覚悟
「汝、山神。我ら一同は日々コシャ森の恵みを受けてこれまで生の恵みを頂戴しております……。その感謝の念は誰しもが同じ。我らコシャ村民は、神に忠誠を誓い、これからのさらなる発展を――」
コシャ村長は、森の中央の祭壇前でそう詠唱する。
それに続き、村人は次々と頭を垂れて、村長に続き下を向いたまま「汝、山神――」と詠唱を続ける。
これは霊鎮祭、一の儀。その名を『詠唱』。
霊鎮祭には通常三つの儀式が存在する。
一つに、現在行われている『詠唱』。村人総出で一時間、神に祈りを捧げて日々の生命の恵み、並びに森の命への感謝を神に伝えるものだ。
二つ目に、『神盃奉納』。村で一年をかけて醸造された、米からできた酒を森の神に奉納するという名目で、村人の大人たちが盃を一杯だけ交し合うもの。
そして三つ目に『霊鎮祭』。これこそ、村人総出で朝から晩まで唄え踊れの限りを尽くしたこの祭りの一大イベントだ。
出店が森に立ち並び、家族みんなでゲームをしたり、楽しく食事をして、今年一年の健康を森の神に示すことこそがこの祭りの一番の楽しみだった。
だからこそ――。
「ふぁ……ああ……」
一の儀である『詠唱』、そして二の儀である『神盃奉納』は子供たちの取っては退屈の二文字が付きまとってしまう。
それは、村の娘、エイレン・ニーナも例外ではない。
一の儀が始まってからまだに十分も経ってない。そしてそれがあと四十分も続くとなると考えるだけでエイレンは静かに身震いを起こしていた。
正座を足は既にピリピリと細かな痛みを発しており、横の両親はと言うと村長が語ると同時に詠唱を繰り返す。
たかだか六歳の子供にとって、その詠唱の意味は全く分からずにただただ座っていることの無意味さを痛感し始めた、その時だった――。
「……エイレン……」
ちょいちょいとエイレンの服袖を引っ張った人物。肩まで伸びる茶髪をふりふりと動かしながら、服を引っ張った方を向いたエイレン。その先には四つん這いになりながらエイレンに近づき、いかにもいたずらをする子供のように「にひひ」と笑みを浮かべながらも、人差し指を口に持ってきて「しー」の合図を打つエイレンの親友、ミイ。
彼女は「ミイちゃ――!」と言おうとするエイレンの口を無理やり塞いでもう一度「しー」と指で制止しながら笑みを浮かべる。
橙色の髪に身を包んだその華奢な少女、ミイは「いい? エイレン……」とそっと耳打ちした。
「ゴルジがよんでる……。みんながおじぎしたとき、いくよ……」
「……うん、わかった」
「エイレン、きょうはわるいことだーっていわないんだね」
「きょうはいいのー」
実際のところ、エイレンもかなりの暇を持て余していた。
なにをしているのか、何の意味を持っているのかの定義が曖昧な子供にとってこれほど退屈なものはなかった。
「皆の者、神に祈りを――!」
村長がそう呟くと同時に、大人たちは最敬礼の意味を込めて深々と頭を垂れていく。
「いくよ、エイレン」
「わかった……!」
ミイの合図とともにエイレンはバッとその場を四つん這いになり人の列を過ぎていく。
エイレンは長時間の正座で足の痺れが残っていたために動きがかなりぎこちなかった。
「いててて……」と片目を閉じつつも二人は素早く、するすると人波を出ていった。
「こっちだこっち! ミイ、エイレン!」
木々の影からはゴルジの姿。
黒髪の丸坊主頭の上に緑色の葉っぱが乗っているのを見たエイレンは思わずクスリと口に手を抑えて笑ってしまっている。
いつも通りの白いワンピース。ただ今日の頭に麦わら帽子はなかった。
「よぉし、みんなあつまったな!」
森の中央で、大将格のゴルジが木の棒を持ってそれを天に掲げた。
「かみってやつはおれがこんなして、こうしてやるんだ!」
そう元気高らかに木の棒を振り回すゴルジの姿に、皆は一様に「おおお」と称賛する。
そんな賞賛を受けたゴルジは恥ずかしがりながらも、「とりあえずひまなんだ」と単刀直入に話を切り出した。
「じゃあ、きょうもまほうおにごっこやるの?」
エイレンが疑問を呈するが、それを「ちっちっち」といなした坊主頭のゴルジは皆を一目見た。
「おれ、とうちゃんからべつのあそびおしえてもらったんだよ」
その言葉に集まった六人は一様に興味を魅かれたらしかった。
「そのなも――『魔法かくれんぼ』!」
「まほうかくれんぼ……? かくれんぼの魔法バージョンってこと?」
エイレンの問いに、ゴルジは「ああ」と小さく呟いた。
「いいか? いまからとうちゃんからおそわったこと、いうからな。ふつうのかくれんぼとおんなじなんだけど、まほうをつかってみつけだすんだ」
「まほうでかくれてるひとをみつけだすの? そんなことできるのかな……」
「それができるんだ、いっつもおにごっこやってて、それぞれのまほうはわかるじゃん」
「……なるほど」
「ってことで、やってみようぜ! おれがおにやる! だからみんなはむらのなかのどこでもいい、かくれてくれ!」
ゴルジのその号令と共に、皆は表情を変えた。
勝負事になると本気になる子供の性質だった。
○○○
「っていっても、ゴルジくんこないなぁ……」
エイレンの隠れた場所は、村の中央通りから少し離れた路地裏。
そこに設置された小さな階段だった。かれこれ三十分そこに隠れていたが、ゴルジが探しに来る気配は一切ない。
「……これじゃあおかあさんのはなしきいてたときとかわんないじゃん」
少しばかり不服そうに呟いたエイレンはバッとその場を後にした。
「むら、しずかだなぁ」
村の大通りには人は一人もいなかった。空は曇天。雨が降るか降らないかといった程度だった。
「こんなとき、アランくんだったら……どうするんだろう。あしたも、あさっても……ずっとさきのてんきもわかるのかなぁ」
ふいに、アランの家のある方角を向こうとした――その時だった。
ダッダッダッダ……。
村の端から聞こえてきたのは、馬の足音だった。
ふと音をする方向を見れば、猛スピードで村を横断しようとする馬車。そしてその荷台には何やら白い袋が被せられていた。
「え……え……?」
盗賊かもしれない――そうエイレンが考えた束の間、馬車が通り過ぎた。その後ろからこちらを見ていた人物に、エイレンは見覚えがあった――いや、それは運命の出会いだったと言えよう。
「あ、アランくん……!?」
こちらを覗き見るのはアラン・ノエル本人だった。
――悪魔の家系一家が村に現れたとしたら、すぐに誰かに報告して逃げるのじゃ。
村長の言っていた言葉が脳裏をよぎった。
――とにかく、奴らは危険じゃ。じゃからこそ不意を突かねばならん時は必ず現れる。
大人たちはそう言っていた。
エイレンには何故大人たちが神妙な表情で話していたのかの意味は分かる由もない。
ただ、その事実は村の皆に知れ渡っている。
「んー……エイレンどこだろう……」
ふと大通りに姿を現したのはゴルジだった。
そのまま行けば、必ずアラン達一家に遭遇してしまうと。そう考えたエイレンは、気づけば思いっきり叫んでいた。
「ゴルジくんにみつかったー!」
その言葉を聞いたゴルジは笑顔で「エイレン、みーっけた!」と思いっきり声を上げる。
そのすぐ後に、アラン一家を乗せた馬車は姿を消していく。
「なんで……だろう」
自分は何故アラン一家を守ろうとしたのか。
ゴルジにそのことがバレたならば、正義感の強い彼ならば必ず村長に報告すると踏んだからだろうか。
「……わたし、なにもみてないもん……」
エイレンのその心内は、非常に穏やかなものだった――。