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セイバートゥース ~魔を狩る牙~  作者: 夢見シン
プロローグ
1/20

1

 少年が目を開けると最初に空が見えた。


 雲一つない青空が眼前に広がり、視界の縁を木々が彩っている。


 なぜ空が見えるのか? ――それは自分が仰向けになっているから。


 では、ここはどこ?


 疑問の答えは背中の感触が教えてくれた。土と枝と葉が積層され、クッションのようだ。


 同時に土と葉の混ざり合った香りが鼻腔を満たす。自分が森で倒れていることに少年はようやく気付く。


 陽光に照らされて火照った頬を涼風が撫でると心地良さからまた目を閉じてしまう。


 このまま寝てしまいそう……地べたで昼寝など、母親が見たら拳骨ものだ。


 悪いことと知りながら、どうも抗い難い。背中の温もりも欲求を満たせと文字通り背を押しているようだった。


「……?」


 ふと疑問に思う。なぜ背中が温かい? 大の字に寝そべって温かいのは背中だけ。


 広げた指先で土に触れる……決して温かくはない、むしろ冷たい。


 そしてなにより、明らかに背中は濡れている。背中の感覚は湯に浸かっているのに近い。


 だが指先の土はやや湿ってはいるが、この程度で体は濡れない。


 背面を確認しようと起き上がろうとした時、背中に激痛が走った。


「……痛っ!」


 呻いた後、一瞬言葉を失う。あまりの痛みに頭から言葉という概念が消えた気がした。


 仰け反り、小さな体をくねらせながら少年は痛みに抗った。


 地面でのた打ち回る内に顔にネバネバしたなにかがへばり付いた。


 泥……? 目で確認すると違った――赤い――そして鉄臭い。


 自分の周囲に血溜りができていた。そして、それが背中の土を湿らせ、鉄の臭いを発していることに……ついでにそれが自分の血であることを少年は理解した。


 とうとう耐えきれず、泣き声を上げた。


 背中に傷を負っていた。泣きながらしばらく悶絶する羽目になった。


 目に涙を溜めながら、それでも泣き声だけは上げまいと歯を食い縛った。痛みが収まり、呼吸が整ってくると現状を把握しようと必死で思考を巡らす。


 ――なにがあった?


 不幸中の幸い……痛みのおかげで意識ははっきりしてきた。体は全く動かせないが。


 覚醒してくると少しずつ記憶が蘇ってくる。


 まず、なぜ気を失っていた? ――怪我をしたせいだろう。


 では、なぜ怪我をしている? ――襲われたから。


 なにに? ――あれは……鬼だ! 見たのは初めてだったが、間違いない。


 巨大な体躯に深紅の髪……そして、そこから突き出た二本の角。振り下ろされた剛腕と鋭き爪はいとも容易く少年の肉を裂き、意識を刈り取った。思い出すと恐怖で身が凍る。


 最後に、少年はなぜこんな人気のない森に入ったのか?


 鬼から逃げるため? ――違う。森に入ったせいで鬼に襲われた。


 ならば、森に入った理由は?


 ――俺は……捜しに……。


「…………っ‼」


 傷の痛みもお構いなしに、少年は飛び起きた。再び激痛が背中を疾走したが気にしていられない。まだ鬼が近くにいるかもしれないという懸念もあったが、今はどうでもいい。


 少年は友達を捜していた。そのために森に入った。


 そして見つけて襲われた。友達と一緒に。


 最後の記憶は傷を負った直後、その子が自分になにかを呟いた姿。それを聞き取れなかったこと、意識を失ってしまったこと諸々に後悔しながら少年は歩き出した。


 ――捜さなきゃ……助けなきゃ!


 それだけで頭が一杯だった。不吉な予感が頭をよぎったが、それは考えないように……いや、気付かない振りをした。


 背中の痛みを必死に耐え、歯を食い縛りながら、足を引きずるようにヨロヨロと歩く。


 土と葉っぱの柔らかい地面を踏み締める度に、自分の体が沈んでいるような気がする。


 足が自分のものではないと思うくらい重く感じた。まるで膝から下が鉛のように思えた。


 ――どこに……いるんだ?


 焦りだけが募る。なのに歩みは一向に進まない。対して背中の痛みは増す一方だ。傷が熱を持ち、背中が焼けているように感じた。意識が途切れそうになるのを必死に堪える。


 しばらく進むと十数メートル先に開けた場所が見えた。そこに見覚えのある服装の少女が倒れていた。


 見つけた。全力で歩を進める。いつもなら数秒で駆けられる距離が果てしなく遠い。


 安堵の溜息が口から漏れる。しかし、歩を進める度に胸を占める安心感は絶望に変わっていった。


 そこにあったのは少女の亡骸。


 自分のより大量の血溜りの中で、胸を大きく抉られて横たわる少女を見て、少年は一目で少女が息絶えていると分かった。


 受け入れ難い現実が目の前にある。見たくない……目を背けてしまいたい。


 それでも目を離さない。離す訳にはいかない。なにかある筈だと信じた。


 縋るように少女がまだ生きている証を探した。ほんの僅かで構わない。息をしていなくても、鼓動が止まっていても彼女は生きているのだと思いたかった。


 見るだけでは分からない。最後の望みを懸けてその手に触れる……そして全てを知る。


 温もりを失った手からは命の脈動が一切感じられない。


 分かっていた……それでも、そうあって欲しくないと願った。もうどうすることもできないと、もう彼女はどこにもいないのだと悟った途端、目から涙が溢れ出した。


 胸の中にどう形容していいか分からない程の複雑な感情が渦巻く。


 悔しさ――怒り――悲しみ――後悔。


 吐き出してしまいたい……しかしできない……言葉にならない。今の感情を言葉にする術を少年は知らない。それを補うかのように涙がとめどなく流れ続ける。


 やがて言葉にできない想いは咆哮となって少年の口から吐き出された。


 森中に絶叫と泣き声が響いた。


 その刹那……森から音が消えた。


 周りの全てが少年の叫びに聞き入っているようだった。しかし、誰も応えてはくれない。


 なにも少年に慰めの言葉をかけてはくれなかった。


 誰に届くでもない少年の咆哮は、ただ静かに空へと消えていった。

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