森の支配者
アランの目の前に広がっていたのは大きな森だった。
エインドル森に入る一歩手前。
リストバンドで魔法力調節を施しているアランには、既に視えていた。
村と森を隔てる一本の視えない境界線。
ここを踏めば、そこから先は命の危険さえも覚悟しなければならないとアランは自らに言い聞かせる。
「……武器は、二つとも大丈夫だな」
右手に持つのは一本の直剣。
この直剣は魔法具。通常の刀剣よりは耐久力は低いがその分、魔法という概念が備わっている武器でもあった。
通常魔法で何か事を為す場合には属性魔法が必須ともなる。
そんな中で近年台頭する特異者に多く存在するのは無属性魔法の使い手だ。
一時期は『何の役にも立たない』とレッテルを張られてさえいた彼らが台頭できるきっかけとなったのが、オートル魔法科学研究所が率先して行う『魔法具』開発である。
基本型が少ない無属性魔法の使い手にとっては『魔法具』の存在は救世主と呼べるものだ。
属性魔法での単一的な魔法を、魔法具を介して発動する。
属性魔法の使い手は自らの属性を重んじる自己のみでの魔法を発動させる傾向が多く、魔法具に頼ることを否とする者も少なくない。
対して無属性魔法の使い手は、魔法具に魔法力を注入、そして発動する魔法具を重宝している。
自らの創意工夫によっていくらでも属性魔法の使い手を負かすことだって出来る。
その無属性魔法の使い手の意欲から、魔法具開発が促進されたのは言うまでもない。
そしてもう一つ、アランの腰に据え付けられているのは一丁の拳銃であり、こちらも王都冒険者御用達の魔法具である。
自らの魔法力を銃内に集め、弾丸を形成。
圧縮された魔法力を射出する『法弾』と呼ばれる特殊な弾を保持する。
この直剣も、拳銃も冒険者にとっては討伐系の任務で必須装備だった。
――お主はより使いやすい武器など持たなくてもよいぞ。
フーロイドの言葉が森に入る前のアランの脳裏に浮かび上がる。
初任務ともあれば、選別として知人からはほんの少し性能の良い武器を渡されることがある。
それを知ったアランがフーロイドにそれとなくそのことを伝えると、フーロイドは眉を潜めて無情な一言を告げたのだ。
――すぐ壊されると分かっておってやすやすと高い武器をお主に渡せるものか愚か者め。
それは、アランの魔法力の問題でもあった。
元々莫大な魔法力を保有するアランが魔法具を使えば、武器の方が耐久性を維持できないからだ。
今までフーロイドがリストバンドによってアランの魔法力を封じていたのは、アランの能力を世間に大っぴらにしないため。そしてもう一つは、まだまだ成長期であるアランの魔法力はコントロールできるものではないと知っていたためだ。
十五歳にもなれば、第二次魔法成長期も佳境に差し掛かる。魔法力の最大容量を知ることになれば、魔法力のコントロールも比較的行いやすいと踏んでいた。
「ま、今はこれしかないか。報償金と中古品で直剣と拳銃売ればもう少しいいの買えるかな?」
右手に持った直剣。そして腰に据えた拳銃が機能するかどうかを、一度微弱な魔法力を流しとって確認したアランは村と、森の境界線に一歩踏み込んだ。
――と。
「……っ」
エインドル森に踏み込んだアランに差し向けられたのはいくつもの視線だった。
「見られてるなぁ……」
それが標的の筋肉狼かどうかまでは分からない。
だが、確実にいる。
何者かが、自身の領域に踏み込まれたことに対する警鐘を視線でアランに伝えている。
――基本的に討伐系任務の場合に最も多いのは敵との遭遇戦闘。初級任務の遭遇戦闘の場合、九割近くは対人戦闘ではありません。相手はあくまで自然です。
過去にルクシア、フーロイド両名から叩き込まれた戦闘術の基礎をアランは脳裏に浮かべていた。
中等部は比較的魔法学が少なく、戦闘技術指導も少ない中でフーロイドが見出したのはルクシア・フーロイドの二人による二つの特価的な教育だった。
剣術、対人格闘術、銃術を始めとする十余りの基礎武術。
また、来る時に備えた地理的有利を働かせるための戦術論。
――まず、森などでの狩りでの場合。特に対人でなく対動物相手だとすると、最も必要なものは『音』です。
ルクシアの解説が頭の中をよぎる。
対人の場合は相手方が罠を仕掛けるためにフェイクを仕掛けてくることが多い中で、動物はその本能で行動を決定づけることがほとんどだ。
風などで揺れる木々の音に紛れる別の音。そして肌で感じる視線。
いつでも白球浮動を応用させた衝撃波のようなものを発生させる無属性魔法をアランは左手に置いている。
身体を流れる魔法力の一部を左手に集中させる。どの方位から来ても多少なりとも対応出来るようにする技だった。
これはアランの魔法力保有量を逆手に取ったものでもある。
左手にずっと集中をおけるわけでもなく、魔法力は少しずつ、少しずつ霧散しているがアランの場合は集中を置かなくても、切れたら切れたで魔法力をまた左手に補充すればいい。
「魔法力の暴力ってやつだね……」
森に入ったアランが一歩一歩、大地を踏みしめるように進んでいく。
ぬかるんだ土、糞に集るハエ、葉と葉が風に揺られて擦れる音。
それに混じってわずかに届くのは――。
「ガゥッ!!」
草の影に息を潜めていたのは、小型の筋肉狼だった。
体長はおおよそアランの半分ほど。後肢で大地を蹴って一気にケリをつけようとする筋肉狼は鋭く尖った一対の犬歯と爪を出した右前肢を真っ直ぐにアランに据えている。
「……ビンゴッ!」
アランは右後ろ後方から聞こえてきたわずかな音の違いを見逃しはしなかった。
ふと獲物と目を合わせたアランは、右足を軸にくるりと半回転。その勢いのままに右手に持っていた直剣を縦に振りかざした。
筋肉狼とはその名のとおり、筋肉が異常に発達している狼の種である。
そのため外形はボコボコとした凹凸が目立つ。
普通に筋肉狼を斬ろうとするならば、今アランが使っている直剣だけでは本来の持つ能力を鑑みても到底太刀打ちは出来ない。
剣の耐久値と筋肉狼の筋では前者が脆い可能性が高いからだ。
○○○
「ねーねーパパ」
コシャ村でのファンジオとの会話が筋肉狼と対峙するに辺り蘇る。
「その……マッスルウルフって、すごくかたいのになんでこんなにきれいにさばけるのー?」
コシャ村から少し離れた一軒家で、ファンジオが持ち帰った筋肉狼。
ごつごつした触り心地にも拘らず、ファンジオはそれを一刀両断していたのが当時のアランには不思議でたまらなかった。
そんなアランに対してファンジオは、筋肉狼の皮を剥いだ後のピンク色の筋肉を指さして口を開いた。
「ここにはたくさんの線があるだろう? 特に筋肉狼は筋が明確でなぁ。これに沿って切り込みを入れていけば、そんなに力もいらない、刃こぼれもしない。こいつの肝臓は高く売れるし、この種は割と狩りやすいんだよ。まさに得々ってやつだ」
○○○
「――筋に沿って、切断する……!」
アランは回転しつつ刃を筋肉狼の肩に宛がった。
右前肢から繰り出される首に向けられた爪による攻撃を、アランはすれすれの位置で回避する。
それに伴い重力と勢いに乗った筋肉狼の肩に宛がわれた刃は、まるで水でも切るかのように体を真っ二つにしていく。
「ギャ……ァッ!!」
短い悲鳴を上げて崩れ落ちていく筋肉狼の声に反応したのか、アランの周囲には一気に雑音が増え始めていた。
――来る。
何の個性もない、ただの直剣。
一対一の勝負ではなく、多対一で発揮される直剣魔法具の真骨頂だ。
それにふと付け加えられた魔法要素。
「起動!」
アランがそう声を発するとともに、茂みの影から真正面に現れたのは六頭の狼。
直剣で一振りして一頭を撃破したとしても、残り五頭まで完璧に潰すことは出来ない。
だからこその――魔法具。
仲間がやられた声を聞いて群れで一斉にかかる判断にしたらしい。
アランは右手の直剣の柄に備え付けられたのは直剣を魔法具足らしめる一つの魔法力変換ポイント。
目の前では一直線にアランの首筋に噛み付こうとする筋肉狼が六頭。
それに対し、アランは冷静だった。
「魔法力の暴力ってやつを、見せつけてやる!!」
先ほど倒すために振りぬいた右腕の先端に魔法力を集中。
バチバチと音を鳴らす剣は微かに光がかかっていた。
光がかった魔剣は、アランによって右から左へと一気に振り抜かれた。
だが、直接の攻撃は筋肉狼には届かない。
「これが、俺の魔法力だ!」
振り抜かれた後に筋肉狼六頭の前方に現れたのは、一閃の刃だった。
それは無属性魔法の神髄の一つ。
剣に魔法力を注入し、振り抜いた軌跡に固めた魔法力をぶつける。弧を描いて進む魔法力の斬撃――『飛斬』。
それはまさに、飛ぶ斬撃。
『ギヒェァッ!』
筋肉狼の筋組織は極めて高い。
――だが、アランの魔法力から精製された飛斬は、筋組織さえも一刀両断出来る鋭さ、強さだっただけのことだ。
「よし! 七頭撃破!」
身体を二分された筋肉狼の残骸を尻目に、アランは森を突き進んだ。
「この先に、いるな」
アランは剣にこびり付いた血痕を一振りで飛ばした。
森の奥から感じるのは異常なまでの殺気。肌でピリピリと感じながらもアランはにやりと口角を上げた。
「――この群れのボスが、いる」




