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セイバートゥース ~魔を狩る牙~  作者: 夢見シン
魔を狩る牙
18/20

5

 内田が日向を害そうとした瞬間、激しい背中の疼きと共に空護の意識と体は完全に断絶された。無心で行く手を阻む二人の凶堕を力ずくで薙ぎ払い、日向のみ見据えて疾駆した。風真が叢雲を寄越してくれたが礼を言う暇も惜しい。

 受け取った直後、眼前に映ったのは日向ではなかった。それは幼き頃の自分、傍らにいるのはもう思い出の中にしかいない少女、そこに立ちはだかるは巨大な体躯に二本の角が生えた深紅の髪を揺らす悪鬼。

 刹那、右手が意志を持ったかのように神速で愛刀を抜き放ち、悪夢を消し去るが如く鬼の体に刃を突き立てた。そして悪夢は消えた。鬼はいなかった、代わりに半蛇半人と変わり果てた内田が呻き声を上げていた。ようやく意識と体が同調し始めた。

「大和……なんで……?」

 放心したような天道を見て空護は自身の失態を嘆いた。見られてしまった、なにがなんでも回避したかった事態を招いてしまった。まだ誤魔化せるかと思案したが、続いて目にした日向の表情から無駄だと思い至った。

 日向は悲しそうな顔をしていた。そんな顔をする理由を察する余裕はなかった。分かるのは見られたという事実、それで空護は事が手遅れであると思い知った。

 急速に体から熱が失われていくのを感じ、取り繕う意味を失くした空護は内田を粗雑に地面に叩き付けつつ愛刀をその胴体から引き抜いた。

「くそっ……大……和、お前……よくも」

「……まだ喋れたか、しぶとさだけは人間の時よりマシになったな」

 仕留めたつもりだったのに意外だった。とっくに関心がない相手ではある、しかしこれを救おうとしていた壱与の手前、遺言を聞く程度の情は沸いた。

「心臓を貫いた。生来の魔精ならともかく、半端者のお前には致命傷だ。せめてもの情けで言い残すことがあったら聞いてやる」

「ふざ……けるな! この僕が、強くなった僕が……お前なんかに……。なんなんだ、なんなんだよお前は⁉」

「答える義理はない。どうしてもと言うなら一つ教えてやる。内田……お前は強くない」

 遺言がないなら、冥土の土産に分からせてやることが親切だろう。あの世――あるかどうかは知らないが――に逝った後も勘違いしないように。

「なん……だと、そんなこと……あるもんか! 僕は強い、だってもう何人も殺したんだ。誰も僕に敵わなかった。僕には力がある……だから僕は――」

「力があるのは認めてやるよ。でも所詮は他人からお情けで与えられた力だ。お前自身の力じゃない。って言うか本当に強かったらそんな力は必要ない」

「な……に?」

「なににも屈しない、揺るがない。誰でもない自分自身の力で己の道理を貫き通す……それが強さだ。誰かに屈し、挙句が自分を捨てたお前は強くない。内田……お前は弱い」

 うつ伏せに倒れ、胸の下から鮮血の染みを広げながら内田は全身を戦慄かせていた。

 事切れる寸前の五体に残された活力全てで身を震わせているようだった。

「くそ、チクショウ‼ 大和……お前だって僕と同じだったじゃないか! たまたま強い奴と仲がいいだけの弱虫だったろうに、正義の味方気取りで偉そうにするな‼」

「天道じゃあるまいし、強さに正しいも正しくないもねぇよ。それにお前の理屈で言うなら、少なくとも俺にやられたお前は俺より弱い」

「くそ……くそ……く……そ……」

 潮時だ。鎮魂のつもりではないが、手向けの一言を贈った。

「眠れ内田、せめて人間の意識がある内に……人間として生涯を閉じろ」

 聞こえたがどうかは分からない。内田からの返事はない、生の脈動が消えた肉体は魂なき器としてそこに存在するだけだった。残された三人は誰も口を開かない。壱与は呆然と座り込み声を上げずに涙を流し、日向は悲しみの表情でそんな壱与を抱き締めていた。

 そんな二人を他所に、空護は血に濡れた刀を携えて臨戦態勢を維持していた。

余計な感傷を一旦捨てる。敵は残っている上に大将と一戦交えている風真も気がかりだ。ただその気がかりは割とすぐに解決した。風真が空護の傍まで吹っ飛んで来たからだ。

「無事か?」

「素っ気ねぇなおい、なんとか無事だよ」

 平気そうな口振りでも倒れた体を起こす感じから結構なダメージが見て取れた。体に着けた鱗が所々剥がれている、それを見て空護は風真が生皮を着込んでいることを知った。

「また随分思い切った擬態だなそれ、よくやるわ」

「やかあしい! オレのアイディアじゃねぇし、心から不本意だよ‼」

 束の間の談笑に興じていると頭上から影が差した。

 それを見上げることなく即移動、それぞれ別の方向に回避。

 風真は日向達を庇い、空護は標的の背後に回り込むと叢雲を二度閃かせた。影の主は先程振り払った二人の凶堕だった。それを識別した時点で一人は腰の辺りを、もう一人は左肩から右脇腹にかけて両断されていた。

 自分のやったことでもまるで他人事だ。意識するより早く体が動く、空護の感覚は完全に戦闘態勢に移行していた。不意にどこからか拍手と称賛の声が聞こえてきた。

「うひょー、スゲェじゃねぇか。ヘビ男二人を瞬殺とは恐れ入るぜ。……ってか内田ちゃんも死んじゃった? うあーショック」

 声の方向に向き直ると案の定、八上がそこにいた。相変わらず不快な軽口に対して取り繕う必要のなくなった空護は今度こそ面と向かって眉間に皺を寄せた。

「おーおー怖いねぇ、それがお前さんの素顔かい。すっかり騙されちゃった。……こればっかりはマジで屈辱だねぇ」

 最後の言葉にはっきりと敵意が含まれていた。風真の様子を見る限りできればこいつとの一戦は避けたい。

「悪かったよ八上さん。でも俺の目的は連れと一緒にここから逃げることだったんでね、可能な限りあんたらとのイザコザを避けるのにああする必要があったんだ。……一応今でもそのつもりなんで、どうだろう? 俺はこれ以上あんたの邪魔はしないから、ここにいる全員見逃してくれないか?」

 どうせなにもしなくてもあんたらの計画は上手くいかないし、とは言わない。

「あ、ほんとに? じゃあいいぜ、そこの偽物くんとお嬢ちゃん達も一緒にバイバイだな。お帰りはあちらに~お忘れ物がないように~って、……言うと思うか?」

 階層全体に不快感を濃縮したような波動が満ちていった。命そのものを表面から削り取られるような感覚が心身を侵食していく。八上が魔晄を発散し戦意を高めていた。

「ここまでふざけた真似かまして、今更『邪魔しない』だと? 寝言は寝て言え! ただで帰せる訳ねぇだろうが‼ っつかいっそ、その舐めた口を墓まで持って逝きやがれ」

 本性を露わにした八上の威圧感は内田を遥かに凌いでおり、岩戸村のヒグマも逃げ出しそうだった。ただでさえ鳴りっぱなしの脳内警報が閾値を振り切ろうとしている。

 話し合いは無理だと分かっていたので空護は相手の威嚇に怯むことなく構えた。

「風真、神代と天道を頼む。一応、他の下っ端連中に用心しろ」

「オーライ、任せろ。それと余計な世話だが、奴は手強いぞ」

 言うなり、風真は日向と壱与を伴って後方に下がる。本当なら今すぐ退避して欲しいが、眼前の敵がそれを許してくれないのは明らかだ。それなら戦闘のとばっちりを受けないよう守られている方が助かる。

 今にも緊張の糸が切れようとする空気の中、空護と八上は互いに距離を取りつつ向かい合った。一時の静寂を破ったのはどこかで鳴った石の崩れる音――直後、二人は双方から距離を詰め、打ち合うことで戦いの火蓋を切った。

「……くっ!」

「はっ、その程度か⁉ でも自分から人質になるような逃げ腰野郎じゃ仕方ねぇな!」

 空護の一振りは八上に左腕一本で止められていた。その手応えは鋼に打ち込んだような感触だった。見ると腕刀の鱗が硬質化していた。

「結構な芸をお持ちで」

 鍔迫り合いながら皮肉る。これが胎魔の厄介な特性だった。例として岩戸村で狩ったヒグマを挙げると単純な筋力や耐久力なら変化が最も優れる。しかし所詮は獣であるため、多少知能が向上しようが基本的に己の牙と爪で本能に従った攻撃しかしない。

 しかし胎魔は種族毎の特異な能力や術を駆使して戦闘を行う。

 それに人間と同等以上の知性を用いた戦術、戦略を組み合わせるので、彼らが本気でしかも徒党を組んで事を起こせばその被害は天災に匹敵する。

 だからこそ胎魔が出現すれば有無を言わずに自衛隊が動き、八咫烏が出動するのも珍しくないのだ。魔狩でも、そういった胎魔と渡り合える使い手は稀だ。

「見て分かったぜ、お前魔狩だな。道理で駒共が相手にならない筈だ。でも劣化レプリカを殺った程度で調子に乗られちゃ困るぜ、あんなもん所詮はその場凌ぎの兵隊だからな。それに突き詰めればテメェらも獣狩りの猟師みたいなもんだ、戦慣れしちゃいねぇ!」

 力任せに刀を払われ、一旦距離を置こうと跳び退く。執拗に追って来る八上の攻めを捌きながら空護は隙ができれば儲けものといった気持ちである疑問をぶつけた。

「この際だから聞いておきたいんだけど、あんたどうやってあれだけの人間を魔精化させた? 凶堕ってそうそう出ねぇし、大抵人間としての自我を失うもんだ。一体どんな手品を使って自我を保ったヘビ男を大量に調達したんだ?」

「この際だから教えてやるよ。詳しい方法は企業秘密だが、簡単に言うとオイラ達の細胞を移植したんだよ。連中がオイラに似てるのはそのせいさ」

「それで劣化レプリカってことか」

「あぁ、自然に発生する凶堕と違って命令を聞く程度の自我が残せるのが利点だ。色々と欠点もあるがな。第一に適正者を選ぶ。成功率は約二割ってとこでな、必要数を確保するのに大勢殺しちまったよ。第二に一度魔精化したら元に戻れねぇのと、更に個体差はあるが基本は短命だな。自我を保てるのも初期だけで、次第に我を失って死んじまう」

「……因みに内田ならどれくらい生きれた? かなり自我を保っていたが」

「あいつは確かに適合率が高かったが、それでも三日と生きれなかったな。まぁ全員そのことは知らなかったけど」

「非道いな、仲間じゃなかったのか?」

「はぁ~馬っ鹿じゃないの、んな訳ねぇじゃん。あんなクズ、ただの消耗品に決まってんだろうが。なんの取り柄もなさそうな人生負け組野郎に少しとは言えいい夢見せてやったんだ、むしろ感謝して欲しいぜ」

 戦況が優勢のためか、かなり饒舌に語ってくれた。内田が哀れで仕方ない。

 好戦的な胎魔は人間を見下す傾向にあるが、八上はその典型らしい。

「あれ、なんでダンマリ? まさか怒った? そうか友達だったんだよな、クズ同士お似合いだぜ。いや~罪悪感ゼロだけど謝るわ、悪い悪い」

「冗談はやめてくれ。全く親しくない他人だ。俺もあれは自業自得と思う」

 そう、自業自得だ。間違っても内田の仇を取ろうなんて微塵も思わない。ただそれとは別に空護の腹の底で沸々と燃え上がるものがあった。

「へぇ薄情だねお前さん。そんなお前に罰を与えてやる、罪状はオイラを怒らせたことと消耗品とは言え苦労して集めた兵隊を壊した罪で、死刑だ! 遺言は聞いてあげな~い‼」

 フロアの隅に追い詰められた空護に八上は渾身の貫手を放った。その顔は勝利を確信して歪んだ笑みで満たされている。そしてその爪が空護の心臓を貫こうとし――。

「遺言じゃねぇけど、一言言わせろ」

 直前で空護は身を半転させて相手の脇をすり抜け、勢いそのままに刀を打ち込み――。

「舐めんな」

 腕力に任せて振り抜いた。斬れはしなかったが全力の練気で強化した筋力は八上を向かいのハンバーガーショップのカウンターまで吹き飛ばした。

「テメェが誰を罵倒しようと勝手だが、俺を内田如きと同列に見てんじゃねぇよ‼ 人が大人しくしてたら付け上がりやがって、泣かすぞヘビ野郎‼」

 こちらを見くびって油断してくれるならそれは有り難い。しかしそれと舐めた口を許すのは別問題だ。相手の舐めた態度に空護の怒りパラメータは限界だった。一方の赤い箒頭も瓦礫の山から体を起こすと、怒髪天を衝く様相で殺気を飛ばしてきた。

「この……ガキ‼ 殺す……殺す殺すころすコロス、ぶっ殺す‼ 楽に死ねると思うなよ、手足をもいで、全身引き裂いて、はらわたを抉り出して、殺してくれと泣かせてから殺してやる‼ 原型留めてられると思うなよ‼」

 空護は八上の怒号を笑い飛ばしてから四指を立てて手招いた。

「やってみろカス。身の程を教えてやるよ」

 きっかけも待たずにぶつかり合った。互いの鉤爪と白刃が空を斬り裂き火花を散らす。攻め守り共に拮抗したが、それが長く続くことはなかった。

 次第に八上の爪が空振り出す。打って変わって空護の斬撃は八上の体を捉え始める。

 幾合もの攻防で空護は八上の攻撃を見切っていた。受け太刀も必要とせず体捌きのみで攻めを回避、合間に放つ斬撃が鱗に覆われていない部位に赤い線を刻んでいった。

「なっ……! 馬鹿な‼ こんな……魔狩如きに、オイラが――」

「……悪いな。テメェ程度の胎魔なんざ今まで何度も相手にしてんだよ」

 空護とて伊達に北茨城集会所で最強の地位にいるのではない。胎魔と渡り合える魔狩は確かに稀だが、空護はその内の一人だった。

 空護の挑発じみた発言に激昂した八上は攻め手を更に加速させた。手だけではなく靴を脱ぎ棄て両足の鉤爪も使って攻め立てる。

「オオオオオオオオォォォォォォ‼」

 咆える八上の激しい連撃に空護も再び受け太刀をせざるを得ない。

 両手両足、上下左右の絶え間ない攻撃を回避と同時に受け太刀をすることでやり過ごす。

 それを見て八上は優勢と判断したのか、顔に残忍な笑みを浮かべた。三白眼が更に吊り上がり、口が三日月形に歪む。

 空護にとってその表情は不快極まりなかったが、八上の顔だけでなく全身を視界一杯に収めて離さなかった。八上の動作を全て目と頭に叩き込むために。

 空護は決して防戦を強いられている訳ではない。防戦に徹して八上の攻撃パターンの変化に合わせて、戦法の修正作業を行っているのだ。

 案の定、作業が終了するのに時間はかからなかった。再び受け太刀を必要としなくなる。

 これを境に空護の冴えは急激に高まった。八上の動きがよく見える。体捌き、予備動作から二手三手先を見切り、そして反撃の機会を見逃さなかった。

 八上が繰り出した下段回し蹴りを空護は足を浮かせて避ける。八上は後ろ上段回し蹴りに連携するも、それを見越していた空護は体を錐揉みに回転させて回避。回転の勢いを殺さずに渾身の一振りを八上の肩に打ち込んだ。

 鱗に阻まれて斬れはしなかったが、衝撃までは受け切れず八上はその場で膝をついた。

 その隙を逃さず、空護は敵の腹部を一突きにした。切先が背面に突き出る。

「がっ……は、ぐっ、テ……メェ……、テメェええええええ‼」

 危険を察知した空護は刃を引き抜くと素早く距離を取る。引いたのと紙一重で八上の体が赤熱し、周囲半径二メートル内が自然発火した。とんでもない熱を発している。

 これが相手の切り札だと察しがついた。余程の自信があるのか、八上の表情は勝ち誇りと直前までの屈辱が混じった目を背けたくなる形相となっている。

「へ……へへへ、どうだ……スゲェだろ? こうなったらもう勝ち目はねぇぞ。オイラに触れたら溶解確定だ、それどころか近付くことも不可能だ」

 ハッタリでないのは間違いない。これだけ間合いを離しても熱気がジリジリと肌を焼いているのが分かる。火炎なら発気が形成する力場で防げるが、熱そのものは防ぐことはできない。攻防の止んだ静寂の中、八上が続けて口を開いた。

「……邪魔される訳にはいかねぇんだよ。もうこれ以上……待っていられねぇんだよ」

 急に八上からある種の必死さが滲み出た気がした。それを見て空護はしばらく胸に抱えていた疑問を口にした。

「……夜刀神(やとのかみ)……か」

「なっ……‼」

 八上の顔が驚愕に歪んだ。この反応で空護は自分の仮説が正しいことを確信した。

「大昔にこの地を開墾した際に邪魔だからって追い出された蛇神様。神として言い伝えられてるけど、お前さん達のご先祖様だったんだな」

 夜刀神社の破壊を望むヘビの魔精――そこまで分かった時にこの仮説は成り立った。

 あの場所は夜刀神を封じるために建てられた場所として伝承されている。現実になにが封じてあるかは知らないが、彼らにとってなににも代え難いものに違いない。

「……そこまで分かってて……なんで邪魔しやがる⁉ なんの権利があって……いやそれ以前に、だったら分かんだろ、どっちに義があるか⁉ 奪ったのは人間だ! オイラ達には取り戻す権利が、テメェらには償う義務がある筈だ‼ なんで――」

「知るかド阿呆」

 この男にここまでの義侠心あるのは意外だった。それでも空護の知ったことではない。

「あれ一五〇〇年は前の話だぞ。そんな大昔のご先祖様がやらかしたツケをなんで俺らが払わなきゃいけねぇんだよ。俺は自分が直接関わったこと以外で責任とる気はねぇ、そもそもご先祖がいたかどうかも定かじゃねぇし。……っつうか俺はお前らの邪魔なんかしてねぇ。言ったろ、俺は逃げれたらそれで良かったんだよ。それさえできたらお前らがなにしようとどうでも良かったんだ。邪魔したのはむしろそっち」

 それを聞いた八上は刺されたように脱力し、顔を伏せると静かに笑い声を上げた。

「……くっ……くくく、ははははは……言うに事欠いて『どうでも良かった』か」

 笑い、顔を上げると八上は改めて空護と目を合わせた。

 その表情からは今までの見下す雰囲気は消え、代わりに深い蔑みが見て取れた。

「そうだよな、所詮人間如きに分かる筈がねぇ、ましてやテメェみてぇに更にその最底辺にいるような人間に……。なぁ、お前逃げたいって言ってたけどそれってあれだろ、正体を他の人間に知られたくなかったんだろ? そりゃそうだよな、バレたらどう見られかなんて明らかだもんな。奴らから見たらまだ鬼か悪魔の方が可愛く見えるぜ。ははは、傑作だな、魔精からも人間からも蔑まれる立場ってのは、はっはっ……ははははははは‼」

「御託はいい、やるならとっととやれ。出し惜しみはすんなよ……後悔したくないなら」

 空護の発言に、再び八上の顔に怒気が宿った。

「気に入らねぇ、テメェの顔、声、吐く息から足音までの全てが気に入らねぇ……」

 八上は血の色をした瞳で空護を睨みつけた。

「原型留めるどころか消し炭が残ることすら許さねぇ。一欠片も残らず、蒸発しちまえ‼」

 言い終えると同時に地面を蹴り空護へと迫る。巨大な熱の塊と化した八上と接触すれば言われた通り空護の体は消し炭すら残らないだろう。ならばとるべき手段は一つ。

 手にした《叢雲》を上段に構えると刀身に凝縮した発気を解放、その際に指向性を持たせ更に気力を上乗せすることで極大の発気の刃が形成される。正に牙とも呼べる一振りを空護は全身全霊を以って無心で振り下ろした。

大和天創流武空刀術(やまとてんそうりゅうぶくうとうじゅつ) 龍牙(りゅうが)一刀(いっとう)

 八上の切り札が達する前に、放たれた空を断つ龍の牙は獲物の体を左肩から股下にかけて一刀両断し、直線上にある全てを食らい尽くした。

 振り下ろしの体勢のまま残心をとる空護の目の前には天井、床を含め突き当りの壁面まで一直線に牙で抉られた傷跡と、その途中に這いつくばる肉塊が残された。

 見事に真っ二つに成り果てた八上がそこにあった。既に事切れている。その表情は驚きも怒りも宿さない無表情としか言えないものだった。

 死ぬ間際になにを思ったのか察しもつかなければ興味もなかった。

 あれ程感じていた不快感も消え失せ、空護は最後に物言わぬ骸に手向けの言葉を贈った。

「今更だが、遅かれ早かれお前達は人間の手で駆逐されてたよ。どんな奇跡が起きようと、お前達の要求が通ることはなかった」

 返事は返ってこなかった。それを見届けてから終わったと実感し、その後に改めて自分に対して激しい嫌悪感が湧いた。感情を持て余している所に近付く気配――風真だ。

「よっ、お疲れさん」

「あぁ……、二人は?」

 指で「そこ」と示された先に日向と壱与がいた。心配はしていなかったが、無事のようで一安心だ。傍に行こうとして、風真からの妙な視線が引っかかった。

「……なんだよ?」

「ん、いや、さっきの戦闘な、相変わらずスゲェって思ったんだけどよ、……なんからしくねぇなって感じがしてよ」

 そう言われる心当たりはあった。わざわざ全力勝負を挑む必要などなかった。

 相手が油断している内に――最初に吹き飛ばした時に首を飛ばせばケリがついたのだ。そうしなかったのはイラついていたから、八つ当たらなければ気が収まらなかったからだ。

 その原因は八上ではなかった。

「……大和くん」

 気付けば日向が傍にいた。イラつきの原因は彼女だ。しかしそれは彼女のせいでなく、あくまで空護の勝手な事情のせいだ。

 日向がどんな表情をしているかは分からない、今の空護に日向の顔を見ることはできない。代わりに歩きながら生気を失っている壱与に寄り添った。

「風真、外に出たら神代を連れて煉に合流してくれ。俺は天道を家まで送る」

「え、……あぁ分かった。それはいいけどお前、彼女どうする――」

「ヘマして悪い、でもこいつのことは俺に任せてくれ」

「大和くん、あのね――」

「神代……皆と一緒に先に帰っててくれ。俺もすぐに帰るから」

 会話はおろか、ろくに目も合わさずに空護はその場を後にした。

 放心状態で動かない壱与を抱えて跳び上がり、夜の闇に溶け込むように街の上空を翔ける。すぐにでも日向から離れたかった。

 彼女の近くにこれ以上いたくない。それどころか日向に見られるのも嫌だった。

 最悪な一日だった。余計な事件に巻き込まれ、よりによって学校の同級生に正体を晒してしまった。空護にとっては今まで魔狩として生きてきて最大級の失態だった。

 特に最後に八上から言われた一言が胸に刺さった。

 ――言うに事欠いて、鬼かよ。

 よりによって鬼と言われたことが空護の感情を激しく揺さぶっていた。

 だがそれ以上に日向に魔狩としての自分を見られたことが空護の心を掻き乱していた。

 なぜか……その理由は自分でも分からなかった。

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