プロローグ:欲求不満
アルカディア王国が王都――名をレスティム。
その王都が中心に聳え立つ高い塔は、ここ数十年で急速発達し、王国の王都として指定された所以でもある。
オートル魔法科学研究所。一人の男が短期間で立ち上げたこの巨大組織によって一大都市に成長したこの王都。そこが一家の新たな生活場所となっている場所だった。
「ただいまぁ……。ねーねーフー爺。ルクシアさんは?」
アラン・ノエルは十二歳になっていた。
コシャ村の外れに住んでいた時とは顔立ちも随分と幼さが抜けているものの、まだ十二歳。
いたずら盛りの遊び盛りであるアランは王都レスティムの路地裏にある、薄汚い小さな一軒家に帰宅した後に、そこに住む一人の老人に声をかけた。
「ルクシア……のぅ……」
すると、暗闇の中から姿を現したのは白髪白鬚の老人だった。
薄汚い茶のローブを変わらず羽織るその老人は、アランの師でもあるフーロイドと呼ばれる男性。
この王都を発展させた張本人でもあるオートルの元師匠に当たり、さらには過去には宮廷魔術師という職業についていた魔術師だ。
今こそ現役を退いて後進の育成に努めているその老人は深々と溜息をついた。
「奴はマインの料理教室に赴きおったぞ。まあ奴のワンスパイスによって毎回邪魔されとると言うのに、よく我慢できたもんじゃ」
「……ちゃんと母さん来るよね?」
「忙しくなければ、の。ただマインが忙しければルクシアの劇物を食わされることになろうて。まあ、マインも今や王都きっての人気料理講師じゃ。仕方ないのはあるぞ。ルクシアの毒物は何とかワシが匿っておこう」
フーロイドは遠い目をして呟いた。
彼が今までに犠牲になった数は計り知れないものだった。とても師の扱いとは思えないルクシアの劇物を何度も食べている内に、フーロイドは大抵の毒物の耐性が付いてしまうというレベルに達している。
更には、今までの人生で絶対にやってこなかった料理さえも自衛のために行うという始末だ。
「全く……。それよりもアラン。小等部の方はどうじゃ?」
青い表情を隠せないフーロイドは、強引に話題転換をしようとしてアランを見つめた。
「ほぼ知ってることばっかでつまんない。魔法もぜんぜん使わないし……っていうかなんでわざわざ魔法学のない学校選んだの? レスティム小等部とか、アルケドールとか……魔法学の進学校はいっぱいあるのに」
「お主に必要な魔法学の基礎は全てワシが叩き込んだからじゃ。お主に足りぬものは基礎教養。魔法ばかりを鍛錬してもただの魔法バカになるだけじゃ……。そうなればルクシアのような残念な阿呆が出来上がる。奴は魔法の方は天性のもので補って居るが他はただの阿呆じゃからのう。一国の王妃候補とは思えんわい」
カラカラと笑みを浮かべるフーロイドは、杖を持ってアランの元へと歩み寄った。
「どのみち、この世界を生きていくのには魔法だけでは事足りぬよ。魔法だけでこの世を生き抜けると思うでない。それはただの思い上がり……。むしろ主は魔法学と言う比較的面倒な科目は既にクリアしておるのじゃ。基礎教養に専念せい」
「分かってるよ……」
フーロイドの言葉に少し不服そうながらも渋々と言った体で頷いたアランは学生カバンを机の上に投げ置いた。
アランは王都に来て八歳の頃に、王都立の小学校に編入学をした。
六歳に王都に来て以来二年間は師、フーロイドの元で姉弟子であるルクシア・ネインとひたすらに魔法の研鑽に努めた。
かと思えば、八歳から王都にある一つの学校――それも「魔法」という学問が全くないセリーヌ小等部に編入。
現在その六学年目のアランはいよいよ卒業を控える立場となっていた。
「その齢で急ぐことはあるまい。人生まだまだこれからじゃ……。今は地力を付けるとき。焦るで――って聞いてないなお主」
「学校の宿題やるから二階行くねフー爺」
フーロイドの弁舌をさらっと流したアラン。
「もう何回も聞いてるよ……」と一人ごちながら古い一軒家にギシギシと足音を鳴らしながら二階に登っていくアランの背中を見ながらフーロイドは呟いた。
「ルクシアにしろ、アランにしろ……最近ワシを蔑ろにしてないかのぅ……。ワシ、師匠向いてないんじゃなかろうか……っふぉっふぉっふぉ……」
小さくネガティブな言葉を吐くしかないフーロイドは机の上に置いてあった銀貨数枚を手に持った。
「老骨は後進を静かに見守るとするかの。まだまだ先は長いんじゃから」
フーロイドはふっと笑みを浮かべた。
「さてさて……ルクシアが帰って来る間に買い出ししておかねば、二人そろって劇物を食わされるわい」
目を補足したフーロイドは、かつ、かつと杖を突きながら家とは全く違い、華やかな王都の大通りに姿を消していった。
まるで、アラン・ノエルを見つけたあの日のように――。




