを繰り返しており、それは良く言えばライバル関係と言えるものだった。
しかし近年になって両者の関係を悪化させる事態が発生した。それは空護の出現である。
初陣から僅か一年程で頭角を現し、その実力は今や東日本で五指に入るとさえ言われている。一方の会津集会所では主だった使い手が続けて現役を退いたためにその力は大きく衰えた。その結果、両者の力関係に明確な落差が生まれてしまった。
そして会津集会所にとって殊更に面白くないのが当の使い手がまだ中学二年の小僧だということで、彼らは北茨城と問題の小僧を逆恨みすることで自分達の鬱憤やらやるせなさを発散するようになったのだ。
「でもよ、そんなことして一番割食うのってその調査役だよな? 確実に信用失うだろうし、なんだってこんな真似を?」
風真の疑問を解消したのは空護だ。件の調査役は競りが終わると姿を眩ました。
「調査役の報酬は紹介料って名目で、集会所の会計から支払われる仕組みになってんだ。仕事をどの集会所に紹介するかは自由だから、特定の集会所に所属せずフリーランスにやってる奴が多いんだよ」
「あの男はフリーランスな輩で、だから特定の集会所に警戒されても苦じゃないし、最悪でも名前を変えれば問題なしなんだね」
煉が補足すると空護は「そうだ」と頷き、風真は合点がいったという風な顔をした。
今回の件で北茨城集会所は問題の調査役に報酬を支払っていない。
しかし、きっと会津集会所から既に報酬を受け取っていると考えられる。
会津集会所については鶴乃が抗議の文を出したそうだが、仮に黒だとしても両者の関係が悪化するだけでなんらかの制裁を下すことは不可能だろう。
「完全にやられたってことじゃねぇか。あぁ~やっぱ腹立つ! ってかなんでお前らはそう落ち着いてられんだよ⁉」
状況を完全に把握して風真の怒りは最高潮に達してしまった。まんまと一杯喰わされた事実に煉もやり切れない思いだが、実はやり返すことがないという訳でもない。
「風真、いい加減冷静になって。今は引き受けた仕事を成功させることを第一に考えようよ。上手くいけば奴らにギャフンと言わせることができるかもよ」
「……? どういうことだ?」
続きは空護が引き継いでくれた。
「お前な、俺が面子程度で仕方なしに仕事を受けたと思うか? いいか。この仕事は会津集会所が失敗した仕事なのは間違いない。だったら俺達がそれを成功させたら連中の面目は丸潰れになるだろ。厄介事を押し付けられたのは気に入らねぇけど、これってせめてもの意趣返しにならないか?」
そこまで聞いて、さっきまで不機嫌丸出しだった風真の顔がみるみる悪戯っ子のような笑みで飾られた。早い話が仕事をこれ以上ないくらいに成功させて、お前らができないことでもこっちはできると上から見下してやれということだ。
「でも向こうも馬鹿じゃないから、僕らでも手に負えない高難度ミッションを振ってきたってこともあるよね?」
「はっ! 上等だよ。格が違うってことを分からせてやる」
煉の煽りに空護が拳を突き上げて応えた。ここまででようやく風真も気分を切り替えることができたらしい。ご褒美に「苦汁を舐める羽目になったのは君のせいでもあるんだよ」とは言わないでおいてやろう。
「さて、腹の虫がスッキリしたし、修練を始めるとするか」
両手をパンと叩いて空護が号令を出す。元々このために今日は大和家に集まった。
今から二年前、煉と風真は同時期に魔狩を志し、当時から既に腕利きの魔狩だった空護と知り合って教えを乞うようになった。いつからそうなったのか、火曜、金曜と週二回の合同修練が習慣となっていた。
もちろん二人とも個人的な修練は毎日行っているが、魔狩にとって必須である技術については達人である空護に指導を受けねばならない。それが対魔精戦闘術《武空術》である。
本来、人間にとって脅威となる魔精……それに人間が対抗するために考案された術で、空護が若くして東日本で五指の腕前と称されるのはこれの熟練者であることが大きい。
はっきり言って滅茶苦茶強い。現状、風真と二人がかりで挑んでも勝てる気がしない。
学校では虚弱体質で通しているが実際は真っ赤な嘘だ。理由として魔狩の仕事で学校を休むことが多いのでそれを誤魔化すため病弱に振る舞っている。
今では極力、土日祝日を狙って仕事をするようにしているが、小学校時代はあまり登校していなかったらしい。
本人曰くその状況に慣れてしまったのと、諸々楽だからという理由で現在もそうしているのだとか。そのせいで普段学校では情けなく無気力な空護だが、今は全身が活力でみなぎっているのが分かる。
横一列に並んだ煉と風真に向かい合って、空護は一声を道場内に響かせた。
「始めに基礎から! 《練気》を走らせて《発気》の展開までをゆっくり丁寧に! それができたら一回術を解いて同じ動作を今度はできる限り素早く!」
空護の指示に煉は無言で頷き、自身の体内で息衝く《気力》の脈動に意識を傾けた。
心臓が脈打つ度に体内で生成される生命力の源――《気力》。それは体中に張り巡らされた血管――経絡を通って肉体の隅々に行き渡る。この気力を操作して肉体を強化できる者は武空術の使い手――武空術士と呼ばれる。
本来、気力は心臓から大動脈を通り、四肢の動脈を経由して体表付近の毛細血管に到達した段階で体外に放出されてしまうが、武空術士は気力を体外に放出せず静脈を経由して心臓へ還元させることができる。この体内で気力を循環させる技術を《練気》と言い、筋力や骨格強度等の身体機能、視力や聴力等の感覚機能を強化するのに用いる。
更に《練気》を維持した状態で気力の一部を意図的に体外へ放出し、それらを霧散させることなく体表面に纏う技術を《発気》と言い、衝撃波として攻撃時に威力の上乗せに、または衝撃緩衝材のようにして防御に利用することができる。
この《発気》は武具に纏うことも可能で、煉が到着した時に空護が日本刀に纏わせていたのも――かなりの高等技術だが――同じ技術だ。
一連の動作を難なく終えた煉はそれらを一度解除すると、師匠の指示通り今度は練気から発気の展開までを可能な限り素早くかつ正確に再現して見せた。時間にして一秒足らず。しかも精度は一回目と同等の手応えを感じた。
余韻を噛み締めていると、いきなり隣から突風かと思う程の衝撃波が発生した。煉が隣にジト目を向けると風真が苦笑いを返してきた。前を向くと空護が溜息を漏らしている。
「ふう~ま~、お~ま~え~な~」
師匠がゴゴゴという効果音と共に詰め寄るとやらかした弟子は必死に言い訳を並べた。
「悪い! 悪いって。でもほら、実戦じゃ早くできるに越したことはないし、そのために多少の不手際は仕方ないと思――」
ゴスッ……。
言い切る前に空護の拳骨を食らい、風真はその場に昏倒した。追撃でお小言が炸裂する。
「ド阿呆! なんのための修練だと思ってやがる! 実戦だったらできないことを無理にしろとは言わんが、修練の時ぐらいできないことをなんとかする努力をしやがれ!」
屍状態の風真から返事は返ってこない。先程の失敗は発気の展開を急いで、過度の気力を体外に放出したためにそのほとんどが急激に霧散したために起こったと推測される。風真は気力の操作――特に発気の扱いがお世辞にも上手いとは言えなかった。
例え熟練者でも、纏った発気の幾分かは時間と共に霧散してしまうもので、こういった損失をどれだけ少なくできるかで武空術士の力量が図れるのだが、風真が発気を展開した際の損失は煉達と比較にならない。仮に空護なら同じ量の発気を展開してもほぼ霧散させることはないだろう。そしてそれは煉も同様だ。
気力の操作に限定すれば、煉は空護から自分と同等以上の技量というお墨付きを貰っている。魔狩として戦闘に赴くに必要な量の発気をほぼ損失なく展開できた時は空護も驚いていたものだ。
そんな煉から見ると風真は未熟以外のなんでもないのだが、煉は決して風真を侮っても見下してもいない。なぜなら風真にも煉がどうしても敵わない才能があるからだ。
復活した風真がまた空護にギャーギャー噛み付いているのを見守りながら、煉は心の中で親友に囁いた。
――頑張れ風真。でも負けないよ。
その後の修練は滞りなく進み、お決まりの締めとして風真が空護に模擬戦を挑み、見事に三連敗してこの日の修練は終了した。