名前も知らない藍の花
夜も深まった頃に、古びた一軒家に小さな光が灯った。
その独特の光の色は、転移魔法アイテムを使用した時のものだった。
「うむ、帰ったかアラン」
その光の中心から現れた一人の少年。
古びた木造の家の更に奥から出てきた老人は杖を突いた。
二階からやってきた一人の女性も、翡翠の髪を後ろで束ねたまま少年の帰りを迎え入れていた。
「ただいま。今回もどっちも壊さなかったよ」
少年――アラン・ノエルは得意げに腰に据えた二つの魔法具を見せびらかせた。
階段を下る女性、ルクシアも「最近はアラン君も上達しましたね」とにこりと笑みを浮かべる。
濡れた翡翠の髪は風呂上がりだからだろう。頭に巻き付けたタオルは水分を吸い取って重くなったのか、はらりとルクシアの肩の上に落ちていく。
フーロイドはアランが差し出した魔法具銃、直剣を眺めてこくりと頷いた。
「お主、背中の武器を使ったんじゃあるまいな?」
フーロイドが指す先にあるのは、アランが背負っている武器だった。
アランは、苦笑いを浮かべて師の指摘を否定する。
「使ってないよ。これはあくまで『御守り』だって言っただろ? これがあれば、俺はどこまでも行ける気がするんだ。俺の成長を、間近で見て貰えてる気がする」
「ファンジオは死んだ人間か?」
「形見じゃないからね!?」
そう突っ込んだアランは、背中から提げていた一本の鞘に入ったままの直剣を机の上に置いた。
魔法具ではない、正真正銘の直剣はゴトと音を立てて机の上に転がった。
ファンジオから貰った直剣はアランにとっては御守りのようなものだった。
あれからというもの、任務毎にアランは背にファンジオから譲り受けた直剣を背負っている。
アラン自身も、直剣を使おうということはあまり考えてはいない。
ただ、直剣の重さはアランにとっては微々たるものだった。
「……まぁ、お主が発奮するならばいいじゃろう。して、アラン。今回の任務達成で確か下級任務は四十を突破したかの?」
「今回で三十八だよ」
「ふむ……一日三つペースと言うことか。ちとハイペース過ぎはせんかの?」
「大丈夫だよ。いくら行っても魔法力に限界は感じないしね。行けるだけ行くよ」
「それは結構じゃが、今日は随分と早い上がりではないか」
フーロイドが首を傾げると、アランは「まぁね」と相槌を打った。
「今は全然風も吹いてないけど。これから夜にかけては嵐になる。ただでさえ夜の任務受注は制約がかけられてるんだ。ここで俺が怪我でもしたら夜任務なんて一切許してくれないからね」
「っふぉっふぉっふぉ……。そうかそうか、まあ焦るでないぞ。このペースならば……」
そうフーロイドは呟いて下を向いた。
「一日三つペースならば百は優に超える――ともすれば、オートル高等部の受験資格は満たすしの……」とぼそりと呟く。
「明日も早くから出るからさっさと風呂入ってから寝るね……よっと」
アランは一度置いた直剣を再び持ち直し、二階へと上がっていく。
「お疲れ様です、アラン君。お湯はまた張り直してあるのでしっかりあったまってくださいね!」
ルクシアも、そんなアランを応援するかのように両手でガッツポーズを作った。
「うん、ありがとルクシアさん」
「その剣、アラン君の机の上に置いておきましょうか?」
ルクシアが肩に巻いたタオルからはほんのりと湯気が立ち込めていた。
寝間着として薄緑の薄い生地の服を羽織った彼女は、紅の瞳を擦りながらアランに問う。
「いや、自分で持ってくよ」
「そうですか、では、おやすみなさいです~」
にこりと笑みを浮かべたルクシアは、ふと姿を消した。
エルフ族という種族は、この世に姿を現したまま休むことがないのだという。
前にアランが聞いたところによると、深層心理内に存在する一人一人が持つ『エルフの大樹』と呼ばれる場所に体と心を持っていき、心身の回復に努める、と。
基本眠ることが必要のないエルフ族にとっては、主に『身』よりも『心』を安らげることの方がはるかに重要なのだと言い、エルフの大樹は心のよりどころとも言える場所だとルクシアは語った。
「風、強くなってくるな……」
ふと、木造の壁が風に煽られてギシギシと小さな悲鳴を上げる中で、アランは父から譲り受けた直剣を抱いて歩みを進めたのだった。
その右手のリストバンドにヒビが入っていることなど、アランは気付きもしなかった。
○○○
「~~っし!」
雀が外で元気よく囀りを始める。
フーロイドも、ルクシアもまだ起きては来ない中でアランは直剣を肩に担いだ。
任務受注にはある制限がある。
それは、一任務を終えた後には最低六時間の休息が必要であるということだ。
そのため、実質一日に受けられる任務は三つに限られることになる。
最後に任務を受注したのは昨日午後八時。そこから任務終了が午後の九時半であったために、その制約はクリアしている。
アランはいつものように魔法具銃と魔法具の直剣の方に上手く魔法が注入されることを確認して、任務受注の紙を手にした。
「……今日は……とりあえず、これから行っとくか」
何のこともない、草原にたまに現れる大きな鳥である龍鷲の捕獲。
王都周辺の空を滑空する龍の形をした鷲である龍鷲を撃ち落とし、その良質な肉を先方のお偉い様に届けたいとのことで依頼していた任務だった。
任務受注用紙に魔法力を注ぎ込むと、用紙が消える――その代わりに現れたのは、転移魔法アイテムが二つ。
行きの分と、帰りの分だった。
「本日一発目、景気よく行きますか!」
転移魔法アイテムである石の結晶に魔法力を注ぎ込むと、アランの周りは淡い光に包まれた。
その時にふとアランの視界に、右腕に嵌めていたリストバンドが入って来る。
そのリストバンドには縦に小さなひび割れが確認された。
「……ま、いっか。帰ってからフー爺に交換頼むかな」
○○○
ふと、アランが目を開けるとそこは王都郊外だった。
眼下には沢山の建造物が立ち並ぶ王都の街並み。
それに反して、アランが立っている場所は、藍色の花が立ち並ぶ花畑のような場所だった。
花の蜜のようなものなのか、甘ったるい香りがアランの鼻腔を擽っていく。
「……あ、アイツか」
アランがふと斜め後ろを見上げると、そこには群れで行動している大きな鳥がちらほらと散見された。
ここに集まる虫を取って食べるために群れでの狩りをしている最中なのだと判断したアランは、その場にいるとなかなか鳥が降りてこない可能性を考えて、自然の花畑を突っ切り始める。
「この色……」
ふわふわと揺れるその花の色に、アランは見覚えがあった。
風に吹かれて一房になったかのようなその花の色を見て苦笑が漏れ出る。
「エーテル・ミハイルだったっけな」
アランの脳裏に浮かんだのは、一人の少女だった。
四歳の頃に王都中央管理局で派手な自己紹介をぶちかました上に、十五歳の誕生日の時に難癖をつけて絡んできたその少女の髪色と、アランの眼前に咲いている花の色はあまりに似通っていた。
「一輪、貰うぜ」
なにを想ったか、アランは自然の花畑で名前も知らない藍の花を一輪切って手に持った。
「――今頃、何してるんだろうな……」
アランが、何の気なしに呟いた――次の瞬間だった。
空からアランに一直線に伸びていくのは光の一閃。
ピシャッ
突如アランの耳を襲ったのは短くも鋭い音。
アランは、何が起きているのかが分からないうちに眩いばかりの光に身が包まれたのだった――。




