フーロイドの名において
突発的に家を出たファンジオは苛立ちを何とか抑えつつも王都中央通りを闊歩していた。
先ほどフーロイドも言っていたように今日はオートル魔法科学研究所高等部の一般公開日。
周りを見てみれば、確かに学生然とした者が多いのは見て取れる。
「オートル高等部ねぇ」
そう呟いたファンジオの後ろからは息を切らせながら走ってやってくるマインがいた。
「もう、何でいきなり、飛び出したりしたのよ、バカ」
長い白髪を振り乱して、道行く人々を掻き分けて追いかけてきたマインに苦笑を浮かべる。
「……悪い」
「あなたの悪いところでもあるのよ? 何も考えずに、突っ走って。行き場のない感情を出鱈目に発散させてはいけませんっ」
「……うっ……そ、その……すまん」
ファンジオの隣に着いたマインが諫めるように言うと、頭を抱えながら前を進む。
オートル魔法科学研究所高等部の一般公開による臨時休業に二人はそろって胸を撫で下ろす。
「王都に来てからは毎日が激動だったものね」
マインのその一言にファンジオは「そうだな」と相槌を打った。
王都中央通りを夫婦揃って歩くのは久々だった。
そんな中でマインは空を見上げる。
「アランのこと、私そんなに怒ってないよ」
その言葉に、ファンジオは一直線にマインを見つめる。
「誰かがアランに譲渡したかもしれない……。それでもいいじゃない。あの子は運命に抗うことを知ってる。宿命に立ち向かうことを知っている。そのことはあなたが一番理解しているんじゃないの?」
ファンジオの脳裏に浮かんだのは九年前の事件だった。
コシャ村での霧隠龍との一戦。あの場でアランが介入していなければ今、ファンジオはこの世にいることすら出来なかっただろう。
マインに指摘されるまでもないことでもあるが、それでも煮え切らないのはファンジオだ。
「誰かに家の命運を左右させられたってことだろうが……。んなこと、納得出来るかよ……」
ポツリと道に吐いて捨てるように言ったファンジオを、マインは咎めなかった。
それどころか一度俯いた後ににこりと笑みを浮かべる。
「そういえば、ファンジオ。どこに向かってるの?」
「どこって…………」
言い淀むファンジオの左手をパシンと軽めに叩いたマインは遥か先、わずかに見える駄菓子屋を指さした。
「夜の方に取りに行く予定だった、誕生日コーク。今取りに行ってもいいんじゃない?」
「……今、からか?」
マインの揺るがぬ瞳にファンジオは目を細める。
誕生日コークとは、誕生日に祝うためのホール型の菓子である。アルカディア王国では古来よりそこに年齢分の蝋燭を突き立てて、主役に消してもらうという風習が伝わっている。
それは王都レスティムであっても例外ではない。
「今日はオートル高等部の一般公開日でしょう? 夜はもっと人で溢れかえると思うの。って考えたら今、人が空いている方が建設的じゃない? それに飛び出した理由にもなるし」
マインは指を立てて淡々と得意げに説明をする。
それを聞いたファンジオは「悪いな」と、頬をポリポリと掻き毟った。
何も考えずに飛び出してしまったファンジオにとって、帰る理由をどう繕うか、また息子の誕生日をぶち壊したのではないのかと言う二つの危惧をしていた。
それを一瞬にして瓦解してくれたマインには感謝の念しかなかった。
「それに――」
と、マインは重々しく口を開いた。
「アランは、一人でもやっていけるわ」
「……そうか?」
「ええ。私たちが口出ししなくても、強く生きていける。それはこの九年間でよく分かったの。私たちがいなくても、強くなる。誰よりも、どこでも――ね」
強い言葉が胸に染み渡った。
ファンジオが口を開こうとすると、マインは間髪を入れずに、声を震わせながら言った。
「あなたは本当に親バカね、ファンジオ。アラン、アランって……」
ふと横を見ると、マインは涙を零していた。
右手で自らの涙を拭おうとする妻に、ファンジオの胸の下から溢れ出るものがあった。鼻の先がツンとした痛みをもたらすのも構わずに、夫は妻の頭の上にポンと手を置いた。
「お前も充分親バカじゃねえか……。知ってるよ、あいつが一人でやっていけることくらい……!」
自らの手から飛び立ち、羽ばたいていく息子の姿を二人は受け入れつつも悲しみさえ覚えていた。
二人にとって、出生のことなどは些細なものだった。
なにより、親《二人》の手を離れても一人で羽ばたいていける息子を知ったことに喜びを感じるとともに、切なかったのだ。
「帰ろう。アランが待ってる」
ファンジオの言葉に、涙を拭ったマインは笑顔でこくりと頷いたのだった。
○○○
「既にマインとファンジオの許可は得たものとして考えてもよい」
フーロイドは言葉を濁さず、単刀直入にアランの瞳を見つめた。
その師の表情に、アランも、ルクシアも疑いはなかった。
「冒険者ギルドへの入会は原則としては満十五歳を過ぎた者に限る。本日をもって、主はギルドへの所属を認められたということになるの」
そこに介入するのはルクシアだ。
ルクシアは自らの懐から一枚のカードをアランに見せた。
「これでも一応私も冒険者ギルドには所属しているんですよ。別にそう強張ることはありません」
そう前置きしたうえで、ルクシアは机の上にカードを置いて見せる。
「これは、冒険者証明書と呼ばれるものです。私たちのような一般冒険者には特に制約もありませんからね」
ルクシアが机に出した冒険者証明書をアランが眺めるも、そこには名前、種族、出自、そして師であるフーロイドの名が記載されている。
「自らの研鑽を積むためには下級任務だけでも充分事足りますよ。特に個人間の契約にギルドを仲介する場合には面倒な手続きは必要ありません」
ルクシアは続ける。
「冒険者ギルドと呼ばれるものは比較的簡単な手続きを踏めばいいんです。特に私たちの場合は、ですよ? 普通の場合だと、王都中央管理局に任務申請を行って……などの手続きが必要となるのですが、私たちの場合、一般の冒険者とは違った経路での任務受注が可能になるのです」
「……違った形の?」
「ええ、それが師、フーロイド様の存在なんです。私たちのように冒険者証明書に記載されている師の名前は絶大な意味を施すのです。オートル魔法科学研究所である研究員兼教師である『宮廷魔術師』の肩書を持つフーロイド様の名があればギルドの手続きは一気にショートカット出来る。それはひとえに、フーロイド様が築かれてきたギルドの元締めでもあるオートル魔法科学研究所との信頼関係が確立しているからなのですよ」
「も、もしかしてそのギルドって制度もオートルが関与しているんですか?」
アランの疑問に答えるのはフーロイド。
だが、その表情はあまり芳しいものではなかった。
「そのギルド……どころではない。この王都全てのシステムを築いたのがオートル魔法科学研究所なのじゃよ……。そこはお主も後々知ることになるじゃろうて、気にせずとも良い。ともかく――じゃ」
フーロイドは背後から一枚の用紙を取り出した。
「このワシフーロイドの名において、アラン・ノエル。主に一枚の任務を預かっておる。細かいことなど今はどうでもよかろう。主に必要なものはたった二つ。『実績』・『強さ』じゃ。異論はないな?」
そのフーロイドの眼差しに、アランは生唾をごくりと飲み込んで肯定の意を示した。
「この任務はさほど急用ではない。三日以内に達成すればよいとの依頼主からの達し。受注するには、主の魔法力が必要不可欠じゃからの」
「……方法は?」
「魔法学基礎でもある白球浮動。原理はこれと同じじゃよ。この紙全体を覆うように魔法力を行き渡らせる。そうすれば二つの転移魔法アイテムが出現するからそのうちの一つをどこかに保管。そしてもう一つは使えば勝手に指定した場所へお主を連れていくであろうよ」
フーロイドの説明を聞き終わったアランは、受注用紙を受け取ろうとした――その瞬間だった。
「まて早まるな。まずは……」
そうフーロイドが指さした先にいたのは、マインとファンジオ。ファンジオの手には誕生日コークの有名店のマークがしるされた紙箱があった。
「お主の誕生日じゃろう? 盛大に祝わねば、フーロイドの名が廃るわ……っふぉっふぉっふぉ……」
アラン・ノエル――十五歳。
少年は、少しずつ、少しずつ成長を重ねていっていた――。
 




