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セイバートゥース ~魔を狩る牙~  作者: 夢見シン
魔を狩る牙
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「ふぅ~、これで全部かな?」


 正午を四時間ばかり過ぎて昼とも夕方とも言えない時間帯。一週間分の食料買い出しを終えた壱与は両手にエコバックを抱えて家路を急ごうとしていた。


 両親共に仕事で家にいることが少ないので、壱与は掃除から炊事までの家事をほとんど一人でやっている。買い出しはいつも日曜日に一週間分をまとめてしているが、昨日はまだ冷蔵庫に残り物があったのと雑務で忙しかったので今日になってしまった。


「今日が創立記念日で助かったわ」


 独り言を呟きながら周囲を見ると同年代の女子はおらず夕飯の買い物に来ている奥様方がちらほら。見た目の雰囲気ならそれらと大差ない自分を観察して壱与は嘆息した。


 ――あたしって精神的に主婦なのかしら?


 自分の振る舞いに不満はない。しかし年若い乙女が買い物籠を片手にあれが高いこれが安いなどとは花の時間の浪費というのは友人の談。


 そんなのは人それぞれと永らく無視してきたが、改めて認識すると自分はとんでもなく少数派に属しているという現実が突き刺さった。


「別に買い出しだけじゃないもん! ショッピングだってするもん! 今日だって沢山お店に行ったし!」


 つい誰に聞かせる訳でもない自己弁論を口走ってしまう。流石に休日を買い出しだけで潰すのは勿体なかったので、いつもは近場のスーパーで済ます買い物を今日は少し離れた大型店まで出向いて色々見て回ったのだ。買いはしなかったが。


 だって仕方がない。同年代が着ている所謂可愛らしい服なり小物は値段が高いイメージがあるし実際高い物は高い。皆はそういった物にお金をかける程に価値を見出せているが、費用対効果を考えると壱与にとってはそこまでお金を費やす必要性はない。


 服など多少綺麗で動き易ければ問題なし、鞄も機能性を考えれば物が沢山入る大きい物がいい。見せるしか用途のないアクセサリーは身に着けても邪魔にしかならない。そんな物にお金を浪費するなら日々の糧を得る方がずっと有意義だと思う。


 ――誰かに言われて気になる程度には気になるけど、やっぱり心が動かないのよねぇ。


 読書好きなので本には投資できる。今日も店内の本屋を見たが、残念ながら目ぼしい本は見つからなかった。こうなると遠くまで無駄足を踏んだ気分になる。この後に重い荷物を抱えていつもより遠い距離を自転車で走るとなると余計にだ。


「……いつものスーパーより品揃えが良かったってことで納得しとくか」


 本日三度目の独り言を自分に言い聞かせ、壱与は改めて店から出ようとした。その時、店内の一角からざわめきが起こった。それは次第に悲鳴となって広範囲に拡散していった。


 そこで店の外へ逃げなかったのは不意に目にした光景に思考が停止したせいだ。


《なにか》がそこにいた。まるでボロキレのように破れた衣服から見える肌には青白い鱗がびっしり張り付いている。鱗のついてない部分は魚の腹みたいに真っ白だった。手には鋭い鉤爪が生え、口にも牙が見え隠れし、そのどちらからも赤い滴が垂れていた。


 咄嗟に、特撮のロケ中と考えてしまったのは精神の防護機能が働いて恐怖心が麻痺したためかもしれない。しかしそのせいで壱与は正常な判断力を失い、不覚にもその場で立ち尽くしてしまった。


《なにか》と目が合った。向こうから近づいている。逃げろと誰かが頭の中で囁いた。


 しかし動けない。見えない力が足を全力で押さえ付けていると思った。


《なにか》が目の前で止まった。恐怖心が少しずつ正常に働き始める。


 そして《なにか》の手が壱与の首に触れようとしたその時、ようやく壱与は弾けたように悲鳴を上げ、意識を失った。


― * ― * ―


『……了解。準備が整ったらすぐ助けに行くよ』

「頼む。こっちからもできるだけ情報を送る。タイミングはそっちで決めてくれ」

『任せて。そっちも下手打たないでよ』


 半笑いでぬかせと吐き捨てて空護は通話を切った。移動しながら今後の行動指針の組み立てと現状の整理のために脳をフル稼働させる。状況は芳しくないが、最悪でもなかった。


 建物全体は謎の集団に占拠されてしまったが、まず日向はまだ生きている。まだ店内にいることも分かっている。攫われた時はどこか遠くに連れ去られたと思い肝が冷えたが、どうやら店内のどこかに移動しただけらしい。


 仲間との合流地点と空護は目星をつけていた。索敵した所幾つかの魔晄が複数の人間の気力と一緒に一点に集約しつつあった。その中には日向の気力も含まれる。


 最優先事項は魔精と思しき立て籠もり集団から日向を取り返し、速やかに店の外へ退避すること。無駄な戦闘を避け、尚かつ誰の目にも留まらずに実行するためには合流地点を視認し、状況を正確に把握するのと同時に脱出経路の選定もしなければならない。


 索敵と適度な視察でざっと確認した結果、地下一階から地上四階まで五階建ての店内に人影はなかった。時々見回り中の犯人メンバーと連中の仕業と思われる死体に出くわしたが前者は難なく、後者は胸の内で冥福を祈って切り抜ける。偵察により脱出に必要な情報を得ながら空護は目標地点の四階に到着した。


 犯人グループが人質を囲っている場所はなんの因果か空護達がさっきまで休憩していた飲食スペースだった。死角から遠目で視認し、犯人グループは六人。見回りの人数を足せば十人になる。それに対して人質は十人前後が椅子に腰を下ろしており、日向もそこにいる。怪我をしていないことに空護は胸を撫で下ろした。


 ある程度は現状を理解した上で、どういう手段であそこから日向を連れ出すかで空護は頭を悩ました。脱出経路は幾つか考えている。この階層は店の隣の立体駐車場と渡り廊下で繋がっているので、最悪そこの窓を破って飛び降りてもいい。


 と思ったら渡り廊下が落とされていたので窓を破る必要はないみたいだ。


 問題は人質に近付くと嫌でも犯人達に見つかってしまうことで、それをどうクリアしようかもしくは煉達の準備が整うまで待つべきか思案していると、空護は思いがけない顔を人質の中から発見してしまった。


 ――なんで天道まであそこにいるんだよ?


― * ― * ―


 まだ日が沈む気配はないが十分に夕方と言える時間帯――日ノ出駅周辺は平日とは思えない喧騒に包まれていた。主に駅前の大型商業施設《エトートーカドー》周辺が。


 店内が謎の集団に占拠されてから、何台ものパトカーが幾重に点滅灯を光らせ厳戒態勢であることを主張していた。とうに一般人は周辺への立ち入りを禁止されている。


 立ち入れるギリギリの境界線――そこに群がる野次馬の更に後方から煉は状況の推移を静観していた。空護と日向を打ち解けさせようと二人から離れたのが仇になった。店内の混乱に気付いた時にはもう遅く、煉と風真は二人に合流できずに逃げる人々によって外へ押しやられてしまったのだ。


 無理矢理に突っ切ることも考えたが、人の目が多いことが煉を躊躇させた。今となっては空護の近くにいるより外からサポートできることを良しとすべきか。


 空護と連絡を取り合ってから現在までに進展はない。空護からは援護の要請があったが、可能なら単独で状況を打破してみる旨もことづかっている。煉は既に援護に必要な手筈を整えているため、空護が自分でなんとかするのと、こちらの準備が完了するのとどちらが先になるかを待っている状態だった。


「今やれることなんてないけど、君が大人しくしてるとやっぱり違和感があるよね」

「機会があれば大人達と一緒にお前がオレをどう見てるのかはっきりさせる必要があるな」


 風真と軽口を言い合いながらも、煉にはそれ程気持ちに余裕がある訳ではなかった。


「まぁ唯一の不安は日向ちゃんの無事だな。攫われたって聞いた時はテンパったけどよ、空護が動くならなんとかなんだろ」

「……だといいけどね」

「なんだよ煉、心配してんのか? 確かにちと状況厳しいけどよ、あいつがしくじる場面がオレには想像できねぇぞ」


 それは煉も同じだった。空護の実力を疑ったことはない。ただ気持ちの悪いモヤモヤが胸から消えてくれない。確信はないが、なにかがおかしい。


「風真、どうして犯人達は店の中に立て籠もってるの?」

「どうしてって……逃げ遅れたからじゃねぇの?」

「違うと思う。そもそも彼ら逃げようとしてないし。僕も最初は一般人の虐殺が目的かなって考えたけどそれも違うみたいだし」


 空護から聞いた話だと襲撃時に殺された人数はごく少数。店の客がパニックを起こすのに必要な数を殺傷しただけで後は人質を取って立て籠もるために行動していると空護から報告を受けていた。


「おかし過ぎるだろ。籠城なんざ逃げ遅れて仕方なくやる策だぞ。オレには率先して立て籠もる理由が思いつかねぇよ」

「衝動的な犯行にしては手際がいい。仮に計画的に籠城したとなると考えられるのは……人質の解放を条件にした要求があるってとこかな?」


 または自分の把握していない事態がどこかで発生しているかもという懸念が煉の胸中をざわめかせていた。


「その予測は概ね正しいぞ」

「「源さん!」」


 聞き慣れたハスキーボイスに振り返ると、そこにはガッチリ筋肉体型に黒いTシャツとジーンズ姿で髭面の源一郎が険しい表情で立っていた。空護と連絡し合ってすぐに必要な物資を持って来てくれるよう頼んでいたが、予想以上に早い到着だった。


「すまねぇな源さん。仕事中にいきなり呼び出して」

「なぁに気にするな。客がいねえからそろそろ閉めようとしてた所だ」


 口調はいつも通り軽めだが表情は険しいままだった。その理由――先程の発言の意図を煉は問い質した。


「源さん……『予測は概ね正しい』ってどういうこと?」

「待て。報告することは多々あるが、ここじゃ不味い。話は車の中でだ」


 連れられて、煉と風真は傍の駐車スペースに停められた黒いミニバンの車内で、改めて源一郎に詰め寄った。


「言うより見た方が早い。二人ともこれを見ろ」


 見せられたのはカーナビの画面に映されたニュース番組だ。その内容に煉は驚愕した。


 映っていたのは日ノ出駅前の《エトートーカドー》周辺の映像だけでなく、市立図書館と、更に地元の大手企業である《日ノ出製作所》の工場が映されていた。その映像のどれもが大量の警察車両と大勢の警官隊で画面を埋められている。


「市内三か所で同時に立て籠もり事件……」


 事態の全貌を把握し切れていない不安はあったが想像以上の大事だった。煉は胸の内である懸念が像を成していくのを感じていた。


「日ノ出署の署長に聞いてみたんだが、三か所全て似た外見の連中に占拠されてる。全身が青白い鱗に覆われた人型のヘビみたいな輩だそうだ」


 日本全国で言えることだが、その土地に暮らす魔狩と地元警察の結び付きは非常に強い。今のご時世、警察の手回しがなければ魔狩は仕事ができない。岩戸村の件でも会津集会所を通して福島県警に協力を要請していた。


 情報の提供から世間への情報統制、事件に魔狩が関わった証拠の隠滅まで警察のバックアップは幅広い。もちろん両者の関係は警察側にも旨味はある。


 基本的に魔狩は魔精討伐の功績を警察に譲ることにしている。これにより警察は本来なら自衛隊に取られる手柄を自分達のものにできる。


 これらの理由から地元警察から得られる情報は信頼性が高い。よって得られた情報は煉の脳内で極めて綿密なロジックを組み上げ、現状を細かく掌握する助けとなった。


「源さん、空護の話だと店内にいる犯人の中に僕らが知ってる人間がいたんだ。少し見なかった間に彼はさっき源さんが言った外見に変貌したらしい」

「……‼ つまり敵は元人間――《凶堕(まがおち)》ってことか!?」


 野生の獣が魔精化して生まれる魔精を《変化》と呼ぶのに対し、人間が魔精化して生まれる魔精を《凶堕》と呼ぶ。その発生原理は複雑で、出現する頻度は変化とは比較にならない程に低い。ましてや今回のように一度にここまで大量発生するなど異常である。


「明らかに何者かが故意に引き起こした事態だ。しかもかなり手が込んでやがる。狙いは今の段階じゃ皆目見当もつかんが、一つだけはっきりしていることがある」


 聞かなくても源一郎の言いたいことが煉には分かった。


「うん。どうやっても警察の手に負える事件じゃないよ」


 凶堕の脅威は変化を圧倒的に上回る。能力はもちろん、どういう訳か連中は人間に対して明確な敵意を持って行動するからだ。戦って勝つには専門的な訓練を積む必要がある。一体でも極めて厄介な存在だと言うのに、今回は数も多い上に規模も大き過ぎる。


「十中八九、自衛隊が出張るな」

「風真の言う通り、そうなるとやりにくいよ。警察が仕切ってくれるなら派手にやっても色々と誤魔化せるけど、自衛隊の前でそんなことしたら魔狩だってバレちゃう」


 相当に行動が制限されてしまう。空護が単独で状況打破する必要性が高まってきた。


 しかしそれだけなら言う程は心配ではない。


 空護ならそれくらい平気でやれるのは分かっている。しかし状況を更に悪化させる事実が源一郎からもたらされた。


「残念だが、事はそれだけじゃ済まない」

「っつうか……、これ以上どう状況が悪くなるんだよ?」

「単刀直入に事実を言うとだな……、陸自の勝田駐屯地に《八咫烏(やたがらす)》の部隊が駐留してる。調査役からの確定情報だ」


 その事実に今度こそ煉は絶句した。すぐ横で事の重大さを理解していない風真が聞き返したが、それがなければもうしばらくは言葉を失っていたに違いない。


「あ~その、《八咫烏》ってなに?」

「……政府直轄の対魔精特殊部隊だよ。ねぇ源さん、情報に不備があるとは思わないけど、まだ彼らが出ると確定してないよね?」


 意味のない質問だと自分でも分かっていた。源一郎が留意する必要のない情報を知らせる筈がない。


「これだけ大がかりな事件を起こした連中が未だになんの声明も出していない。要求次第では……可能性は十分あると俺は見ている」


 そしてその要求は確実に生半可なものではないというのが煉の予想だった。


「なぁ、お二人さん……空気読めなくて悪いが、八咫烏が来るとヤバいのか?」

「八咫烏の任務は魔精の殲滅なんだよ」


 煉の回答に風真は全然察しがついてない。流石に煉の口調も少し冷ややかになる。


「分かり辛いなら言い直すよ。殲滅が最優先されるんだ。例えどんな犠牲が伴っても、仮に人質が全員死ぬことになっても、魔精の殲滅が優先される」


 やっと風真が事態の重さを理解し、まるでそうあって欲しいという感じで喋り出した。


「空護なら……空護なら大丈夫だよ、な? 日向ちゃん連れて切り抜けるくらい」


 煉も源一郎も返答できなかった。空護の力は信頼している、それでも分が悪い。一人だけならともかく、誰かを庇いながらだと流石の空護でも厳しい。


 最悪の事態を想定し車内に暗い空気が充満していく。


 その時、煉のスマートフォンから発する着信音が車内に鳴り響いた。

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