6/29(WED) 恋焦がれ、殺す
「おい、ホントに大丈夫なのか?」
「問題ない」
あんな事件があったにも関わらず、俺たちはいつもの通学路を歩いていた。
あの後、鎌はスーッと玲の首筋へ入っていき、文字通り通り過ぎていった。 玲本人には全く怪我がなかったのだ。 しかしそれは玲に何の変化ももたらさなかったわけではない。 その証拠に玲はいつもの無表情に戻っていた。
「なあ、あれは何だったんだ?」
「なんでもない。長い間、生きた弊害。私のバグ」
バグってんのは普段のお前の方だぜ、と口には出さずに心の中で呟く。
むしろ玲の言うバグの方が最も人間らしかったのだ。
あれはお前の目指すべき姿じゃないのか?
もちろん口には出さない。 玲が無表情でいるのも、感情をバグというのも何かゆえあってのことだろう。そこに俺が口を出す余地はな い。 俺はなにより目の前の問題に立ち向かうべきなのだ。
生山への告白。
できるかどうかはわからない。
けどやってみるしかないのだ。
「――――生山唯」
玲が生山に声をかけたのは登校してすぐ、HR前だった。
生山はその暗鬱な表情に戸惑いを浮かべていた。それもそのはず。 学園内で最も静かな生徒。 事務連絡すら無視するその性格はあらゆるナンパ師をダウンさせたことで有名だ。
……そう考えると俺は玲と生前によく話していたかもしれない。
クラス内は騒然。「俺、仁尸神の声初めて聞いたぞ」「私、あの娘が月一で泉君に話しかけてたところ以外 見たことなかったわ」「雨だ!大雨が来るぞ!」
騒ぎ過ぎだろ、お前ら。
それにしても月一というのはそんなに大層な頻度だったのか。はっきり言って片手で数えられる程度でしか 話していなかったと思うんだが。
「今日、家へ来てほしい」
地響きすら起こりそうな程にクラス中がどよめく。
おい、おまえら。俺の死を瞬間的に忘れるくらい衝撃的か。
生山もたいそう驚いていたようだが、その後にこっそり付け加えられた一言で態度が一変した。
「――佐々木泉についてのこと」
生山の顔に浮かんでいた表情が戸惑いから驚きに変わる。そして疑懼しているようだ。
「来ればわかる」
「……わかったわ。放課後よね」
どうにかして生山の承諾を得たようだ。 おもいっきり不審がられているが。
人混みがバラけた辺りで玲に話しかける。
「なあ、すっげえ怪しまれてるんだが。きちんと説明するんだぞ」
「分かっている。あなたは先に家に帰っているといい。行き道に説明しておく」
だといいんだがな。
そう言ってから教室を出る。今日は一日を屋上で過ごそう。 ああは言っているが内心とても焦っているんだ。
俺は果たして放課後までに生山のことを忘れてしまわないのか、と。
「つまり、あなたは目の前で幽霊の泉がラブレターを書いてくれるって言いたいのね」
「うん」
「そしてあなたは死神だ、って言うの?」
「うん」
あたしは今、とても困惑している。
クラスの無口な女の子が狂言を宣っているからだ。
幽霊や死神なんていない。
それがこの世界の一般常識で、幽霊とはすなわちこうあってほしいという人の願望に他ならないだろう、死 神とは人が死を具現化して恐れを減らしたいのだろう、というのが私個人の見解だ。 第一幽霊がものに触れるのか、と聞けば私の部屋の中なら触れるとの一点張り。 死神だから、らしい。
騙すにしてももっと上手い嘘を用意すべきである。
なら、なぜ私がこの娘についていっているのか、というと私もそんな願望を抱いているからだろう。
そんなことがあり得るといい。 そう思っているのだ。
「……分かったわ。もし目の前で鉛筆が独りでに泉の筆跡であなたが死神って書いてくれたら、信じるわ」
これはほとんどおふざけで言っているわけではない。 本当にそう信じたいのだ。
常識観なんて捨てて、もしそこまでのことが起きたなら確証に近いだろう。 筆跡くらいならすぐに分かる。 長年一緒に過ごした好きな人の筆跡なんて覚えているに決まっている。 少なくともわたしはそうだ。
「そして、もしそれを信じるなら――」
「分かってるわよ。あなたに言われなくても」
それは幼少期に軽く交わした言葉。
今まではそうしたって良いと思っていたのに、いざとなるとこの行動は何も生み出さないかもしれないと思 って躊躇っていたこと。
けどもし彼女が死神なら、泉がそう言ってくれるなら間違いないだろう。
やってみる価値はあるかもしれない。
彼女たちが家についたのは六時過ぎの頃だった。
ひどく寂しげな部屋に六時の鐘がなってしばらくすると扉が古さ故の悲鳴を上げて開いた。
そこには案の定、死神と思い人が立っていた。
玲はすぐに文字を書くように俺に促した。 生山はそこに立ちっぱなしだった。
机には既に鉛筆と紙が用意してあって、その一つ一つが俺という存在の代弁者だった。
第一声は決まっていた。
俺は震える手を抑えながら鉛筆を手にとり、白い紙に俺の存在を刻み付けた。
“好きだ。生山”
一字一字丁寧に書いた。気持ちを込めて書いた。その瞬間だけは緊張よりも喜びが勝った。
「私もだよ、泉」
ようやく伝わった。
この一言を伝えるためにどれだけ頑張っただろうか。
苦しい思いをたくさんした。
けど死を乗り越えて伝えるには代償として安いものだと思った。
生山も俺も泣いていた。
俺の涙は決して紙を濡らさなかったが、確かにそこに感じた。
どれくらい時間が経っただろうか。
俺も生山も次第に体の震えが収まり、それを見守っている玲は珍しく口の端を上げている……ような気がし た。
生山はその様子を見て軽くうなずき、震える唇を確かに動かした。
「……ねえ、泉。仁尸神さんって――本当に死神なの?」
それは単なる好奇心による質問だと思った。 第二声にしてはしょうもない言葉だとは思ったが、そんなものだろうとも思った。
ここで否定していれば何かが変わっただろうか。
彼女が死神らしくエレジーを歌える。そんな未来が身近にあっただろうか。
少なくとも俺の未来には――、
“ああ、そうだよ”
――存在していなかった。
彼女が手に持っているものを俺は少し前に見たことがある。 ちょうど二日前、奇遇にもそいつの危険性を身をもって味わった。
それは先の尖った銀色の恐怖――包丁だった。
それが手の中に握られていた。 逆手だった。
刃はもちろん持ち主の方へ向かう。
「おい!なにを!」
あまりの驚愕に鉛筆を投げ出してしまう。 彼女は相変わらず満面の笑みに涙を流していて、それがどこか俺におぞましいものを感じさせた。
「それじゃあ、また後でね」
彼女は終わりへ向かう表情ではなかった。希望をつかみとる表情だ。
笑顔、だった。