未来相談室
生徒相談室。机と椅子、そして資料がまばらに置かれた簡素な部屋。
そこで笹塚未来は担任教師と向き合っていた。
事の発端は笹塚未来の迷いと不安。トリガーは時永悠真の命。
自己中で希望ある未来と言っているが本質的には自分のことしか考えていないアダムス。
ロボット三箇条に反すると知っていても命じられた禁忌を犯そうとする未来からやってきた楓。
その二人に挟まれ、そして時永悠真の抹殺を目前に控えた笹塚未来は初めて人に相談することを選んだ。
しかし大好きな両親や同じクラスの山中七海達に話す気にはなれなかった。だから担任教師を選んだ。
自分よりも経験豊富で縁も深くない、吐き捨てるような相談をするに相応しいからと笹塚未来はそう感じていた。
「笹塚が相談ね…先生は意外だわ。茶飲むか?」
「…お願いします」
軽く茶化してくる担任教師の言葉に固い声で返事する。
その気配を感じ取った担任教師は長くなりそうだと少し熱めの湯を沸かして茶葉を用意する。
生徒相談室は放課後好きなだけ話せるように用意されているので、担任教師はとことん付き合うつもりでいた。
一度メンチ切ったら逸らさない、過去の不良時代で培った経験を思い出しながら担任教師は茶碗を机の上に置いて椅子に座る。
まずは笹塚未来が話し出すのを待つ。相談者は笹塚未来だ、少女から話さなくてはいけない。
しかし言い出しにくいのか中々声が出てこない。それでも辛抱強く担任教師は言葉を待った。
すると細々とした声が聞こえてきた。
「わた…俺、医者になりたいんです」
本来の一人称を使いながら笹塚未来はそう言った。
急変した一人称に驚きつつ担任教師はつい最近授業でやった子供達の将来の夢について思い出す。
確か笹塚未来は平凡で少女らしいお嫁さんという内容を書いていた。
余りにも平凡すぎて少々引っかかる内容だったが、担任教師はそうかと納得していた。
しかし笹塚未来は男社会として有名な難関の道に進みたいと口にしたのだ。
かつて病弱で学校にすら行けなかった少女は、初めて他人に本当の夢を口にした瞬間だ。
「…誰か助けたいのか?」
「俺、ずっと苦しかった…病院での生活も自由にならない体も知り合いからの同情の視線も全部全部全部!!!!」
「…」
「俺はそうじゃなくなった。でも世界中そんな奴らばっかりだ…不公平だ。不平等だ。なにが平和と愛なんだよ…二十まで生きれない奴らばっかじゃないか」
「…そうだな。世界は優しくない」
「優しく元気になってね、頑張れ、きっと治るわよ…薬代も出さない奴らの言葉は大嫌いだ。治療もできない奴らばっか口だけ優しいんだ」
「…」
「だから俺は奇跡が起きて健康になったら医者になりたかった…そんな口先だけなんて嫌なんだ…嫌なのに………」
今の俺は口先だけだ…
そう呟いた笹塚未来の目から一滴だけ涙が零れる。
綺麗な顔に沿って流れる涙は綺麗な形はしていなかった。
流れるままに崩れて零れ、床に小さなシミを作る。
本当に一粒だけの涙は笹塚未来の吐き出したかった本音の一つのようだった。
「アニマルデータが広まれば…医者なんかいらないと思った。だからあんな馬鹿みたいな夢を書いた…」
「お嫁さんはそれはそれで堅実な夢だと思うがな」
「まぁね。でもさ……先生はアニマルデータをどう思う?」
担任教師は少し考える。アニマルデータ問題のせいで受け持っているクラスの生徒二人ほど登校できなくなった。
そう思っていたら世間やニュースは環境問題から人権、果てはエネルギー問題による近未来構想まで発展している。
今や止められない話だ。近い将来本当に人間は魂をデータとしてロボットに着せ替えする日が来るのではないかというほど、問題は差し迫っていた。
そこまで考えて担任教師はこう告げる。
「ロボットになるっつーことは人間という自分から逃げることだな」
「逃げる?」
「そうだ。そりゃあ頑丈な体や病気しない体が手に入るかもしれん…が、それでどうやって生きるのと戦うんだ」
「た、戦うぅ!?」
「そうだ!人生は戦いだ!!敵なんてそこらへんに転がっている。悪口だって敵だ」
担任教師はまだ人生五十年の半分を過ぎた程度だが、過去の自分を思い出していく。
生きるのは戦いだ。気に食わない相手や自然界に存在する菌や病気、あらゆる物から自分の体で戦うという理念だ。
そうやって生きてきた。喧嘩もしてきた、病気と闘ってインフルエンザを一日で治し、全治三か月の骨折を一週間で治した。
無茶苦茶なことをしてきたが、そんなことをしている時こそ担任教師は生きていると実感していた。
「この世で平等なのは死だけだ!生きることなんか不平等!ならば上等、戦って生きるのが人間ってもんだ」
「…はぁ」
「もちろん戦えない弱い奴だっているさ。それでも限界まで戦ってから決めればいい。ロボットになるか人間になるか」
「…」
「笹塚、大事なのは心だ。そこは間違えるなよ?」
自分の胸を親指で差しながら担任教師は言う。
それはデータになっても消えない、だが目に見えない存在のこと。
笹塚未来がロボットになったとしても消えてくれない重要な部品の一つだ。
「そんで医者にも色々あるけど外科内科どっち志望なんだ?」
「え、あ…内科の方かな…俺は病気を失くしたい」
「…アニマルデータ普及で医者が必要ないかもしれないのにか?」
真剣な目で担任教師は先程笹塚未来が言っていた内容を使う。
アニマルデータは人間を病のないロボットの体に入れることができる。
広まる兆しが見えるその要素は、これから未来に向かうであろう子供にとって当事者だ。
担任教師はそれがわかっているため、あえてきついとわかりつつも尋ねた。
すると笹塚未来は少し唇を震わせながらも、少しずつ答えた。
「た、ぶん…アニマルデータにならないまま苦しむ奴がいると…思うんだ」
笹塚未来が思い出すのは一人の少年。
NYRON大会で池に落ちそうになった笹塚未来を助けてくれた少年。
家族に捨てられ、友達を失い、帰る場所まで捨てて復讐しようと人間のまま生きてきた少年。
それは笹塚未来が望んだ世界の犠牲者。笹塚未来の希望が誰かの絶望となった結果。
決して自分の責任ではないし、少年には酷い目に合わされたこともあった。
それでも笹塚未来は見捨てることができなかった。
「俺は…俺はもう誰かのせいとか押し付けたくないんだ」
ずっと責任を誰かに押し付けてきた。病気のせい、同情のせい、アダムスのせい、少年のせい…数えればキリがない。
しかし少し冷静になって考えれば、悪いことなど何もなかった。ただ簡単な運の悪さとすれ違いに苛まれてきただけだ。
本当はもっと簡単に誰かが羨ましくて妬んでいただけの話なのだ。自分の不幸に酔っていただけ。
「俺は…さ、自分が正しいと思い込みたいだけに世界を巻き込んだ大馬鹿者なんだ」
世界中の人間のためにアニマルデータを広める。信じて疑わなかった。
しかし疑えばそれはなんて馬鹿な独りよがりかと笑いたくなるような内容だった。
ただ自分が逃げたことや化け物みたいな力を持ったことを認めたくなくて、世界中を巻き込もうとしただけなのだ。
変な現象や能力を持ったのは自分が正しいからだと、馬鹿みたいに泣き叫んでいたのだ。
アダムスのことも笑えない。自己中な奴なんて言えない。笹塚未来自身が自分本位の大馬鹿だったのだから。
それこそ大嫌いな同じクラスの竜宮健斗以上の大馬鹿である。
だからこの相談を境に笹塚未来は自分を変えると決めた。そして全てに決着をつけると決めた。
笹塚未来は少しずつだが、確実に変化しようと足掻いていた。




