リミッター解除
「まさか、あなたがそんなことをする人だとは思わなかった……!」
アランの眼前で、静かに魔法力を爆発させようとするエーテル。
その魔法力量は計り知れないものだった。
「ど、どういうことだよ! っていうか、俺が犯罪者とか……何言ってんだよ!」
「マダム・ミスラ様からスリを働いた罪、万死に値する! 依頼者様の任務により、アラン・ノエル。あなたを捕縛するわ!」
「いや、人の話聞けよ!? 何か勘違いしてないか!?」
「勘違い? マダム・ミスラ様は発信機を取り付けてたのよ。そうとも知らないで呑気なものね。でも、あなたに割いている時間はないの……。大人しく――」
エーテルがそう弁舌する間に、アランは真っ先に出口へと向かっていた。
「たまったもんじゃねぇよ……! 何だよ犯罪者って! 俺がなにしたってんだよ……ッ!」
エーテルの言葉を無視して逃走しようとしていたアラン。
「ふんっ。この国の未来を背負う者から逃げられるとでも思ってたのかしら? ――『海壁の渦潮』ッ!」
すると、アステラル街の出口に向かおうとしていたアランの前に巨大な水の壁が出現ししていく。
アランがそれを見て別方向へと移動を開始しようとするが、水の壁はまるでアランをゆっくりと囲うように円形状を呈していく。
「……っ! 逃げ場ねぇのかよ……!」
前後左右のどこを見ても、アランの周りは水で覆われていた。
流動する水の渦に手を突っ込んでみるが、それは激流にも等しいものだ。
「あなたを中心として発達した渦潮。その激流の中に身を委ねたら最後。あなたは激流の中で彷徨って気を失うことになるわ。大人しく投降しなさい。さもなくば渦潮の幅をどんどん狭めていくわ」
渦潮の外から聞こえてくるのはエーテルの声だった。
最初はアランが両手を広げてみてもいくらかの幅があったのだが、エーテルが言葉を発すると、その渦潮はアランを中心にどんどんと円柱の形を狭めていく。
水の渦潮は狭まっていくにつれ、高さを増していく。
何もしなければ、アランはその渦潮に巻き込まれてしまうだろう。
「海属性の『神童』の名は伊達じゃない……ってことか」
確実に敵を追い詰めるための牢にしては最も適しているだろう。
空はみるみる内に狭まっていく。アステラル街の汚い色をした空が、綺麗な翡翠の色をした水に包まれていく。
「……訳も分からないまま拘束されてたまるかよっ!」
アランは左腰から素早く魔法具銃を取り出して地面に宛がった。
「この渦潮に何かしようとしても無駄よ。結局は渦の勢いに勝てずに魔法力が分散するだけ……あなたに抵抗する術はないわ」
得意げに語るエーテル。
そんなエーテルを渦潮越しにうっすらと見据えたアランは、魔法具銃に極大の魔法力を詰め込んでいた。
渦潮の範囲は徐々に狭まりくる中で、ただひたすらに魔法具銃に魔法力を詰め込んでいく。
ビキビキビキと早くもアランの魔法力に耐えきれなくなり始めた魔法具銃が悲鳴を上げていた。
「こりゃ一発しか持ちそうにないな……くそっ! またフー爺に笑われるのか……!」
「アラン・ノエル! 討ち取った!」
エーテルが、渦潮の外で拳をぎゅっと握りしめた瞬間。
渦潮はアランを捕らえるべく一気にその範囲を狭める。
急速に範囲を狭めていく渦潮は、アランの肩幅までに迫っていた。
アランは「ふぅ」と一度目を閉じた後に、ビキリ、ビキリと亀裂を走らせる魔法具銃を地面に向けて一気に解き放った。
「――長弾!」
アランがそう宣言した直後、小さな銃口から発せられたのは円錐形を呈する莫大な魔法力だった。
絶え間なく魔法力を注入しなければならない長弾に緊急時のために、アランは自身の魔法力の出来得る限りを注入した。
ズァッ
巨大な魔法力を有する長弾は地面にぶつかると同時に、地鳴りにも似た音を鳴らして大地を抉っていく。
エインドル森をおおよそ五百メートル消失させた力が大地を穿つと同時に、その推進力によってアランの身体は未だ渦潮の範囲外である上空へと引き上げられていく。
「あっぶなかった……!」
上空に身を投げ出されたアラン。その両手に抱えられていた魔法具銃は、既にアランの魔法力に耐え切れずにパーツ同士が瓦解している。
アランが眼下を見据えると、そこには長弾によって穿たれた大地は巨大なクレーターを形成していた。
そのクレーターに落ちるように渦潮がぶつかると、勢いをなくした水はクレーターの中で小さな湖を作っている。
「ま、魔法力で出来た水じゃなかったのか!?」
アランの驚きの束の間、エーテルはにやりと笑みを浮かべていた。
「武器が厄介ね……」
そう密かに呟いたエーテルはアランの右腰と背中に背負われている直剣をじっと見定めた。
「私の『海壁の渦潮』を退けたことは称賛に値するわ! でも、空に浮いたあなたはもう身動きは取れない。海属性の力を、思い知りなさいッ!」
アランの眼下では、既に右手に魔法力を蓄積させたエーテルが狙い撃ちをするかのように魔法力の牙を向けている。アランとしては、完全に防戦一方だった。
「――海神の裁き!」
瞬間、エーテル・ミハイルの右手から飛び出したのはアルカディア王国神話上にも登場する伝説の海の龍――海神の姿だった。
三メートルは超えるであろうその巨体は、蒼い鱗に覆われている。
獰猛な肉食獣の如き牙に一対生えた硬質な角。その背中に生えた鰭は空気を切り裂いて進む鋭利な刃物だ。
ヘビのように長い体躯をうねらせてエーテルから発せられた海神の鋭い目つきがアランに降りかかる。
空に浮いたアランが落下していく速度を正確に見極めたエーテルの魔法。
そこから出現したアランを覆い尽すかのような巨大な龍は直接アランを狙っているように思われた。
「……ぐっ!」
身の危険を感じたアランが、右手で自身の体を守ろうとするも、出現した海龍が狙ったのはアラン自身ではなかった。
「武器狙いか……!」
その牙で削り取ろうとしていたのはアランが抱えていた武器だった。
右腰に据えた魔法具剣が海神によっていとも簡単に引き裂かれていく。
ビキッ。
その時、海神の鋭利な鰭がアランの右手にあるリストバンドを掠った。
だが、そんなことにまで気を回すことが出来ないアランは、避けた際にリストバンドが完全に破壊されて地面に落ちていくことなど全く知らずにいた。
アランが再び体制を立て直すために地上に降り立った時には、再びエーテルの背後に海神はもう一つの武器を持っていた。
「あなたの武器はもう二つとも消えたわ。これで無属性魔法使いのあなたには抵抗する術はないはず。今度こそ、大人しく投降しなさい」
エーテルは冷たい声を放った。
海神の口に挟まれているのは、アランが以前ファンジオから受け継いだ直剣だった。
縛っていた紐ごと口に挟まれていたそれを、海神は従順な犬のようにエーテルに渡した。
「――それ、返せ」
アランの声は、冷たく――そして、エーテルを谷間に落とすかのような底冷えするものだった。
「……ま、魔法力が……!?」
アランの魔法力のタガが外れたかのように、桁外れのそれがアランの奥底から膨れ上がってきている。
それを直に感じたエーテルは額に一筋の冷や汗を流していた。
同じくその巨体でアランの魔法力を感じたらしい海神でさえも低く嘶いている。
――何よ、この力は……っ!
目の前の現象を理解できなかったエーテルは、先ほどまで下にあった影が消えていることに気付いた。
「……雲……!?」
エーテルと海神、そしてアランだけを覆う暗黒の雲が空にはあった。
「――その剣を、今すぐこっちに返せ、エーテル・ミハイル」
「か、返せないわよっ! あなたが投降すればいい話じゃない! ここで大人しくしておけば、私から依頼者に言うんだから……だから!」
エーテルが言葉を全て飲み込む寸前に、アランは右手を空に掲げた。
「な、何……! なにが始まるっていうの……!?」
目の前で行われていることが分からないエーテルは、海神の本能からの嘶きを間近で聞いていることしか出来なかった――。




