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しにがみのエレジー ――Ghost and Death and Love to Death――  作者: 常闇末
Re:しにがみのエレジー ――幽霊と死神と死ぬほどの恋――
16/18

6/26(SUN) 理解、再生

確かにそこに在る。 異常なほどの存在感を誇る鎌。


ひどく黒ずんでいる畳の上をギシギシと音を立てながら進む。闇のなかでなお少ない光を反射させている 鎌へ向かって。


自分は今何をしているのか、と思う。


本当は鎌なんてどうでもいい。厄介な事には関わらず、このまま踵を返して戻りたい。けど内から沸き上がる 何かがそれを阻んだ。まるでこの行為は運命であるかのように。


近づいてから気づく。何かが鎌に書かれていることに。


油性ペンで書かれた落書きがいくつかあった。 暗闇で黒い文字はほとんど読めない。かろうじて読めたのは平仮名部分だけで、漢字らしき記号は全く読 めなかった。


けど、彫られている文字は別だった。


それは、読み方は分からなかったけど、こう書いてあった。


“仁尸神玲”


その近くに小さく刻まれている文字に気づく。


それを読むために鎌に触れて、抱き、持ち上げる。


そして、読む。


“さよなら”


“神”“幽霊”“死神”“玲”“泉”“生山”“包丁”“血溜まり”“怪物”“死ね”“永遠”“さよなら”“さよなら”“さよなら”


「……ぅぐっ!?……がぁっ!!」


記憶の奔流。鎌から流れ込んでくる。 希望。絶望。感情。欠損。流れ込んでくる。 焦燥。恋慕。殺意。流れ込んでくる。 快感。独占欲。狂気。流れ込んでくる。 流れ込んでくる。 流れ込んでくる。


俺は情報の海に溺れるような感覚に陥った。あり得ないほどに流れ込む情報量に適応しきれない。脳が悲鳴をあげている。


けど、それらは次第に俺の中に入ってきた。少しずつ、ほんの少しずつ脳が処理を追い付かせた。


それらが感情や記憶や思考が俺に入ってきたとき、心が黒くなるのを感じた。


他人の欲望。他人の妄想。 他人とは思えない葛藤。


それらがフォアグラになるアヒルのように残酷なほどに俺の中に注ぎ込まれた。


全てが終わった後、残ったのは理解と悲壮であった。


「あ……アあ……ア」


処理しきれなかった感情が涙として溢れでてくる。決して綺麗ではない涙として。


全てはもう始まっていた。


“いつ”始まったのかは分からない。理解する術はない。けど、もういくつかは終わっているのだ。


何人もの人が死んで、それがなかったことにされている。


「そういう……ことかよ……」


理解したんだ。俺“たち”という存在を。


俺は、俺たちはただ一つの結末がいくつもの世界の中で少しでも存在していればいい。それを望んでいる のだと。


なるほど。俺らしい考え方だ。


そしてその前段階として俺を、救う。


実に分かりやすい。


「ああ、分かった。きっと俺は、うまくやって見せる」


そう呟くと、俺は鎌を地面に置いた。


「生山。俺、帰るわ」


俺は建物を出ると唐突に生山にそう告げた。それが俺の思いついた最初の抵抗だった。


このまま定時に解散するとその先で俺は通り魔に刺されて死んでしまう。


それが他の俺が実践した事の顛末だった。案外呆気なく、それでいて確実な脅威。 しかしその前に帰ってしまったら?時間も、さらに場所も変えてしまったら果たして同じことは起こりうるのだろうか。


こんなことを今までの俺“たち”は試していなかったのだから意外なものだ。


生山は初め混乱していた。


どうしたの?とか用事でもあるの?とか。果てには私もついていこうか?とか言い出した。


そんなわけにはいかなかった。


俺の死の運命は容易く生山を殺すのだろう。


だったらそんなわけにいかない。彼女を巻き込むわけにはいかない。 大丈夫だ。 これまでの何回かの失敗で彼女が死んだことはない。死の運命があるのは俺だけだ。


そう確信して、俺は半ば強引に生山と別れた。


今度、埋め合わせをしてやらなきゃな。もし、この後生きていればの話だが。






俺には失敗が許されている。


死の結末が許されている。


できれば死の結末は俺個人として避けたいものだが、さほどの抵抗感を感じないのは俺が平行世界で死 んだ“俺”のいくつかの死の記憶を有しているからだろう。


夜の通路。


蒸し暑いだけが理由じゃない汗を流して身構えている。


そうしてはまた、全力で帰路を走る。体力が底をつかないくらいの間隔で休みをいれながら。


まずは家に帰ろう。


そう思っていたのだ。


家へ帰れば一先ずそれはちょっとした安全圏と言えるだろうし、通り魔を打破する手段だって考えられる。 その過程で襲われることを警戒して抵抗する体力を温存しながら帰りを急いでいた。


それが俺に出来る限りの用心だった。


ザワザワッ……


途中に何かがざわめく音が聞こえる。風か、草木か、俺自身の本能か、それとも……。


疑う余地はなかった。 何事も最悪の事態を想定して行動すべき状態だと把握していたからだ。


我ながら反応速度は褒めてやりたかった。


だが、俺が未来から過去の自分に何かを言えるとしたらこうだ。


反応できたから、何?


顔も見知らぬ人物の凶刃は容易く俺の腹に届いた。


嘘みたいに鉄の塊が身体に侵入してくる。実は俺は幽霊で、だからこんなにするりと包丁が入るんだ。そう 思いたかった。


瞬間、真っ暗な街並みが閃光に覆われたように錯覚する。 動悸が激しくなる。 全身の感覚が鋭敏になる。 痛みが身体を支配する。


「う……ぐああアあアアあああアあアアアアっッッっっッ!!?」


狂気にも似た叫び声が腹の底から出てくる。


かつて、俺には及びもつかない平行世界では見知らぬ俺はこれを感慨もなく受け止めたのを嘘だと思う。 結局のところ俺は俺であって“俺”ではなかった。


死にたく、ない。


包丁がようやく俺への侵入をやめて血を撒き散らしながら乱暴に引き抜かれる。俺を埋めていた何かが欠損した感じがした。


ガッ


タックルをかました人影に気づくのは閑散とした集中力故にいつもより数秒遅れた。 さらにそれを現実だと認識するのにどれだけの時間を要しただろうか。


「大丈夫ッッ!?泉っ!」


生山だった。


動けなかった。腹の傷も原因の一つだ。 喋れもしなかった。俺の傷を見て固まった生山を護る術はなかった。


サクッ


そんな音がしたように思える。


恨みに任せて通り魔が生山の肩を思いっきり刺した音だ。


「あぐゥっ!?」


生山の顔が苦痛にまみれる。 通り魔はそれを容赦なく引き抜くと、その反応に何かを見いだしたのか、生山の膨らみのある胸の場所に ゆっくりと包丁を忍ばせた。わざと心臓を外して。


「ィぐあッ!?……ッア!?……カッ……!?」


次第に痛みが際限を越えて喉から乾いた音を出す生山。妙にいろめかしいその反応はかえって通り魔の快感を満たすようであって明らかに背徳的なものだった。


そろそろ、行かないとな。


俺は冷静だった。


鎌の記憶を受け継いでからこの世界がひどく薄っぺらいものに見えたからかもしれない。 痛みにも慣れたのかもしれない。


残念だがこの世界は捨てよう。 失敗だ。 他の誰かに任せよう。


俺が立ち上がると通り魔も現実に戻ったのか、怯えた態度で情けない背中をさらしながら去っていった。案外小心者であるのは平行世界の記憶通りだ。


ぬるりとした血の感触を左手で抑えながら、屈伏するように倒れている生山を一瞥して、口の動きだけで悪かったな、と伝える。


そうして俺は全てを人任せならぬ“自分”任せにするために永劫の闇の中を歩き始めた。 真っ赤な血が目に痛い。


「――いずみ、……ずっと一緒だよ……」


去り際に生山の声でそう聞こえてきた。


血を垂らしながらものの数分でもとの幽霊アパートへたどり着くことができた。人間、死ぬ気になれば何で もできるとはよく言ったものだ。


階段は存外、きついものだった。 足は覚束なかったが、どうにかそれを登ることができた。 いくらか付着した血が更にアパートを不気味に演出することだろう。


鎌は変わらずそこにあった。


これは全ての世界を繋ぐ鍵だ。


鎌の記憶があるから俺は全てを知ることができたし、鎌の記憶があるから俺は次の“俺”に全てを引き継げる。


「……俺の記憶を……、頼む……」


そう言って鎌を俺自身の首に当てる。


おかしな行為であってもこうして俺は記憶を鎌に預けられる。


鎌が伝えてくれる。


次の“俺”に。


「頼んだぞ……。俺の取り戻せなかったものを“俺”が取り戻すんだ」


そう呟いて鎌で首をかっ切る直前、ようやく暗闇に目が慣れたのか。鎌に油性ペンで書いてある文字が読めた。


それらはこう書いてあった。


“死にたくない”“生きたい”“こんなの嫌だ”“助けたい”“ふざけるな”“救うんだ”“やめたい”“どうして俺が”“泣き言を言う俺なんていらない”“消えろ”


数多くの“俺”の葛藤だった。


醜くもあり、だけどとても共感ができた。いろんな“俺”がいたんだ。


そしてみんな死んだ。


だから、


“おつかれ”


俺はそう書き込んだ。血文字で。 彼らが少しでも救われるように。たくさん頑張った俺“たち”へ。俺自身へ。


そして、一思いに俺は鎌を振り降ろした。





Restart

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