瞼の裏に視た景色
エーテルの海属性魔法が具現化し、発現させた海竜によってアランは辛うじて救出された。
だが、突如王都レスティムに現れた巨大な龍によって、魔法力の大半が奪われていたため意識が朦朧としているアランは、必然的にオートル学園の医務室へと送られ――目の覚めぬままに三日の時が過ぎていた。
「アラン君、起きませんね」
ぽつり、呟いたのは彼の姉弟子だった。
白いベッドの上で穏やかな表情で眠るアランの姿は、ある意味不気味に、そして最悪の事態を脳裏に浮かばせるものでもある。
ルクシアの不安そうな声は、その場にいる一同に重く、深くのしかかっていた。
「ルクシア。アランが起きたら一度研究所に来いと伝えておいてくれ。ワシは戻る」
重苦しい空気のなかで、かたりと机にかけていた古びた杖を持ち直して医務室を出て行こうとするのはフーロイド。
「私も……職務に戻る。今、レスティム全体が不安や恐怖に襲われているんだ。中央管理局にも大勢の人が押し寄せてる。誤解を解くのは容易ではないが……あと1週間は特進科の授業も中断せざるを得ない。ここに居たい者に関しては引き留めんさ」
フーロイドに続くように、特進科第二担任のナジェンダは疲れた瞳でため息をついた。
「早く快復することを祈るよ、アラン君」
そう言い残して去ったナジェンダ。結局、医務室に残ることになったのはエイレン、エーテル、ルクシア、シドの四人。
シドは医務室の出入り口の壁に寄り添い、何か考えを巡らせながらじっと待機している。
エーテルは医務室の花を替え、エイレンとルクシアは考え込むようにしてアランのベッドの側を離れない。
そんな空気の中、ぽつり、言葉を零したのはエイレンだ。
「あの時と似てたんです」
エイレンは、アランをじっと見つめて続ける。
「コシャ村にいたとき……アラン君が、霧隠龍の元に瞬間的に移動したあのときと――目が、似ていました」
そのときのことを知っているのは、この場においてはルクシアとエイレンの二人しかいない。
「あのときも、アラン君は光と共に消えて……ファンジオさんの所に行ってたのが、今回と似てました」
エイレンも、アランが眠り込んでから早三日。気が気でない日々を送っていた。寝不足からか、既に目の下には隈が散見されていた。
「…………」
興味深そうに耳を傾けるものの、シドは何も言葉を発さなかった。
腰に帯刀した直剣を一瞥してため息をつくばかりだ。
空は曇天。激しく窓をたたく雨で天候すらも好ましくないその状況で、音もない一瞬の光が、暗い空を覆っていた。
○○○
アランが目を覚ましたのは、夜も深まった頃だった。
昼とは打って変わって空には紅の月と銀に輝く月が夜の王都を明るく照らしている。
アランが寝ている白いベッドの側には、椅子に座って倒れるようにして眠るルクシアがいた。
「夢じゃ……ないか」
ぽつり、呟いた一言が医務室内にむなしく響き渡っていた。
自身にかけられていた薄い羽毛布団を剥ぎ取って、備え付けられていた靴を履く。
一度立ち上がって、身体のどこかに異変を感じないかと確かめるべく、目をつぶった瞬間に彼の脳裏に浮かぶのは、様々な景色だ。
それはコシャ村でもあり、王都レスティム――否、アルカディア王国全土を遠く見据えるような、そんな感覚だった。
その景色は流動的で各地を覆う雲が次々と場所を移してく。
ある場所では火山が噴火している。
ある場所では地震が発生している。
ある場所ではその余波により小規模な津波が起こっていた。
ある場所では地滑りが町を包み込んでいく。
ある場所では洪水が町を飲み込んだ。
ある場所では雨が降らず干魃となった。
そのすべてが、まるで自分自身が見ているかのように、体感しているかのように鮮明に浮かび上がってきていた。
「俺の身体、どうしたんだ」
目を開けると、何も見えなくなる。それをそれとして見ようとしなければ、目を瞑っても光景は浮かんでこない。あえて視ようとすれば浮かんでくるその光景に疑問を抱きつつ、アランは頭を振った。
アランの寝ていたベッドの側にあったのは、ルクシアからの短い伝達。目を覚ましたらフーロイドの元へ行け、という短いものだった。
それに従うべく、アランは次第にはっきりとしだした意識と共に医務室の出入り口に立った。
医務室を出るとそこにあるのは暗い通り。
ここを西の方角に進めば研究室が――。
「起きたか、アラン」
研究所へ続く廊下を一歩踏み出したところで聞こえてきたその声。
「シド……」
医務室の外壁に寄りかかって腕を組んでいたのは一人の少年。
魔法適正が全くないその少年の周りの空気からは魔法力とは異質のものが雄々しく漂っている。
紅の髪をオールバックに整え、筋骨隆々とした少年――剣鬼シド・マニウスは右腰の剣柄を静かに握りしめた。
「話がある。表出られるか?」
野太く、低いそのシドの声はアランが今まで聞いていた明るい快活なものとはまた別の印象を抱かせた。
アランは首元をぽりぽりと掻きながら、「ここじゃ話せないことか?」と、暗い廊下に佇むシドに向かって言葉を吐いた。
「あぁ、まぁな」
シドのその言葉は、どこか形が無いように感じられた。
どこか空虚で、どこか寂然さえも感じさせる表情。
「……分かった」
そんなシドの表情と言葉に、アランは短く頷くことしか出来なかった。
自分自身で感じていた身体の変化への疑念を、心の底に閉じ込めて――。




