この国の未来を背負う者
時系列が少し戻ります
「いよいよね」
試験会場は王都レスティムを象った仮想空間。
ここ、王都に十五年間住み続けている少女――エーテル・ミハイルにとってこの主戦場は自身の庭のようなものだった。
オートルの幼稚園、小等部、中等部と順当にエリート街道を突っ走る少女にとって、この程度の試験など造作もないことだ。
わざわざ父親のオートルの力を使わずとも、自らの力で、誰にも負けずに国の頂点にのし上がるつもりだった、そう――。
「アラン・ノエル……!」
――あの男が現れるまでは。
自身が初めて味わった敗北の味は、塩辛かった。
覚えている限り、エーテルは敗北をしていない。どんな敵であろうとも、完全に屈服するまでに海属性の力を駆使して倒してきたが、それが全く通じない相手。
自らを完全に封じ込めた男こそ、アラン・ノエルだった。
海属性魔法に頼りきって、海神の召喚に頼っていたことは否定できない。だが、それを持ってしても倒せなかった男の名は、この半年間を奮い立たせるには充分だった。
『五秒前 四 三 二 一』
無機質な機械音が背後から響き渡る。
エーテルの背後にあるのは赤黒い転移魔法結晶だ。
「……王都、レスティム」
『試験開始です』
「見てなさい、三十ポイント取得の自主送還、果たしてやるわっ! 待ってなさい、アラン!」
意気揚々と、両の拳をガシと合わせて気合を入れた――その時だった。
「それは不可能です」
王都レスティムの一軒家、その屋根上でエーテルが前傾姿勢を取った直後に背後から聞こえてきたのは一人の声だった。
「……人喰鮫の急襲」
声に瞬時に反応したエーテルが右手から放った海属性魔法。
陸に具現化したのは、彼女の三倍ほどの大きさを持つ海の王者。精製され、確かに実体化された巨大鮫は大きな口を開けて声の主に降りかかる。
重力に身を任せて声の主に襲い掛かる巨大鮫。
「落ち着いてください、エーテルさん。そう悪い話ではないのですから」
声の主は、手に持った一本の細剣を巨大鮫の眼球に宛がう。
「――~!!!」
身をくねらせながら地面に墜落していく巨大鮫を一瞥したその少女の纏う燕尾服に、紅の血が少量こびりついた。
凛とした表情、姿勢。伸びた鼻筋はすらと伸びている。燕尾服を身に纏ったその少女の肩には白の髪が風に揺れてはらりと落ちた。
「……あなた、エルフね」
エーテルの牽制をも意に介さず、エルフ族の少女は綺麗に燕尾服を纏ったままお辞儀をした。
「シチリア皇国第二十三代ルクシア襲名候補、ルクシア・シン様が第一臣下――ユーリ・ユージュと申します」
「……聞いたことがあるわね。主人の為ならば違法紛いの行為だって構わない忠犬……いえ、狂犬ユーリ。そんな方が私に何の用?」
毅然と周りにいくつもの目が潜んでいることに気付いたエーテルは眼前の少女に悟られないように、徐々に、徐々に魔法力を手に凝縮させ始める。
気付いている可能性が高い中で、少女――ユーリは口を開く。
「エーテル・ミハイルさん……いえ、エーテル・ミハイル様。この度はあなたに折り入ってご相談があるのです」
「……相談?」
エーテルの怪訝そうな表情に、ユーリは「はい」と気味の悪い笑みを浮かべて首を縦に振る。
「私の主人、ルクシア・シンが今回オートル学園の受験に踏み切ったのは、再来年に控えるルクシア襲名戦の代理人を確保するためです」
「随分とはっきり言うのね。私が模擬戦争試験の頂点を狙っていること、あなたならばどうせ知ってるんでしょ? よくもそんな安易な考えで私の前に姿を現せたものね」
シチリア皇国が二年後に控えるのはルクシア襲名戦。それは、シチリア皇国の代替わり、その象徴でもある個々のルクシア候補が自身の戦力を国中に示し、どの勢力がいかに強大な勢力を用いるか、そしてシチリア皇国という一国を治めるに適したかを判別するために行われる伝統戦でもある。
幼いころからの一般教養としてそれを知っているエーテルは密かに眉を潜める。
「申し訳ありません。ですが、事態は急を要するのです。このような形でしか接触する方法がありませんでした」
ぺこりと頭を下げて、ユーリは続けた。
「単刀直入に申し上げます。エーテル・ミハイル様。あなたには二年後に開催されるルクシア襲名戦において、我が主ルクシア・シンの代理人の一人として闘って頂きたいのです」
「私が、あなた達の国事情に首を突っ込めってこと?」
「はい。エーテル様は海属性魔法の使い手。相応の実力をお持ちになられているあなた様が我が君に組すれば、勢力図は激変します。エーテル様の介入によって、ルクシア・シンが真のルクシアを襲名する可能性が格段に向上するのです」
「海属性魔法……ね」
警戒を緩めないエーテルは、多少の苛立ちを抑えきれないではあったが、ユーリの真摯な瞳をじっと見据える。
「もちろん、タダで――とは言いません」
パチリとユーリが指を鳴らすと、彼女の側に現れたのはおおよそ六人の受験生であろう者達だった。
次に、ユーリが腕を振り下ろすと同時にその六人はさっと後ろを向き、エーテルに背を向ける。
赤黒く光る六つの転移魔法結晶がエーテルの視界に入る。
「オートル学園の受験合格のラインは十五ポイント。上限は三十ポイント。ここの六つの転移魔法結晶を破壊すればあなたは三十ポイントを取得して自主送還することが可能です」
「……何よ、それ」
「これだけではありません。あなたが一年次最後の模擬戦争試験に出場される際は私、ユーリ並びにルクシア様が全力であなた様のバックアップをさせていただきます」
ピクピクと眉を潜めるエーテル。
淡々とした表情で説明を続けるユーリに、エーテルは「一つ……いいかしら」と呟いた。
「今回、オートルを受験してるのにアラン・ノエルってのがいるの。あなた、知ってる?」
エーテルの疑問に、ユーリは「勿論です」と返答する。
「彼にはルクシア殿下が直々に手を下しに行かれました。一応、彼も不穏因子の一人ではありますので。ルクシア様の今後において、彼は少々謎が多いですから」
「私に声をかけるってことは、それ以上の実力を持つアランに声を掛けてないわけがないわね」
消しかけるようなエーテルの言葉に、ユーリは疑問を呈すかのように左手を顎に乗せる。
真っ白なスムスグローブに包まれた手で、「いえ……とくには」と言って、ユーリは続ける。
「……あなた達の情報収集能力もたかが知れてるわね。この私を倒した唯一の男を知らないなんて」
「アラン・ノエル。情報があまりにも少ないですが……。アステラル街の壊滅に関わっているという噂があります」
「うっ」と心の中で汗を流したエーテル。
「どうでしょう、エーテル・ミハイル様。悪い条件ではないはずです。共に、我が君のために――シチリア皇国の未来のために、どうか、どうか手を貸してはいただけないでしょうか」
エーテルに近づき、ごく自然と手を差し出すユーリ。
その瞳に、偽りはない。純粋に主を想う臣下の瞳だ。
「少し聞くわ」
「――はい」
「あの六人は、どうしたの?」
「四人は私たちの手の者です。そして二人は、先ほど金銭にて買収させて頂きました」
「……そう」
ぽつりと、蒼空広がる仮想空間を一瞥したエーテルは「良かった……決心出来て」とにこりと笑みを浮かべた。
その意味を肯定と捉えたユーリはにこりと柔らかい笑みを浮かべ、エーテルを見た。
「ようこそ、シチリア皇国へ――」
だが――。
「――あなた達とは組まないわ。最後の最後に聞けて良かったもの。あなた達のような下卑た輩に私という貴重な人材を渡すわけにはいかないの」
「下卑た……と、心外ですね。これは、戦略です。この受験に、徒党を組んではならないなんてことは一つも明記されていません、考え直すならば……」
「考え直すわけないでしょう。何せ、あなたは前提条件から間違えてるのよ」
エーテルの眼前には、未だに彼女に背を向けていつでも転移魔法結晶を破壊できるようにしている六人が目に入る。
「シチリア皇国のために、ですって? あなた、私のこと本当にちゃんと調べたのかしら」
風に靡く蒼の一房とその佇まいは、凛としたその一人の少女の高らかな宣言を暖かく迎え入れるかのようだった。
「私の名は、エーテル・ミハイル。この国の未来を背負う者よ。覚えておきなさい」
どこの国の為でもなく、自国の為に。
誰が為でもなく、自らの為に。
胸に手を当てて放ったその一言に、ユーリは眼を瞑って「交渉……決裂ですね」と、小さなため息をついた――。




