初めての会話
「……と。ゴメンねアラン。痛かった?」
我に返ったマインが自身の白髪を束ねて、短く後ろに縛り直した。
自身を抱きしめていた両手がなくなってアランは少し不満気味だったものの、マインと目が合えばにこりと笑ってくれた。それだけで、アランは十分に嬉しかった。
「じゃあ……ママはお料理の続きやってこなきゃ。そうねぇ、ちょうど火をかける薪、切れてたの。アラン、裏の勝手口から倉庫に周れば薪が積んであるから」
「まき?」
「そう、初めてのおつかいね。出来るかしら?」
「できる!」
アランの威勢のいい返事に、マインは思わず目を細めていた。
アラン達一家の住む木造の一軒家はごく普通のものだ。特別煌びやかでもなければ、特別質素でもない。家具一式などは元いた村から土魔法――馬車を発動させて移動させていた。
ファンジオの使役属性は『土』。狩人にとっての最適属性でもある。その土属性の中で馬車という魔法は、土から馬車を作る魔法でもあった。
この世界において魔法は一般認知されたものである。
主要属性としては『火』、『水』、『土』、『風』の四つに大別される。
そして多くの人間にとって、『魔法』というものは人々の生活基盤の源に成り得ている。
「ママはアランの大好きなお肉料理の続きを支度してくるわ。目標は五分。その頃には薪が切れちゃうからね。じゃあ、アラン・ノエル君。薪を三本持ってきてください」
「分かった!」
ダッと、家の裏口に向かって全力ダッシュするアラン。その表情は年相応の男の子そのものだった。
「――悪魔の子……か」
マインはポツリと呟いた。
その理由は、アランの魔法適性にある。本来、簡易的な魔法適性検査は生まれてから一年から二年の間に行われる。
その年に魔法適性が備わり始めるからだ。方法は至って簡単で、魔法適性を図る対象者の『魔法色』を調べることにある。
人の性格にも個性があるようで、魔法にも個性があった。
マインが火属性の魔法力を両手に込めて、アランの胸元に宛がう。そうすると、魔法同士の摩擦、軋轢、拒絶作用によってその属性により独特の現象が起きてくる。
だが、マインやファンジオがいくら魔法力を込めてアランにそれを宛がおうとも、何ら変化は起きなかった。
「かといって……魔法が使えないわけでもなさそうなのよね……。魔法力も、門もあるのだから」
マインは火の加減を魔法力で調整しつつスープの中でぐつぐつと煮えている具材をじっと見つめている。
ボコ、ボコと沸騰による泡で視界が真っ白に染まりつつある中でマインはふと考えた。
「もしかして――」
この世界には主に四つの属性の魔法適性が存在すると言われている。
だが、魔法適性を見抜けない事案が二つある。そのうちの一つとして魔法力を体の中に秘めているものの、現世と体の中の魔法力を放出する『扉』が欠落している場合と、端から魔法力自体が欠落している場合がある。
そしてもう一つは――。
「確か……パパの書斎に……あったはずなんだけど……」
マインは少しだけ火の加減を再び弱めてから台所を後にした。素早い足取りで、夫の書斎に駆け込んだマインは難しい文字が次々と書いてある中から「これかな……?」と一つの書物を取り出した。
「……魔法には四種類がある」
先ほど思っていたことを反芻させて、指を文字に這わせている内にある記述を彼女は発見した。
「大地を統べる『地』属性と……海を統べる『海』属性がある……」
その記述を更に読み進めていくと、その可能性があるかどうかの確認方法も記載されてある。
曰く、『地』属性ならば魔法を宛てても中に吸収――魔法力ごと力に食われてしまうらしい。
曰く、『海』属性ならば魔法を宛てていた対象者の精神をも飲み込んでしまうらしい。
『地』属性と『海』属性はほかの四属性の完全上位互換の魔法属性であり、滅多に現れることはないという。
だが、アランはそのどれにも当てはまらないことに更に疑念を強めることになっただけだった。
「アラン……あなた、一体――」
ひとりでに、勝手口の方を見ていた。アランが立ち去った後で簡易的な扉が風にゆらゆらと揺れていた。
「……あ……! お肉! 焦げちゃう!」
急いで台所に戻ってみるも、鍋の中には真っ黒な炭になり果てた食材があるだけだった。
○○○
「えーっと……まき、みっつ」
アランは勢いよく勝手口を出た後に草履を履いて勝手口から続く裏の倉庫へと向かっていた。
空は快晴。雲一つない空だったが、アランは数時間後に雨が来るのを予測している。
何らかの根拠があるわけではない。いわば、アランの天気予報は直観によって成り立っているものだ。だから、アランの体調がすこぶる良好でなかったり、自然以外の外部要因が加わるとその予報は外れることがある。
だからこそ、アランは天気予報をするときには家から離れた草原の上に立つことにしていた。
「まきみっつ、まきみっつ……」
両手で指を三本ずつ立てて数字を象りながらアランは倉庫へと向かう。
家のすぐ裏にあるその倉庫内には季節によって使い分けられるもの。今であれば冬物が収納されていたりもする。
その中に薪があると言われた。
アランはよくファンジオの仕事を見ていた。アランの父であるファンジオが休日に斧で薪を割っているのをアランは手伝っているからだ。
「ええと……あれかな?」
白に包まれた四角い巨大な箱には衝立がしてある。
タッタと軽快にステップを踏むアランは目の前に聳え立つ巨大な倉庫の衝立を簡単に外した。
辺りには草原から吹く風がアランを撫でた。
草独特の臭いを放つそれを感じていて「もしかしてあさってもあめなのかな……」と呟いたアラン。
「ひゃっ」
倉庫の裏からひっそりとアランを見つめる一つの目線に気付いたアランは、特に驚きもせずに「だぁれ?」と呟いた。
「……うぅ……えっと……うぅ……あ、アラン・ノエル……くん?」
恥ずかしそうにしながらもそこから出てきたのは一人の少女だった。
マインに、「人に質問をされたらはきはきと答える!」という注意をよく聞いていたアランは、少女の瞳を見て、「そうだよ」と短く応えた。
その少女を見たアランは、同じ年くらいの子だ、と判断していた。
倉庫の裏からびくびくとアランを見るその少女は、一歩、一歩と倉庫の影から出てアランの真正面に立った。
白いワンピースを纏ったその少女の頭には茶色い麦わら帽子が被せられてられている。
肩まで伸びる綺麗な茶髪に華奢な体躯。触れれば壊れてしまいそうな手足。
少女の持つ白い肌が太陽に反射してキラキラと輝いているその姿を見たアランは少しだけ言葉を紡ぐのを躊躇っていた。
初夏にさしあたるこの時期、気温はどんどん上昇していく。
汗で額に染み付いた髪は光沢を放っていた。
「きみは?」
「わ、わたしは……エイレンです……エイレン・ニーナ……です」
明らかに気恥ずかしそうにそう自己紹介したエイレン・ニーナという少女。
アランは、家族以外に話したことが記憶にはなかったのもあり、この少女と初めて言葉を交わした時から胸の動悸が収まらずにいた。
「ママ、よぼうか?」
初めて言葉を交わしたエイレンにアランはにこりと笑みを浮かべた。
「ひぅっ!?」
――が、それが逆効果だったようでエイレンは委縮して少しだけ、後ずさりをした。
エイレンがここに来た理由は至って簡単だった。
「も、もう……いいよね……おにわには、はいったから……!」
「どうしたの? えっと……えっと……」
「だ、だいじょうぶですぅぅぅぅぅぅ!!」
アランが何かしてあげよう。そうあたふたしている内に少女、エイレンは左腕で麦わら帽子を被りつつ涙目になる。アランから少しでも早く離れるように、と草原を駆けて村まで下っていくエイレンを見てアランは、心の奥底でズキと何かの音がしたように感じていた。
「まき……もっていかなきゃ」
アランは白い倉庫の中に入っていた薪を三本抱えた。
いつも見ていて、いつも触っているその薪が今はどうにも受け入れられないでいた。