劇物製造機
「ぐぬぅ……フー爺ぃぃぃぃぃ……!」
小汚い一軒家の二階。彼に宛がわれた一室の机の上で、小等部の基礎教養宿題を広げているアランは手にペンを持ちながら唸っていた。
――ここ二年、魔法ぜんぜん使わせてくれないし……本当に大丈夫かなぁ……。
不安と焦りが徐々にアランを蝕んでいた。
手に嵌められているのは黒のリストバンド。フーロイド曰く、これは魔法を使用しようとしても魔法力を全てこのリストバンドが吸収、その後に霧散させる魔法制御の効果があるものだという。
現にアランがいくら魔法力を注入してもあっけなくリストバンドから空に霧散していく魔法力の様子をアランはこれまで何度も見てきた。
しかも、それは鍵がないと解くことが出来ない。その鍵は視認出来る物ではなく、魔法力によって精製された特殊なものである上にフーロイドが管理していた。
それを今までに何度か奪おうと画策したものの、一度も成功したこともないアランは大人しくフーロイドの指示に従って魔法を使わないことしか出来ずにいた。
ここ二年にわたり、アランは一回も魔法を使えずにいた。
無属性魔法はおろか、魔法力を注入して発動させる魔法アイテムすらも使わせてもらえない現在の実情にアランの欲求不満は高まるばかりだ。
コシャ村にはなかった道具、今までに見たこともない道具は魔法力を注ぎ込んで使うものが多い。
「お主の魔法力ではすぐに壊してしまうからの。コントロールがある程度身に着くまではお預けじゃ」
フーロイドはその後に、「厄介な奴に付け狙われる可能性もあるでの……」と小さく呟いたが、それはアランの耳に届きはしなかった。
「……飽ぎたぁ……」
加えて、小等部六学年ともなれば宿題もたくさん出る、進路選択も迫られる。
多くの生徒は親の家業を継いだり、レスティム有数の中等部進学校に進むことを既に決めている中で、アランは一切決まっていない。
中等部ともなれば第二次魔法成長期と第二次成長期が始まる分岐点にもなるため、実習科目としての「魔法学」分野が極端に増えてくる。
――が。
「なんで……中等部に行かせてくれないんだろう……」
フーロイドは一度、アランに通達していたのだ。
――ふぉ? 中等部。あんなもの、行かんでよい行かんでよい。お主にはもっとやらねばならんことがあるでのぅ。
そう底抜けに明るい表情で語りながら持ち前の杖を磨いていたフーロイドがアランの脳裏をよぎった。
そのことについて、父であるファンジオも、母であるマインも特に反対する様子もなかった。
ファンジオも今や、片田舎で霧隠龍を倒した猟師として私塾に赴いて生徒たちに狩りについて、彼なりにアーリの森で生き抜いてきた知識を教え。
片やマインは、持ち前の料理スキルとルクシアの異常なまでの推薦もあり、こちらも私塾に赴いて料理教室を開いて王都の生活に定着し始めている。
フーロイドの提案により、アランはマインとファンジオとは別れて生活をしている。
それは、マインとファンジオの生活基盤が今のところ安定せず、お互い家にいる時間が少ないためだ。
だからこそ、フーロイドの家を経由したほうがアランと接しやすい――という理由。そして何より、アランの成長を思ってのことだった。
その時だった。
小等部から出される大量の宿題をこなすアランの元にやってきたのは一人の女性。
「調子はどう? アラン君」
翡翠のロングストレートと紅の瞳。そして引き締まった細い体躯でアランの肩をポンと叩いたその女性はアランの姉弟子でもあり、フーロイドとの間で『劇物製造機』と称されるルクシア・ネイン。
いかにも常識人と言った体のその人は、度々王都でのフーロイドの失言、失態を諫める役割も担っている。
エルフ特有の尖った耳をピコピコと動かしたルクシアは、勉強中のアランににこりと笑みを浮かべて持っていた包みを机の上に置いた。
「……どしたの? これ」
「マイン先生の料理教室の時に。お母さんに頼まれたのよ。勉強ばっかりじゃ疲れるからあの子にクッキー渡してってね。差し入れってこと」
「母さんから!?」
「そ、ちなみに右手にあるのが私が丹精込めて作――」
「甘ぁい……。すごいな母さん……! 王都外で暮らしてる時よりも種類が増えてるんだ。今度焼肉作ってもらおう!」
「あ、アラン君! こっちにあるのが! この私――」
「そういえばルクシアさん。フー爺がさっきからずっとルクシアさんが作ったお菓子が食べたいなーって呟いてたよ。買い出しに行くって言ってたけどそろそろ帰って来るんじゃないかな?」
アランの一声に「ふ、フーロイド様が!?」と目を輝かせたのはルクシアだ。
母が作ったというクッキーをもう一つ頬張ってペンを動かすアランは額に冷や汗を滲ませながら追撃をかける。
「うん。最近フー爺、ルクシアさんの料理が食べたくってしょうがないらしいんだ。そのクッキー、まとめて全部フー爺が帰ってきたときにその場で残さず食べさせてあげるといいよ」
「ええ! 分かったわ! ふ、フーロイド様がそこまでおっしゃられるのであれば……た、食べさせてあげないこともないんですからねっ!」
アランは自分に何とか被害が来ぬようにと、露骨にだが誘導しきったアランは心の奥底でほっと安堵の溜息をついた。
階下からは「アラン、ルクシア。帰っておるのか?」としわがれた声が聞こえてくるのを二人は聞き逃さなかった。
「フーロイド様! 見てください、私、クッキー作れたんですよぉぉぉ!」
幼い娘が、親に報告するかのようにスキップ交じりで階下に向かうルクシア。
その手にある小包からはクッキーなのにも関わらず紫色や橙色が混じったものが視界に入る。
加えて鼻腔を突き抜けていく異臭。アランは鼻を撮みながら素早く窓を開けていた。
「ん? どうしたルクシアよ」
「見てください! 私、マイン先生に教わってクッキー作れるようになったんですよ!」
「っふぉっふぉっふぉ。そうか、そうか。それは良きことよ。後でワシらが――」
「今、今食べてください! 感想が聞きたいのです! アラン君にもそう言われましたし! フーロイド様、私のお菓子食べたかったんですよね!?」
「……ふぉ? い、いやまて早まるでないルクシア」
「遠慮なさらず! はい、アーン……」
「殺さないでくれ! 頼む、後生じゃ!」
「ささ……ささ、どうぞ……」
「ね、ねじ込むでない! それはアーンではない! そんなアーンなど望んでは……アアアァァァぁ……ぁ……ン」
「……フーロイド様?」
今まさに階下で行われている殺人行為にアランはぶるっと鳥肌が立つのを感じていた。
ルクシアの料理を食べて勇敢にも戦死していった一人の老人に黙祷を捧げたアランは静かにマインの作った正しく美味しいクッキーを天に掲げる。
「もう一つどうぞ、二つ、三つ、四つ……」
「ヴぉ……ヴぉ……ヴぉ……」
ピクピクと痙攣をおこしていそうな様子が今にも脳裏に映像として蘇りそうだったアランは、母親が作った甘いクッキーを一つ、カシリと口に含んだ。
「……甘いなぁ……」
平和で退屈なひと時が、今日も過ぎていったのだった――。




