違和感の正体
一日が終わろうとしていた。
魔法具専門店クレイディアへの滞在時間、およそ9時間。一日中店に籠ってその主と共に熱い魔法具トークを展開していたシドとエイレンの表情はいかにも満足そうだった。
「今日は興味深いお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうござました」
「おう、エイレンちゃん。こっちもありがたかったぜ、おめぇさんが言ってたシチリアの国からは輸入してみる。完成品は是非とも受け取ってもらいたい」
「光栄ですっ!」
エイレンが深々と店の主にお辞儀をした。店主もまんざらではなさそうだ。
「おい、シド」
薄ら笑いを浮かべた店主がシドの元に歩み寄った。シドの耳に何かをひそひそと呟くと同時に、シドの顔がみるみる内に紅潮していく。
そんな姿を見たエイレンは頭の上に疑問詞を浮かべるが、シドは「ゴホン」とわざとらしく咳払いを打って「冗談言わないでください」と自らの師を戒めた。
「じゃ、行くか」
シドは気を取り直して、となりで小さく二つの手を結ぶエイレンに歩み寄った。
すると、エイレンは店頭に置いてある一つの魔法具を手に取った。
その様子を一瞥した店主は、からからと笑みを浮かべながらエイレンの持つ魔法具を指さした。
「どうした、エイレンちゃん。それが欲しいか? でも、火属性魔法を使うアンタに扱える代物でもねぇぞ、これは」
店主の言葉に頷いたエイレンは、ふと顎に手をやった。
エイレンが手にしたのは、古びた素材であろうものを凝縮して作られた灰色の腕輪だった。
中身は空洞。これに魔法力を通し、特殊な石材で魔法力を液体に置換させて溜めておくものだ。
魔法力という概念上の力を液体として保存すること自体珍しいこの世界において、子の腕輪は非常に高価そうに思えた。
それでも、エイレンは自身の貯金を崩してでも買ってみたいという衝動に駆られていた。
自分では使うことが出来ないが――。
「むしろこれは大規模範囲魔法に長けた魔法の使い手に向いてますもんね……。あ、あの……よろしければ、これ、買い取らせていただいてもいいですか?」
ほんの少しばかり顔を赤くしたエイレンのその言葉に、店主は自信ありげに頷いた。
「おう……っていうか、持っていけばいい。アドバイスしてもらったお礼だ。やるよ」
「え、いいんですか!?」
エイレンのキラキラとした瞳に、店主は「おう、おう」と頷いた。
こうしてシドとエイレンは魔法具専門店クレイディアを後にしたのだった。
○○○
「……や、やっと……やっと出てきたわね、あの二人」
魔法具専門店クレイディアの裏路地。傘の下に二人で疲労の色濃く過ごしていたのはアラン・ノエルとエーテル・ミハイル。
段々と秋が深くなっていくにつれて気温も下がって来る。朝から降り続ける雨は止む気配を見せず、二人の体温を奪っていくばかりだった。
そればかりか先ほどからアランを襲うのは断続的な頭痛だ。
「ねぇ、アラン……」
ぼーっと、鼠色の空を見上げるアランは、どこか放心状態だった。
なにを考えるでなく、エイレンとシドを見守るでなく、傘を持って、エーテルを雨から防ぎ自分は濡れるか否かのギリギリの位置に立っている。そんな状況に業を煮やしたエーテルが肘でアランの脇をちょい、ちょいと小突いている。
「……あ、あぁ……」
「って、さっきからずっとそんな感じよね。何かあった?」
「……いや、何というか……違和感ってのか何かは知らないんだが……。わ、悪い」
「そ、そう畏まられて謝れると……って、追うわよ!」
二人が繰り広げる会話と共に、エイレンとシドはそれぞれ店主から傘を一本ずつ借りてクラウディアを後にしていた。
元来た道を戻るエイレンとシドの後を追うアラン、エーテル。
行きと変わらない道筋で坂を下っていく四人だったが、ここで初めてアランは自身の持つ違和感を身体で感じ始めていたのだった。
「……空?」
アランは、今一度空を見上げる。そこには先ほどと変わらない鼠色の空。
だが、アランだけが感じていた。中央通りに出たが、周りの者は皆気付いていない。このじめじめとした天候の中、嫌そうな顔で空を見上げて雨がいつ止むのかと。そう愚痴をこぼす者もいるだろう。
そうではない、圧倒的なナニカ。
アランの両腕に自覚せず鳥肌が立つ。唇が震える。歯がカチカチと音を鳴らす。
「あ、アラン……? どうしたの? 顔、青いわ……ちょ、どうしたの!? アラン!?」
アランの異常に気付いたエーテルが肩を揺らした。だが、そのエーテルの声もアランの頭には届いてこなかった。
ガァンッ!!
「……うぐっ……!?」
瞬間的にアランの頭を襲ったのは激しい鈍痛だ。物理法則を丸っきり無視して、脳髄から込み上げてくるような太く長い頭痛に。
自然とアランは鼠色の空の一点を凝視している。
それはアランがかつて見た――否、かつて聞いた謎の声に酷似していたのだ。
『――こちらへ』
それは、アランの脳内に直接響いてきた。
「……お前は……また……ッ!?」
アランの脳裏に浮かんだのは、春のあの日――シド・マニウスと共にオーブル討伐に向かった時に出くわした声と全く同じものだ。
そして、あの時アランはその声により頭に響く痛みに耐えられずに気絶した。
自分が起きた時にはもう、手遅れだった。その時、王都は――。
あの時は人的被害は幸いにも起らなかった。だが、今回もそうなるとは限らない。
もしかしたら、自分が考えていることが杞憂に過ぎないのかもしれない。だとしてもアランはそれを見過ごすことは出来なかった。
「エーデル……ッ! 今すぐ……!」
「ちょ、アラン……!? あなた、大丈夫!? い、今すぐ……えっと、えっと……!」
「いや、いい……! いいから、今すぐこの場所から皆を避難させてくれ!」
「……はっ!? なんで!?」
「手遅れになる! 春の時の竜巻が来る可能性がある! 早く、皆を避難させるんだよ!」
「ほ、本気……なの?」
エーテルの驚くような表情に、アランは力なく頭を縦に振った。
「…………」
必死の形相をしたアランを見て、エーテル自身も嘘だとは断定できなかった。
エーテルも、アランには何かしらがあることだけは知っている。
だからこそ、彼女はすぐさまに動いたのだ。
まさにその直後だった。
鼠色の空から放たれる一閃が、王都中央通りの端に佇んでいたアランの元に降り注いだ――。




