番外編:マインとルクシアの料理教室②
「まず、いつもルクシアさんがやっているように粉と水を合わせて捏ねるのは定石。でも、これを使うと麺にコシが出てくれるんですよ」
そう言ってマインが台所の引き出したのは、塩の入ったカップだった。
「これを水と合わせていつも通り混ぜる。塩水は少しだけしょっぱいのがおすすめですね」
まるで先生のように丁寧ににこやかに指導を行うマインに、思わずルクシアは童心に戻って「はい!」とはっきりとした返答をした。
こねこねぐにゅぐにゅねばねば
ボウルの中でルクシアは上手く体重をコントロールしつつ大きな一つの生地の塊を作っていく。
夏も本番に差し掛かり、家の外ではフーロイドとアランの修行風景が垣間見えた。
とはいえ、フーロイドがアランと遊んでいる風にしか見えないが、そんな中でも魔法を使った遊び。フーロイドの提示する修行兼遊びにアランも大層気に入っているようだ。
ルクシアは懸命に自らの料理に立ち向かおうとしている中で、マインはクスリと笑みを浮かべてアランの大好きなお手製ジュースに手をかけている。
それからしばらくして、ルクシアが「これくらいでしょうか」と腕で額の汗を拭うのを見たマインは、「どれどれ」と口をすぼめてマインの作った捏ねた生地の元に指を入れた。
「よしっ……。これくらいですかね。後は……っと」
マインは塊を覆うようにルクシアを見た。
「ルクシアさん、少し手伝って頂けますか?」
「……はい?」
「この粉の元を中心とした風魔法を発動させてください。もうちょっと詳しく言えば……そうですね。この生地を覆うように。外に空気が逃げないように……」
「要するに、この生地の中に、外に空気が漏れ出ないようにすればいいのですか?」
ルクシアの問いに、マインはこくりと頷いた。
「前はこれを作るための簡易魔法アイテムがあったんですが、今は切らしているんですよ。ルクシアさんは確か風属性だったし、大丈夫かなーと思ってたり……」
マインは申し訳ないと、両手を合わすがルクシアは得意げにドンと胸を叩く。そして記事の元をじっと見つめた一人の女性は目を瞑った。
「風魔法――『女神のそよ風』」
ルクシアの両手から発せられるのは小さな魔法力。ルクシアが宣言すると同時に生地の塊の周りに生成されるのは様々な方向に吹く小さな風。
ただそれは、生地を護るように内側にも、外側にも無駄な風が通らないようにしているとても精密な魔法だった。
「ここに魔法力が留まる限りはこの風は吹き続けます。いわば、この生地を包むようにして出来た魔法です。恐らく一時間ほどならば持つかと……」
「そうですね、今回は二十分ほどなので。よろしければルクシアさん、一緒にお茶でもどうですか? 私ももうやることは終わりましたので」
マインがにこりと笑みを浮かべるのを見て、ルクシアは「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えます」ときらきらと目を輝かせた。
○○○
席に着いたルクシアに、マインはお茶を入れた。
いつかアーリの森でファンジオに取ってきてくれとお願いした薬草を煎って、乾燥させた茶葉にお湯を注いだマインはコトリと音を立ててルクシアの前にそれを置く。
同じくお茶と、森の木の実から作成した菓子を持って座ったマインは興味津々の瞳でルクシアを見た。
「そういえば、さっきのラ・フェーレって……あれは魔法ですよね?」
その言葉に、ルクシアは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「あ……そういえば」
そう切り出したルクシアは「ええっと、魔法を扱うことの多い都市部などではよくこの方法は使われているんです」とお茶を置いた。
「『魔法』とは、いわば『思いの力』を具現化するんです。ですからあらかじめこの魔法を発動したい、と思うような魔法を秒速で放つためには、その魔法に『名前』があれば楽なんですよ」
「……ほうほう」
「名前がなければ自らの頭で想像して、放つというタイムラグが発生する傍ら、あらかじめその名前を覚えていれば反射的に発動させることが出来るという利点が一つ。そしてもう一つこれには利点があります」
「二つもあるんですか?」
「はい、もう一つは都市部で行われる魔法を使った試合などです。所謂、『魔法比べ』と呼ばれるもので、他者と自分の魔法の力を競うものです。蓄積量、コントロール、身体能力その全てを駆使するその試合では、どんな時に、どんな魔法が使われたかを明確に記録する必要がある『ログ』が書かれます。これは魔法アイテムの一つで、試合後に確認することが出来る。その際に『こんな魔法が使われた』として名前がある魔法であればある分、記録にも残るし人々の記憶にも刻まれる……ということです。まあ、その魔法の名前自体はそれぞれの魔法属性に合ったモノが中央部の図書館などでは日々増えていますからね」
ルクシアの説明を聞いたマインは、「なるほど……」と小さく頷いた。
「なら、アランのように……その、『特異者』と呼ばれる人々は……あまりその『魔法名』とは関わりが……」
マインの苦笑いに、ルクシアは額に汗を流しながらもこくりと頷いた。
「それも含めて、特異者なんです。そもそも特異者自体が少ない昨今、データも少ないですから……ただ、自分で名前を付けられるというのは結構な利点なんですよ。今までにない魔法を創造した人物としての名誉が手に入りますから。私も一つは魔法、作ってみたいんですが……! 申請したところで既存の魔法があるって跳ねのけられるんですよね! 悔しいです!」
ぐぬぬと拳を天に振り上げるルクシア。その様子にマインはまるで我が子を見守るかのような目線を向けたのだった。
○○○
しっとりと伸びた生地を前にしてマインはまな板と麺棒を手に取った。
「あとは、いつも通りにしていいんじゃないでしょうか」
その言葉通りにルクシアは「ん、しょ、ん、しょ」と奥から手前へ、手前から奥へと麺棒に体重を乗せて生地を平たく伸ばしていく。
その様子を一人の先生のように変わらず温かな目つきで見守る。
それはまるで先生と生徒のような関係だ。
「次に、伸ばしたら切る。そして、茹でる。後はいつも通りですね。コシ、煌きは十分に伝わるはずです」
マインの指示に忠実に従ったルクシアが完成させたのは煌きのあるローレインだった。
ファンジオがアーリの森から採取した薬草をベースにした特製スープに浸したローレイン食べたルクシアは笑顔を取り戻した。
「一つの工程を加えるだけでこんなにも変わるモノなんですね……すごいです! マインさん!」
ルクシアの褒め言葉を素直に受け取ったマインは再びにっこりと笑みを浮かべる。
「料理も、人も。一つの工程を加えるだけで素晴らしいものになるのです。しっかり覚えておきましょう」
「はい、マイン先生!」
○○○
「と、いうことでフーロイド様! どうぞ!」
ファンジオの家から帰宅したフーロイドを待っていたのは、ルクシアの手作り料理だった。
だが、それはローレインではない別の食べ物だ。
「マイン先生はおっしゃられました。料理には一つの工程を付け加えるだけで素晴らしい物に生まれ変わると……!」
グツグツと煮えたぎる鉄の皿を見たフーロイドは思わず歯をぎしりと鳴らした。
「……何を入れたのじゃ貴様……」
「滋養によく聞くと呼ばれる赤亀脳髄! そしてその毒を中和するための延髄を掛け合わせました。ワンスパイスってやつですね!」
「お主はマインから何を学んだのじゃ!? 一つの工程とは劇物を作り出すモノじゃとでも習ったのか愚か者!」
「で、ですが味は保証します! 赤亀は毒は生成しますが、延髄と脳髄から発せられる特異物質で中和されると――」
「そんなワンスパイスはいらん! お主は頼むから忠実に作ることじゃ!」
「いいえ、私はフーロイド様よりもマイン先生を信じます! マイン先生は神様なのですから! マイン神に栄光あれ!」
もはや狂信者と化したルクシアは聞く耳を持たなかった。
その夜の飯代を全て赤亀購入につぎ込んだルクシアに恨み節を言いながらもその料理を食べた瞬間に――。
――フーロイドの喉と胃が死んだ。
「ふ、フーロイド様! どうされましたか!?」
薄れゆく意識の中で、『こいつにだけは今後一切料理を作らせまい』と決意を固めたフーロイドだった。
第一章はここまでです。ありがとうございました。
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