プロローグ:始まりの夜
――その日は、雷雨だった。
風が木々をざわつかせ、激しい雨が大地を穿った。まるで、天が激しい咆哮を上げているかのように空気は震え、あまねく命に不安の種を植え付けてゆくようだった。
「――頼む」
男はずっと目を瞑っていた。雷の轟音が鳴り響くたびに、「大丈夫だ」と呟いていた。その男は、自分自身で言葉を反芻するかのように、何度も何度も神に祈っていた。
その直後、窓の外で金色の光が一度点滅。天を割るかのような轟音が鳴り響いたのはそのたった数秒後だった。
「無事に産まれてきてくれ……無事に……帰ってきてくれ……!」
男の名はファンジオ。そして彼らを隔てるその部屋の奥には、さらに一人の女性がいる。
陣痛が始まってから早十八時間。その長い間、ファンジオは一切ものを口に出来ずにいた。
ファンジオの妻が新しい生命を息吹かせるべく、命を懸けている。
部屋の奥から聞こえてくる助産師の励ましの声と妻の悲鳴に、ファンジオは心を潰されるかのような思いだ。
助産師の叫び、妻の叫びが場を飲み込んだ、その瞬間だった
地を劈くような重低音と視界を覆い尽す光が交錯する。
――嘘……だろう……?
ファンジオは握っていた拳を無意識に開放していた。
「え……え……?」
口をパクパクさせながら壁をトン、トンと叩いたファンジオは知らず知らずのうちに応接間の椅子から立ち上がっていた。
眼前が真っ白な空間に包まれる。
待合室を隔てた向こう側には、分娩室があった――はずだった。
少しも体重を乗せてなかったはずだったのに、扉はキイ、と音を立てて向こう側に倒れる。
先ほどまであったはずの天井は消し飛んでいた。
涙をかき消すかのように雨が二人に降り注いだ。
「……落……雷……?」
それはあまりに一瞬。そしてあまりにも偶然的で。
彼らのほんの数歩向こう側にあったはずの分娩室に降り注いだ悪魔の一撃。
そしてそれは――。
「……ぎゃあ……ぎゃあ! おぎゃああ……! あんぎゃああああ……!」
――あまりにも奇跡的だった。
本来あるはずの分娩室にも同じように雨が降り注いでいた。
木造の建屋からはぷすぷすと焦げ臭いにおいが立ち込める中、奥にいた二人が一番信じられない、とでもいうようにファンジオを一瞥した。
「……げ、元気な……男の子ですよ、旦那さん」
助産師さんの手には、小さな生命が確かにそこにはあった。
轟いていた雷が鳴りを潜め、地を穿っていた雨が止み始める。
重なっていた雲の隙間から覗く太陽は、あまりにも神々しく思えた。
「ファンジオ……無事だった……でしょ? ね?」
分娩室の台で寝そべる妻のと勢いよく手を握りに行った。
「……私たち、助かったんですって。この子のおかげで……」
助産師の女性の言葉に、ファンジオは首を傾げた。
「落雷で生き残ったなんて……本当に、信じられませんよ」
そんな女性が見据える先は、ファンジオの息子だった。
「なぁ」
ファンジオは自然と涙を流していた。
「お前が、皆を救ったのか……?」
その問いに、息子は答えなかった。ただその代りに。
「おぎゃああああ! おぎゃああああああ!!!!」
――思いっきり、泣きじゃくっていた。
面白い、続きが気になると思っていただけたら是非とも新しくなった★評価(この話の下部から出来ます)、感想など宜しくお願いします!