囁きの声
本能限界の一部開放。その測定は三日おきに三回行われる。
二回目も終了し、生徒たちの疲労も濃く、半ば窶れた状態となっていた。
それはアランも例外ではない。短期間に集中的な意識限界を繰り返すのには、身体にも相当な負担をかけてしまう。
「……帰って、寝よう……」
アランはふらふらと額に浮かんだ脂汗を拳で拭き取って、スターマイアに包まれた実験室を後にする。
「私も、ここまで魔法を使ったのは初めてかも……」
「そういや、エイレンはこれが初めてだったな。受験の時は土属性も使ってたのに今日は使ってないんだなー」
霞む瞳で、今回から授業に合流したエイレンに話しかけるアラン。
ショートにした茶髪がうなじに張り付く中で、エイレンはごまかすように「あはは」と笑みを作った。
「土属性魔法は、身体に負担掛かっちゃうから……あんまり使えないんだよ」
「あー……そういや……」
アランの脳裏に浮かんだのは、受験での事件だった。
確かあの時も、エイレンは土属性魔法を使った直後に血を吐いた。やはり、一属性魔法を使うだけでも体内を循環させる魔法量を調節しなくてはならないのだ。二属性同時使用ともなると、その苦しさは倍増するだろう。
「まぁ、火属性だけでもエイレン、充分に通用するだろうしな。土属性魔法は、あんまり使わない方がいいのかもな」
「つ、通用してるかなぁ……。アラン君に比べれば、全然だよ~」
「実際、エイレンの魔法発動の正確さは群を抜いてるだろ。針の穴に糸を通すくらいの性格度は俺にも真似出来ないよ」
「そ、そうかなぁ? ……あ、ありがとう……そう言ってもらえると……嬉しい……かな」
頬を少し紅潮させたエイレンとアランが実験室を後にする。
「王室の付き人足る者がそんな体たらくでどうする。仕方のない奴だな……」
「も、申し訳ありません……殿下……。私の力量不足のために殿下の御手を煩わせるとは……! 一生の不覚です……ッ!」
「我々が何のためにここにいるのかを今一度考えるとよい。お主に倒れられては、為すべきことも為せぬ。焦るな。時はまだ満ちていないのだから」
「……はっ……!」
片や、ルクシア襲名戦の候補者――ルクシア・シンとその付き人であるユーリ・ユージュ。
この授業において最も魔法力を消費しているのは、魔法力量で圧倒的に勝っているアラン、エーテルの次にユーリとなっている。
魔法力量は至って普通。だが、意識の限界まで魔法力を使用。本能限界の一部を開放してなお、自分を痛めつけるかのように魔法を使用する彼女の身体的、心的疲労は計り知れない。
彼女がそこまでする理由、そこまで追い求める理由は何かは、側にいるルクシア・シンでさえも分かることではない。
ルクシア・シンに肩を掴まれ、極度の疲労状態で部屋を出ていくユーリ。
他の者も、疲労困憊と言った様子で次々に部屋を後にするなかで――。
「海属性魔法……死の氷柱ッ!」
ただ一人、第三研究教室に残って吸収魔法障壁に向かって魔法を撃ち続ける人影があった。
「全く、今年は本当に波乱続きの代ですね」
他人事のように呟いた。
「ルクシア襲名候補が生徒に一人、教師側に一人……。海属性魔法使用者に多属性魔法使用者、そして――未知の属性魔法……ですか」
ウィスはアラン達が出ていった部屋の出口をふと流し目に見つめる。
「アラン君のあの魔法は――……オルドランぺル国の……」
「……大……津波……ッ!」
息も絶え絶えに魔法を撃ち出すエーテルを見かねて、ウィスは溜息をついた。
「これ以上は身体を擦り減らすだけですよ。限界値を知ることは必要不可欠ですが……その前にあなたの身体が壊れれば、元も子もないのですから」
「……そうね……。でも、だからといって……この期を逃すわけには行かないわ。……鮫撃……ッ!」
エーテルの弱々しい海属性の魔法が、吸収魔法障壁に簡単に吸い込まれる。その様子を見ながらぐっと小さく拳を握るエーテルに、ウィスは厳しい目つきを向けた。
「今のあなたがどう足掻いても、アラン・ノエルには追いつきません」
「――っ! そ、そんなの、分からないじゃない……!」
ウィスの核心をついた発言に、エーテルの表情が思わず引き攣った。そんなエーテルに追撃するかのように、ウィスは畳みかける。
「今、あなた方は第二次魔法性徴期に差し掛かっている最中。今は届かなくとも、二年後、三年後……。彼を追い抜く素質は充分にあるんです。彼は魔法の天才です。歴代のオートル学園魔法特別進学科の生徒の中では一、二を争う逸材。そしてそれはあなたも同じなんですよ、エーテルさん」
「……二年後、三年後……。それじゃ、遅いのよ……!」
「遅い?」
「あいつは……アランは、このままだと魔法戦争試験で一位を取る。それだと、何の意味もない……!」
「あなたが一位を取らないと気にくわない。上出来ですよ。人間は、常に上昇志向を持ち続ける必要がある。あなたにはその素質がある。だからこそ――」
「それじゃあ、間に合わない」
思いつめた様子のエーテル。蒼いポニーテールを左右に揺らし、手の中に身体中の魔法力を集約させるその姿に、ウィスは何か鬼気迫るものを感じていた。
「……ならば、方法がない訳でもありません」
力を求めるのは必然。そして、力ある者がさらにその上の力を求めるのも必然だ。
エーテルの頭に疑問詞が浮かぶ。
「エーテル・ミハイルさん。私たちの研究に参加してみませんか?」
その声は、どこまでも深く、冷たいものだった。




