番外編:聖愛祭①
オートル学園の入試から十数日が経とうとしていた。
合格発表を目前に、王都レスティムでは浮ついた空気が流れ出ている。
――聖愛祭。
聖なる愛を誓う世界伝統の祭りである。
来たる立春を少し過ぎた頃。
まだ冬も明けてはおらず、その日は息を吐くたびに小さく白い吐息が見て取れた。
空は雪雲。そこからはらはらと落ちてくる冷たい雪は、王都レスティムを冷たく、白く染めていった。
「……はぁ……」
王都中央通りにて歩みを進めるのは一人の少女だった。
手袋をはめ、小さく息を吐くと少女の視界は白い蒸気に包まれていく。
――迷惑、かな……。
ふと、空を見上げる。
小さな雪が少女の茶の髪に降り積もろうとするのを払い除けると、その先に見えるのは幾多もの露店。
それも、聖愛祭仕様である。
聖愛祭とは、読んで字の如く聖なる愛を示す祭り。
一般的には、女性が恋慕を抱く男性に何らかの贈り物をするものである。
その中にはクッキーなどのお菓子を自作し送る者、自ら手編みの手袋やマフラーを送る者、露店で購入した素材を使用して特別な料理を作って振る舞う者様々である。
その中で露店に並べられている物をそのまま送ることは、この世界では『義理』――つまり、日ごろの感謝を示したものを送る場合がある。
それと対を為すのは『本命』と呼ばれるもので、素材を購入した女性が独自に調理を施し男性に送る場合のものである。
こちらは、中には義理でも自作の物を送る者が多いということがあるが、どちらにせよこれを渡された男性陣は義理なのか、本命なのかにしばし頭を悩ませることになる。
そんな中で、肩まで伸ばした茶髪に降りかかる雪を一瞥した少女――エイレン・ニーナは頬を小さく紅潮させて道の露店に目をやった。
聖愛祭のこの日を迎えるに辺りその前日、彼女は一日中、下宿先のベッドの上で頭を抱えていた。
「……こ、コシャ村でも聖愛祭やってたけど、今まで渡す相手なんていなかったし……貰ったのは、ミイちゃんにだけだし……うぅ……」
彼女の脳裏に浮かぶのは、一人の少年だ。
オートル学園受験の際に一度は魔法を交わし在った仲でもある。
が、それ以上に彼女が二属性を使った後に助けてくれた上に、彼女の英雄でもあるその少年――アラン・ノエルをずっと追ってもいた。
最初は、自分を偽りつつもアランと関わろうとしてきた物の今は違う。
オートル学園受験の際にそれは彼女の中ではっきりとした確信に変わってしまったからだ。
「アラン君に……何を渡せばいいんだろう……」
今朝まではベッドの上にいたものの、居てもたってもいられなくなったエイレンは勢いのままに中央通りに飛び出してきた物のまだ何をするか、何を渡すかさえも決まってはいない。
「……お嬢ちゃん、誰かに渡す物があるのかい?」
中央通りを迷うかのように歩いていたエイレンに声を掛けたのは、一人の男性だった。
「今日は聖愛祭。ウチの店にも特別講師が来てるんだ。王都有数の料理講師による特別講義だ。受けたきゃ――」
と、クイッと顎を上げて店の中を指し示す店主は息を荒くした。
「――こん中に入るといい。きっと、君の求めるものが見つかるだろうよ」
「へへっ」と鼻を人差し指で啜ったその中年男性の店番に促されるまま、ぺこりと小さなお辞儀をしたエイレン。
その店は小奇麗で、王都中央通りでも比較的大きな規模があることで知られるところだった。
そういえば、毎年この時期になるとこの店は特別講師を呼んで悩める女性を導いていく――という噂を聞いたことがあったエイレンは、その店に迷わず足を向けたのだった。
○○○
店の中に入ると、そこは聖愛祭というだけあって、至る所にそれを醸し出す装飾が為されてある。
南国の島で採取できるというアルド豆を発酵、焙煎させ様々な材料を混ぜて練り固めた食品――通称アルフォンス。
この日に女性が男性に渡す物として一般化されているお菓子でもあるそれが店頭に並べられているが、そのどれもが『義理』と呼ばれるものだ。
――と、ふとそんな彼女の前で二つのアルフォンスを手に持ち頭を悩ませている一人の少女がいた。
「うー……うーん……い、いや、でも……ね!? あの時は、ほら、ただの共闘で……! だって、アランと見返してやりたかったから!? そう、これは単なるお礼。お礼だし? 勘違いされても面倒くさいし……。義理。断じて義理。義理っ義理の義理」
不思議な呪文を唱えつつ、頭の上に湯気を立ち上らせる藍髪ポニーテールの少女が何かと葛藤している。
そんな少女に店主は苦笑いを浮かべながらも、どこか微笑ましいように見守るその姿はまるで子を見守る親のようだった。
「そんな硬く考えなくていいのよ? ほら、手作りでもその子に渡してあげれば喜んでもらえるし……。男の子にとっては、そのアルフォンスを貰えるか、貰えないかがとてつもなく重要なステータスとなることがあるの。……ってわけだし、せっかくだし、見て行かない?」
――と、そんな悩める乙女の前に現れた一人の女性。
銀髪のロングストレートを店内になびかせるその女性に巻かれているのはピンク色のエプロン。それはかつてコシャ村でよく見た光景だった。
「え、で、でも……わ、私はこの国の未来を――」
「どんな人でも構わないわ。ほら、中でアルフォンス作るから、よかったら、どう?」
「……で、でもですね!? ほら、私は好きとかじゃなくて……」
「まぁまぁ、いらっしゃいいらっしゃい」
「う……うぅ~……」
エプロン姿のその女性に背中を押されたことで、顔を紅潮させながら入っていくその少女。
「ふぅ」と一息ついた女性が見据えた先には、エイレンがいた。
ふとエイレンを見据えたその女性――マイン・ノエルは、彼女を見た途端に「……エイレンちゃん?」と小さく呟いた。
「ま、マインさん……!? と、特別講師……!? ま、マインさんが、特別講師なんですか?」
「久しぶりね~エイレンちゃん、どうしたの? こんなところまで……もしかして、お引越し?」
「え、い、いや……その……ですね……」
とても夜逃げ同然ともいえる村からの逃避行についてなど話せるわけもなく、冷や汗をたらたらと流すエイレン。
そんなエイレンの呟きに、マインは小さく頷いて「ま、いいわ。あなたも今日は一人の御客様だもの。あとで詳しい話は聞かせてね」と手を差し伸べた。
「エイレンちゃんもお年頃だものね。昔はアランとあんなに仲良くしてた子が、今やこんなに立派になって……。よかったら、やっていかない? 簡単なものだけど、手作りアルフォンスが作れるようになるわよ」
右腕をまげて、グーパーするマインに、エイレンは顔を紅潮させながら小さく首肯したのだった――。




