お義父さん
オートル・ミハイル。
この「ミハイル」という姓はアランにとってとても聞き覚えのある姓だった。
「いつも娘が君のことを話してるものでね。ちょうど近くで報告があったものだから、声をかけてしまったことを許してくれると嬉しいな」
「む、娘……」
「ああごめんごめん。エーテルのことだよ」
「し、知ってます……」
苦笑を浮かべるアランに、エーテルの父親であるオートルは、「それは良かった」と弱々しい笑みを浮かべる。
自らをオートルと名乗った男性は、細く白い手を伸ばして、道の先にある物を示した。
そこには、おおよそ五人乗りであろう広い空間を有する馬車が置かれてある。
前方には動力である馬が二頭。その後ろに御者が一人。馬が体に嵌めつけているその後方には煌びやかでもない一見質素な箱形。
「君を歓迎しよう、アラン・ノエル君。よろしければ僕に君を案内させてくれないだろうか」
「あ、案内……ですか?」
アランは、オートルの後を追うように、そして二人の使用人に案内されるままに馬車に乗り込んだ。
中でアランを待つオートルは二人の従者に「お茶を出してくれないか?」と命令すると、広い箱形には瞬時に一つのテーブルが開かれ、白いテーブルクロスが展開する。
執事の男性が一礼を施した後、二つのティ―カップを机の上に置くと同時に、メイド服の女性は御者と共に前へ出る。
「さぁ、馬車を出してくれ。敷地内はまだ授業中だろうから静かに頼むよ」
にっこりと朗らかな笑みを向けたオートルの言葉で、アラン等を乗せた馬車は王都中央通りを優雅に進んでいく。
「その……どうして、俺なんですか?」
差し出された茶を緊張しつつ喉に運ぶアランに、オートルは「そうだね」と前置きしてから机にティーカップを置いた。
「アルカディア王国の王都レスティム。ここは僕の庭のようなものだ。庭で何が起きているかなんて、すぐに伝わるだろう?」
「はぁ……」
「つい数刻前のことでも、ここの情勢なら常に私のところに瞬時に伝わって来るんだ。詳細は分からないんだけどね。さすがにアステラル街のことは把握しきれてなかったよ。よければ、その時のことを話してくれないかな?」
「えっと……そ、その前に、ちょっといいですか?」
アランの質問に、オートルはおどけたように「なんだい?」、と居住まいをただした。
「ど、どこに行くんですか?」
アランのその問いに、オートルはパチッと指を鳴らした。
同時に、近くに控えていた執事の男性が、ふと隣の窓に掛けてあるカーテンを開いた。
窓の外に高く聳え立つ建造物は、王都レスティム一――否、アルカディア王国一を誇るものだ。
「私の庭でもある、オートル魔法科学研究所。君には是非ともそこを見学してみてほしい」
○○○
「成程ねぇ……エーテルがそんな迷惑をかけてしまったとは。申し訳ない」
「い、いえ……! 大丈夫です、誤解は解けましたから」
王都レスティム中央管理局に隣接しているのはアルカディア王国でも屈指の教育機関――オートル魔法科学研究所。
幼、小、中、高と全部で四つの機関を管理するそれを、人は総称して『オートル学園』と呼んでいる。
「幼等部、小等部、中等部、高等部に集まる人々はどれもアルカディア王国内屈指の才能を持つ者ばかりだ。中には諸外国からやって来る子もいるくらいだからね」
アランとしても、オートル学園は広いことは認識してはいた。
だが、ここに来て知ったことはあまりにも広すぎるということだ。
「もともとここはあまり発達していない街だったんだ。だからこそ、私はここに大きな統治機関、研究機関、教育機関を作った。レスティム中央管理局、オートル魔法科学研究所、そしてオートル学園。この三つの機関だけで王都面積の三分の一を占めてるんだよ」
「……そ、そんなにですか」
「ああ。いや、でも本当、ここが王都になったのもここ三十年弱の話だ。当時のレスティムは最も廃れた街だったからね。土地が安かったのを私達が大幅に買い取ったんだ。三つの機関を立ち上げるためにね」
三十年弱。
アランが学習した中では、オートルという一人の人物がこのレスティムをここまで広大にし、王都をここに遷都させるまでにしたということだ。
アルカディア王国の前王都は、北方の地方都市ガアラ。その遷都先は南西部に位置するここレスティム。
王都がレスティムに移って三十年。アルカディア王国は凄まじく国力を上げたという。
それが、眼前でアランを案内する優男だとはとても思えなかった。
だが、その笑みは所々しわがれている。相当な苦労の証だろうか、とアランは勘繰っていた。
「中央管理局でギルドという制度を他国から学び、取り込んだ。魔法科学研究所には今や国中の優秀な研究者が集まる素晴らしい機関だ。そこの研究員の中でも最上位の方々には、『宮廷魔術師』の称号も授けさせてもらった。そんな彼らを中心とした最先端教育をオートル学園に施し、優秀な人材がどんどん魔法科学研究所に行き、また、アルカディア王国を発展していっているために日々を過ごす。これこそ、まさに好循環と言えるんだ」
アランは案内されると同時に、自然とオートルの話に聞き入っていた。
「魔法科学研究所の優秀な研究員たちに、オートル学園の優秀な生徒たち。この双方が協力することによってこれまで数々の魔法具が開発され、また貿易として他国に高値で売ることができた。今やレスティムはアルカディア王国の心臓さ。だけど、ちょっと不満もあるんだ」
そう言ってオートルはポリポリと頬を掻いて苦笑いを浮かべた。
「魔法科学研究所も、学園も……みんな私の名前が入ってるんだ。みんなのおかげだっていうのに、恥ずかしいったらありはしないよ。近々名前を変えたいな、とも思ってるよ」
「……ちなみに、どんな名前にするんですか?」
「そうだなぁ……。エーテル魔法科学研究所、エーテル学園……とかかな? いや、これはダメだな。人の話を聞かない子ばかりが育ってしまうね」
クスリと笑みを浮かべるオートルの人柄に、アランは人知れず魅かれていくのを感じていた。
オートルとアランは高く聳えたつ中央管理局を通り過ぎ、更に奥へと向かう。
そこにはそれぞれ視界の左――西から順に、幼、小、中、高が別々の棟として立っている。
そのどれもが、レスティムの街で見る学校の規模を遥かに上回っていた。
「ここにいるのは未来のアルカディア王国を担う子供たちだ。私は常々彼等には『この国の未来を背負う者』としての自覚を持て――というのはしつこく説いている。ここにいる子供たちは広い世界に羽ばたくための金のひな鳥たちばかりだからね」
――エーテル・ミハイル。この国の未来を背負う者よ!
アランは、エーテルの自己紹介を思い出していた。
「『この国の未来を背負う者』……ですか」
アランがポツリと呟いたその言葉に、オートルは優しくこくりと頷いた。
「エーテルはその覚悟を常に持ち続ける聡い娘だ。ただ……ちょっと早とちりをするお転婆な娘ではあるよ」
「……エーテルのせいでこっちも武器が壊れちゃったんですよ。またフー爺に笑われんのかーなんて思ったりもするんですけどね」
そのアランの言葉に、ピタリ、と。オートルが歩む足が止まっていた。
「フー爺……?」
眉を潜めるオートルに、アランは「あ、すいません……えーっと、俺の師匠です」と呟いた。
「……それは、『フーロイド』という名の男性かな?」
「そ、そうです」
そういえば、とアランは記憶を掘り起こしていた。
確か、フーロイドは自らに言い聞かせるように『ワシはオートルの師匠だった男じゃ!』と笑っていたな、と思い出す。
「そういえば……オートルさんって……フー爺――いや、フーロイド様の御弟子さんだったと聞いたことがあります」
アランの純真な眼差しに、オートルは「昔の話だよ」とため息を浮かべた。
「今はもう破門された身だ。元気ならば、何よりだよ」
オートルの悲し気な瞳は遠い場所を捕らえているように、アランは思えた。
「ねぇ、お義父さん」
オートルの小さな呟きは、まだ十五歳のアランの耳には聞こえないでいた。




