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マイン・ノエル

 ルクシアの急な指示は家の中にも伝わっていた。

 アランとエイレンを抱きかかえるようにしてじっと身を潜めていたのはマインだった。

 龍の攻撃を受けた負傷者二人は家の外に出している。それはフーロイドの指示だ。

 その長く伸びた白髪が木造の床に垂れているが、マインにとってそれは全く重要なことではなかった。


 ――子供たちを、護らなきゃ……。


 外ではファンジオが襲撃者と闘っている。

 本来、人と人との争いを好まない夫が、家族を護るためにその自らの信念さえもかなぐり捨てて家族を守り抜こうとしているその姿を無為にするわけにはいかない。

 ファンジオは必ず勝つ。勝っていつものようなにへらとした笑顔を持って自分たちの元に帰って来ると、そう信じていた矢先のことだった。


「マインさん、子供たちを連れてきてください! ここから避難します!」


 そう言って、身体中を雨に濡らしながら叫ぶのはルクシア。

 翡翠の髪を肌に張り付けた彼女はそんなことはお構いなしと、濡れた身体で家の中に入って来る。


「……ど、どうしたの、ルクシアさん急に……。ふ、ファンジオは負けてはいないんでしょう?」


「ええ、ですがそれよりももっと面倒な事態になっているんです。このままではここにいる者は全員食い殺されてしまいます!! さぁ、急いで……!」


 ルクシアの表情は必死そのものだった。その様子にぐっと気圧されたマインは「食い殺される……?」と疑問に思いつつも腕の中の二人に小さく声をかける。


「アラン、エイレンちゃん。ちょっと、ママと一緒に外に出ましょう。ルクシアさんに付いて行って。いい?」


 そんなマインの優しい語り掛けに、こくり、こくりと震えるようにして頷いたのはエイレンだった。


「る、ルクシアさん、どこに……?」


 エイレンのそんな素朴な疑問に対して、ルクシアは「遠く。ちょっとだけお出かけするだけだから……ね」と手を引いた。


「マインさん、アラン君をお願いします!」


「……分かりました。アラン、付いてきて……!」


 そんな中で当本人のアランは、不思議そうな顔をしている。

 馬車に向かうルクシアとエイレンの姿を一瞥するアラン。馬車の上には既に龍の攻撃によって負傷された二人が乗せられていた。


「……パパは? パパは、行かないの?」


「パパは――もうすぐ来るわ。だから、行きましょう。皆で(・・)逃げましょう」


「うん! 分かった!」


 無邪気さを未だ兼ね備えたアランは「雨だー!」と風に吹かれて斜めに落ちてくる雨に興奮しつつルクシアの後を追う。


「もしかしたら、この家には――もう……」


 ふと、独りでに呟いてしまったその言葉。

 マインは小さく瞼を閉じた。そこから聞こえ、見えてきたのはアランが生まれてからの生活だった。

 この家で焦げた肉を焼いて、アランが泣いたこともあった。

 この家でアランの魔法力が大きなことが分かり、その代償として裏庭の屋根が壊れた。

 それをみんなで直したこともあった。

 この家が、家族の幸せ(・・)の象徴だった。

 廃屋を改築し、ファンジオと共に汗を流した――その全ての記憶が流れ込んできていた。


「……大丈夫」


 この家は自分たちにとっての確かな思い出として存在している。


ファンジオとアラン(ふたり)がいれば、どこでだって……また作れるもの」


 直感的に感じ取ったのは、家との決別。


「マインさん! 早く!」


 ドアの外からは焦るようなルクシアの声が聞こえてくる。

 悠長にしている暇などないと、そんなことは分かっていたマインだったが。

 すっと静かに立ち上がり、一人の女性は家全体をもう一度見渡した。


「今まで、私たちを守ってくれて、ありがとう」


 小さな一人の女性の丁寧なお辞儀だった。

 ガチャリと、食器が音を鳴らした。

 その音を聞いたマインはくすりと笑みを浮かべて家のドアをゆっくりと閉ざした――。


○○○


「フーロイド様、避難の準備、完了です!」


 ルクシアは馬車の先頭で鞭を手にする。

 フーロイドは男二人を縄で縛ったまま後部に投げ込んだ後にルクシアの隣に位置する。

 さほど狭くない馬車の荷台に乗せられたのは龍の攻撃により負傷した、アーリの森狩猟部隊の二人、アガル率いたファンジオ一家襲撃部隊二人、そしてアラン、エイレン、マインの計七人。

 アガルと男の縄を放さないフーロイドは「準備完了じゃ」と声を上げる。


「え、エイレンちゃん!? 何故君がこんなところに……!」


 そう驚きを隠せずにいる村の猟師たちを「黙っておれ」と一括したフーロイドはぐいと縄を引っ張った。

 御者としての役割を担う傍らで、後部に最後に乗り込んだマインを確認して小さく「すいません……マインさん」と呟いた直後に、右手で座席に結界を張った。


「ルクシアさん、まだです! ファンジオがまだあそこにいます!」


 マインの呼びかけに、あえてルクシアは何も反応しなかった。

 否――反応しようものも、出来なかった。


 防御結界。無属性で使える魔法術だ。

 この世に数ある魔法術の一つで、これを使用すれば外界との接触を一切絶つことが出来る。

 すなわち雨、風を外界から遮断し、こちらからの声を外部に漏れるのを防ぐ役割を担っている。

 だが、術者であるルクシアと縄を介して結界内部と干渉しているフーロイドにだけは声が聞こえる仕組みとなっている。


「絶対に耳を傾けるでないぞ、ルクシア。奴の覚悟を無駄にするな」


「分かってます……」

 

「いざとなれば、奴等が迫り来たときは村の猟師を投げ捨てて餌にすればよい。お主は止まらず、前を見続けよ。安全圏までの避難を完全な使命と心得るがよい」


「――はっ!」


 フーロイドの命を受けたルクシアは馬に鞭を打った。

 馬も、この激しい雨と風に少々委縮しているようだが迫りくる危険を動物の本能で感じ取ったのか、二頭の馬は霧隠龍ファントム・ドラゴンを避けるような軌道で足を動かし始めた。


「る、ルクシアさん! 馬車を止めてください……!」


 結界をドン、ドンと弱々しく叩くのは一人の女性だった。


「ファンジオがまだ……あそこにいるんですよ……!」


 ふと、ルクシアが持つ鞭の動きがピタリと止まる。それを敏感に察知したフーロイドは雨に身体が濡れることを一切いとわずに、咎めるように「ルクシア」と女性の名を呼んだ。


「何で、何で止まらないんですか!? まだ、あそこにいるじゃないですか! フーロイドさん! ルクシアさん!」


 いつも穏やかで、激昂しないマインが見せた初めての声にルクシアは唇をぎゅっと噛み締めた。

 雨に濡れ、色を薄くしながらも彼女の手にかかるその赤の鮮血。

 マインの眼前に見えていたのは、ファンジオよりもはるかに大きな霧隠龍ファントム・ドラゴンの姿だった。

 エラムが囲われる瞬間に、縄に縛られながらもアガルは抵抗し、「エイレンちゃん、見るな!」とその両手でエイレンの目を塞いでいる。


「ここから出して……! 彼を迎えに行かなきゃ……! お願いです……! お願いです……!」


 弱々しい声だった。

 フーロイドは、涙を目いっぱいに溜めるルクシアを一瞥してから問うた。


「縄を持った状態じゃ。中との連絡は取れるな?」


「……あいっ……はいっ……うう……!」


 馬に鞭を打ちながら、エルフ族の女性は涙を流していた。

 エルフの涙は巨万の富よりも美しい――。

 そんな言葉があったことをフーロイドは頭の片隅に思い出しながら縄を伝って内部に自身の声が伝わることを確認したフーロイドは「奴が言い出したことじゃ」と呟いた。


「奴に報いるには、ワシらは逃げねばならぬ。ワシは……お主等を完全に逃がさねばならぬ。そうでないと、ファンジオに殺されてしまう」


 馬車の後内部では、嗚咽にも似た声が響き渡っていた。


「ぐぅ……っ! うう……ずいまぜん……! すいまぜん……!」


 唇を激しく噛んだ隣のエルフ族はもはや目に浮かぶ涙を我慢しようともせずに流している。


「ファンジオ……死ぬでないぞ……!」


 フーロイドはふと、ファンジオを囲う白い霧を一瞥した。

 霧隠龍が起こす独特の現象をその目で見るのは、フーロイドも初めてだった。

 

 ――と、その時だった。


「……何?」


 後ろで微かに感じたのは、魔法力だった。

 それは何よりも美しくて、何よりも甘美で、何よりも未熟な一つの魔法力の波動だった。


「アラン……!?」


 フーロイドは縄を持ちつつも後ろを直視した。

 すると、そこにはアランを中心とした目に見えない魔法力の風が着実に、少しずつ形成されつつあった。


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