虹の先に見えたもの
目の前の霧隠龍は動かなくなっていた。
ファンジオは龍の胸に突き刺していた剣を素早く抜く。
全く動かなかった霧隠龍の口元からコポリとまとまった血があふれ出している
「ヒョ……ォ……」
ふと、力なく目を開けた龍。
ファンジオはくるりと背を向けた。
「行くぞ、アラン」
ふらふらと足元おぼつかなく歩く我が子を抱きかかえてる。
アランはファンジオの腕の中で目を閉じかけながら、今まさに命を落とそうとする一頭の龍を一瞥した。
霧隠龍は倒れていた体を首だけ起こした。ぽたぽたと落ちる紅を見向きもせずに遠い彼方に向かって声を上げる。
「ヒョォォォォッ!! ヒョオオオオッ!! ……ォオオォ……ゥォ……ッコ……ヒョァァァァァァ……ァァ……」
霧隠龍の命を張った声。
それは先ほどのようにファンジオ達を威嚇するものではない。
どこまでも切なく、どこまでも儚い慈愛に満ちた声だった。
血を洗い流すかのような雨は二人の人間の上にも容赦なく降り注いだ。
腹から絞り出すかのように発したその声は遠く、遠く響いていった。
「パパ、動かなくなっちゃったよ……」
抱きかかえた息子は腕の中でぎゅっと小さく両手を握る。
「ああ。敵ながら天晴だ。一歩未来が違えば、俺もああだったんだからな」
「……」
アランは何も答えなかった。
――死応声。
この世界において主に龍が発するとされるもの。親龍が死ぬ間際に放つ声のことだ。
通常、龍族は育児本能を保有している。今回のエラムの件などは母龍が子龍に狩りの基礎を教え込んでいたことが発端だ。
だが、そんな母龍が自らの命を落としそうになる寸前には最後の力を振り絞って子供を逃がす習性がある。
滅多なことでは見られるものではない動物の動物による動物のための本能行動だ。
それが死応声。
ファンジオは、彼女が母龍だと分かっていて何も躊躇わずに一撃を食らわし、絶命させた。
そのことに対しては何の後悔も抱いてはいない。
「……エラム」
ファンジオは、家族の待つ草原下に歩みを進める中で見つけたのはエイレン・ニーナの父親でもあるエラム・ニーナが所有していた剣。
かつてはエラムと何度も剣を交し合って稽古をした仲だった。
だが、そんなエラムはもうこの世にはいない。
ファンジオはアランを抱えたまま、腰を落としてエラムの剣を近くにあった鞘の中に収めて腰に帯刀した。
すると、雨足が徐々に弱まると同時に抱きかかえていたアランの目がキラキラと輝きだした。
「にじだぁ……パパ、にじだよ! そのとなりにちっちゃなのいるー!」
アランが見た方向をファンジオも目を向けていると、親の死応声を聞いたのであろう子龍二頭が並んでアーリの森から飛び去っていくのが見えた。
二頭が去る際に彼らの翼から発せられていたのは、先ほどの母龍が放った蒼の粉塵ではなく対照的な紅のものだった。
その紅の粉塵が大空に舞い上がり、元々意図的に精製されていた雲の中に入り込む。
ふわり、ふわりと――。まるで最初からそこには何もなかったかのように雲が消えていく。
それにより大空を跨ぐようにして出来たのは七色に光り輝く虹だ。
太陽の光をいっぱいに受けて虹が光り輝く中で子龍二頭は徐々に見えなくなる。
「ファンジオ! アラン!」
ファンジオがアランを抱えて草原を下るのに対し、マインは目にいっぱいの涙を溜めながら向かってきていた。
「……ま、マイン」
苦笑いを全面に出しながらファンジオは自身に向かって走って来る妻を一瞥する。
血生臭いことなど一切気にしていないとでもいうように、マインは雨でずぶ濡れになった体をファンジオに押し付けた。
「あ……えっと……その――」
ファンジオは何か気を利かせたことを言おうと、何らかの謝罪の言葉を述べようと頭の中をフル回転させるが、それさえも全て飲み込むかのようにぎゅっとファンジオを抱きしめるマイン。
「何も言わなくていい。何も言わなくていいから……」
ファンジオを抱きしめる腕の力がぎゅっと強くなっていた。
それを感じ取ったファンジオは言いたいことはたくさんあったものの、ただ一言だけを確かに告げる。
「――ただいま」
そんなファンジオの一言にマインは、グスリと鼻を啜った。
ロングストレートの白髪が風にたなびき、揺れる。草原に反射した太陽が彼女を優しく包み込んでいく中でマインは右腕で自身の涙をぐっと拭き取ってにこりと笑顔を作った。
「……おかえりっ!」
不安も、悲しみも、怒りも何もない。
夫に全幅の信頼を置いた一人の妻は、まるでいつも通り、狩りに行って獲物を狩って帰ってきた夫を出迎えるのとまったく同じ笑顔をしていた。
「ところでファンジオ。アランは……寝ちゃったの?」
「ああ、魔法力が枯渇したんだろう。白球浮動の時も枯渇して倒れたんだから……。疲れたんだろうよ。寝かしててやろうぜ」
ファンジオの腕の中ですー、すーと規則的な小さい寝息の音を出すアランを見て両親は微笑んだ。
「この子、やっぱり『悪魔の子』なんかじゃないじゃない、ね」
「ああ。俺たちの命の恩人でもある。本当に変わった奴だ……こいつは」
ファンジオは右手でアランの小さな頬をふにっと触る。
幼い肌の弾力が手に跳ね返ってくると同時に「ォッホン」とわざとらしく咳払いをしつつ登って来るのはフーロイドだった。
魔法術士特有の尖った帽子は先ほどの雨で濡れきっている。
そちらも太陽の光で輝く中でフーロイドは「無事じゃったか、ファンジオ」とあっけらかんと言葉を紡いだ。
彼女の一番弟子でもあるルクシアは暴れ出した馬の回収と応急的な馬車の修理に。
それに村の男たちが狩りだされている構図だ。その中にはエイレンもいる。
「アラン・ノエル……」
意味ありげに呟くフーロイドは空にかかる虹を眺めて「世界とは酷なものじゃのう」と手を仰いだ。
「とにもかくにも目先の脅威は取り払われた。ひとまずはコシャ村に向かう。その間にお主には伝えておかねばならぬことが多いからの。ルクシア達に馬車は修理させておる。数分後には出発できるじゃろう」
フーロイドは持ち前の杖を持ってルクシア達のいる方向を指した。
馬がルクシアの手によって捕まえられ、動ける村の男は馬車の修理にあたるその光景を見たマインとファンジオはフーロイドの提案にこくりと頷いた。
その後、ファンジオはマインと目を合わせてくすりと笑みを浮かべた後に「フー爺」と改まって真っ向からフーロイドを見つめる。
「俺からもちょっといいか?」
「何じゃ、ファンジオ」
ファンジオはアランの能力を真に伸ばすにはフーロイドに着いていった方が最適だとは頭では分かっていた。
以前、フーロイドから提案されたことも一瞬は頭の中で考えてみたこともあったが、いざ――となってみれば実行は出来なかった。
そんな中での結論。
前々から話していることでもあったのでその件については既にマインの同意は得ていたからこそ、彼は告げた。
「俺たちを王都に連れて行ってくれ。そしてフー爺……アランを、頼む」
ファンジオの誠意の詰まった言葉にフーロイドはピクリと眉を動かした。
「どういう風の吹き回しじゃ? 前まではあんなに嫌がっておったのに……。まぁワシとしては好都合じゃがの」
にやりと口角を上げるフーロイドに、ファンジオ夫妻は苦笑を浮かべたのだった――。




