『悪魔の家』
「いたい……」
草原を駆け下りながら少女は涙を流さずにはいられなかった。
初夏の暖かな風が、彼女を嘲笑うかのように頬を掠めていく。
地面に足を踏みしめる度に、微かな痛みが全身を駆け巡っていた。
「はぁ……はあ……はぁ……!」
眼下に見えるのはコシャ村。少女――エイレン・ニーナの生まれ育った村だ。
今がちょうどお昼時なのもあり、どの家からも昼食作りの白い煙が立ち込めている。
村の中央にある広場では、エイレンの帰りを待つ子供たちが見えた。
「いたいよ……いたい、いたい、いたい……!」
村へと向かう草原を一直線に向かっていたエイレンの足がふと止まる。
胸の鼓動がドクドクと激しさを増していった。胸が締め付けられるような痛みだった。
罪悪感と、後悔が次々に頭に浮かんでは消えていく。
後ろを見返してみれば、何の変哲もない一軒家からは若干すすが入っているであろう煙が煙突から抜けていっていた。
○○○
「じゃあ、いまからまけたやつは、『悪魔の家』にタッチしてかえってくる! いくぞぉ~!」
村の子供たちの代表格でもあるゴルジがそう言うに従って、皆は魔法発動の準備をした。
「や、やめようよ……。そういうの、よくないよ」
おどおどとした様子でその提案を止めにかかったエイレンだったが、いつもエイレンと仲良くしていた隣の家のミイはにっこりと笑ってエイレンに小さく耳打ちした。
「だいじょうぶだよ。『悪魔の家』っていったって、そんちょうがいったみたいにわたしたちをたべちゃうわけないんだから」
「そ、そういうもんだいじゃ……ないよ……? ねぇ、ミイちゃん。ミイちゃんからもいってよぉ」
「わたしはおにごっこしたいもん! まけたくないからいやだ!」
「そ、そんなぁ……」
村の中心で、子供たちが六人集まっていた。
そんな中でやるのは『魔法鬼ごっこ』。
それは、魔法色を利用させて行う遊びでもある。自身の魔力を相手に宛がうと、魔法適性検査よろしくその相手の体のどこかに他人の魔法力に対する拒絶反応として魔法色が現れることを利用したゲームだった。お互いの魔法力を飛ばしあって、最後に着色していた人の負け、という至ってシンプルで世界でも子供の遊びとしては有名なものだった。
「じゃあ、おにはゴルジからだね!」
「五分後におにになってたやつが『悪魔の家』にいくんだぞ! じゅーう! きゅーう!」
村の大将格のゴルジがカウントダウンを始めると同時に、ミイは「いくぞー!」と張り切って家と家の隙間に身を隠そうとする。
「え、え……そ、そんなぁ……!」
渋々ながらもエイレンは鬼ごっこに参加してしまったがその五分後、エイレンはあっけなく敗北。罰ゲームとして『悪魔の家』と称されるアラン達の住処に向かったのだった。
――せめて、だれにもあいませんように……。
エイレンにとって、村の人々がなぜそこまで彼らを愚弄し、蔑み、恐怖するのか理解することは出来なかった。
曰く、悪魔の家系であるから村が天災に襲われる。
だが、そんなことは何も起こらないどころか村は平和そのものだ。
曰く、悪魔の家からは毎夜魔物が出入りしているという。
だが、村には全くもって無害である上にその母親らしき人が物々交換を申し込みにエイレンの家を訪ねた時も、何ら問題はなかった。
ただしエイレンの両親はその物々交換の申し出を無下に断っていたことは少女の記憶にも新しかった。
いざ、その『悪魔の家』と称される家に行ってみるも、そこはやはり何の変哲もない一軒家があった。
白い倉庫のようなものの後ろに立って、恐る恐るといった風に庭を覗きこんでいた。
「やっぱり……みんな、おかしいよ……。まものもいないし……こわいこと、なんにもおこらないんだもん……」
そう呟いた、その時だった。
「ひゃっ」
自分の眼前にいたのは、一人の少年だった。
黒い髪に黒い瞳。村の人々から『悪魔の子』と呼ばれる少年であろうことは間違いなかった。
エイレンがアランに遭遇することは全くの想定外だった。
村の子供たちが、アラン一家を『悪魔の家系』と揶揄することに元々反対だったうえに、今回の遊戯での敗北で実際に赴いてしまったこと。そしてアランに実際に会って、人当たりの良さそうな、自分たちと何ら変わらない一人の男の子を自分たちが迫害していること。
幼いながらも村の空気で察してしまったアラン一家、そして先ほど少しだけでも会話をしたその表情や仕草。
その間に生まれていた大きな、大きなギャップにエイレンは胸の鼓動がどんどん悪い方向に高鳴っていくのを感じずにはいられなかったのだった。
○○○
「おー! エイレン! 『悪魔の家』、どうだった!?」
村に帰ってきた直後に、興味津々で問いかけてきたのはゴルジだった。
それに続きエイレンを心配するような、はたまた興味津々な様子がエイレンの瞳の奥にはとても恐ろしいものに見えていた。
「ご、ごめん……わたし、かえるね……!」
エイレンは口を押えてやっとの思いでその場から逃げ出した。
自身が抱えていた罪悪感と後悔。そして村長の言っていることが本当に正しいのかどうか、全てが疑わしくなっていた。
「『悪魔の家』……アラン・ノエルくん……」
エイレンの瞳の奥にしっかりと刻まれた人物の名前。彼女は心の中で何度も何度も村人の言葉と、アランの言葉を反芻させていた。