6/26(SUN) 分岐、始まり
暗い夜道を二人で歩く。懐中電灯の光が得体の知れない夜の森を照らし出す。
「ねえ、泉ってさ……」
横ではまだ少し震えている生山が気丈に振る舞っていた。
「変、だよね。ぶっちゃけ言って」
「お前が言うか」
夜風が吹きすさんで熱帯夜のような暑さに納涼感を運んでくる。 俺も生山も気楽にはなしながら歩けるくらいの気力は取り戻していた。
「ほら、昔。友達が欲しいって言うからさ。その態度を改めよ!って言ったら三日間だけ教室でお弁当食べた んだよね」
「お前こそ友達の言ってることが分からな〜い!なんて泣きついてきて、俺が愛想笑いをやめろ!って言った ら、三日ももたずにその場で却下したろ」
「……?そんなことありましたっけ?」
「とぼけるな。むしろ俺のことも改竄した創作ストーリーなんじゃねえのか?」
「かもね。えへへ」
「かもな。あはは」
二人で笑い合う。 俺にはそれ自体が奇跡のようなことかもしれない、と思えた。
もしヒトに生まれていなければ。 もし出会えてなかったとしたら。 もし片方が死んでいるとしたら。
どれもあり得た可能性だ。
可能性だからと言って、バカにしてはいけないとも思う。
量子力学という学問では可能性は実在するものとして扱うらしい。 それらは解釈によってはどこかの世界であったことだと考えられるのだ。
パラレルワールド。
“もしも”の世界。
ある世界では俺はヒトではなく、 ある世界では俺は生山と出会えてなくて、 ある世界では俺は死んでいる。
あったのかもしれない。 そんなことが、本当に。
――それらは本当に俺とは無関係なのだろうか。
もしどこかの世界で生山が死んでしまっているとする。だったら俺は助ける必要があるのだろうか。
今、目の前の生山は生きている。けどどこかの世界の俺は絶望の淵で苦しんでいる。この二つの世界には 干渉性はないが、もし何かを犠牲に助けられるとしたら。
俺個人としては何のメリットもない。向こうの生山が死のうとも何も変わらない。けどそれを知った俺は多少 の傷を心に負うだろう。なら、助けるか?多少の犠牲を払ってまで?
じゃあ、この世界の俺が知らない。別の世界の俺の大切な人なら?
「……み!泉!聞いてる!?」
ふと我に戻る。生山が一生懸命に俺に呼び掛けていた。
俺は一体、どうしたのだろう。 本当に頭でも打ったのだろうか。さっきまでの俺の思考は、本当にこの世界の俺の思考なのか?
「あ、ああ。大丈夫だ。ちょっと違う世界の俺に想いを馳せていただけだ」
「それ、全然大丈夫じゃないよ!?」
易い方法だ。笑って誤魔化す。
この事象は何かの兆候なのだろうか。 少なくとも今は分からない。
一つのことが転がり込んできただけで分からないことだらけだ。
「ったく。やっぱ泉は変だよ。変人だ」
「そう……か?」
「当たり前でしょ!高一になってまで異世界なんて言ってるんだから!」
ちょっと笑いが溢れる。
おもしろかったから? 幸せだったから? それとも、
不幸の気配を感じたから?
「――ふふっ……。……確かに異世界は痛いかもな」
「あ!認めた!やっぱり泉の方が私より変人だ!」
「それとこれとは話が違う。変人はお前だ」
「いーや!泉の方が変だね」
夜の森の中。
肝試しはすっかり散歩になってしまって生山はとても楽しそうだ。
けど俺は怖かった。
この世界の俺はいつまでこうして笑っていられるだろうか。
それに、まだ肝試しは終わっていないのだ。
俺の肝っ玉はこれから起こることに耐えられるだろうか。
何もかも、わからないことだらけだった。
案外、肝試しというものは大して恐ろしいものではなく、それに比べれば生山の暴力の方が恐ろしく思える。 しかし、歩き始めて数分、俺へ流れるものは拳よりも夜風の方が多いらしく、当初の手段からは逸れたもの の、俺は肌寒さを感じていた。ようやく地球が時分をわきまえてくれたのだろうか。
それにしても間が悪い。
生山はそれを見越してか、白のパーカーを重ね着していて見るだけで俺の目には毒であった。
すると自然に俺の目線は木々に向かい、それらを百本目まで数えた頃に、それは目の前に現れた。
「…………幽霊アパート……?」
生山がそう呟く。あながちその呟きは見当はずれではない。
屋敷の周りには苔と蔦のドレスがこさえてあって、コンクリートはところどころその骨身が見えている。見た 目は普通のアパートそのものだったが、そのような点で、そのアパートは異常だった。
クラスメイトらが見れば分かる、と言っていただけはある。 実に異様であり、それは視覚以外にも感覚的に悪寒を感じさせるものだ。
「幽霊、アパート」
声に出してみる。
これはなんと言い得て妙、というべきだろう。この感じを表すにはこの言葉がぴったりだろうと思わせるくら いに。
気づけば、生山も俺も少しずつ後退りしていた。
生山の方は分からない。単に怖かっただけかもしれない。
でも、俺は自分の記憶のどこかでここへ行くのを拒んでいるような……。
「――――写真、撮らなきゃ」
どれくらい経っただろう。あるいはものの数秒かもしれない。 生山がそう呟いて、俺の金縛りのような状態が解かれた。
そうだ。そこへ行ったことの証明に写真を撮らなきゃなんだ。
ああ、そうだ。 逆に言えばいちいち中へ入る必要はない。 この、ひどく離れた場所からでもカメラにおさめればいいのだ。
――――そうだよ、な。
――――それで、いいのか。
それで良くない理由なんて一つも思い当たらない。それでいい理由なんていくつでも思い当たる。
けど、俺はあの部屋に入らなければいけないんじゃないか?
「……悪い。ちょっと中、見てくる」
「や、ちょっと……!」
生山の制止を振り払って幽霊アパートへ足を進める。
絶対に幽霊なんていないであろう、幽霊アパートに。
自然に足が向かう。そんな自分が一番怖い。 錆びた階段を昇る。201号室。鍵。かかっていない。ドアノブを、捻る。
開ける。
普通、だった。 何もなかった。
誰も住んでいる気配がなく、誰も住んでいた気配もない。 きっとここには最初から誰もいなかったのだ。
最初から。
ふと眩み、滲んだ目の端に光るものを捉える。
大仰な成りをしていて、普段みることはないだろうもの。 それなのに、――既視感。
そこにあったのは一本の鎌だった。