間違いだらけの勉強会
青頭千里は子供達の世話や根回しで少し疲れていた。
しかし子供達に助力すれば見返りがあることを青頭千里は知っている。
それはすぐにはやってこない、子供達が大人と呼べるほど成長する年数は必要である。
だがそれぐらいの年数は青頭千里にとって暇を潰す必要もないほど短い。
十年すらまるで瞬きする時間より多いくらいの認識でしかない。
青い血の人外は凝った肩を揉みほぐしながら電話の受話器を片手に根回しを続けた。
その根回しの内容は子供達が時永悠真が目覚めるまでの間病院に寝泊まりする許可を親から貰うということである。
もちろん本当に目覚めさせるまで病院に滞在させるわけではない。
翌日までには説得するつもりで一日だけの許可を貰うのである。でないど親というモンスターは脅威だ。
青頭千里は親がいないが、人間の親の子供への感情の深さや愛と呼ばれる心の動きを知っている。
時にはそれが歴史を動かすことを知っている。だからこそ慎重に丁寧に交渉していく。
そんな青頭千里の苦労も知らずに子供達、竜宮健斗は時永悠真の病室の隣、大会議室の机の上で勉強道具を広げていた。
そしてその勉強道具の上に竜宮健斗は頭を預けて寝ていた。目は開いているのだが頭が上がらないのだ。
教師役として玄武明良が丸めた新聞紙を持ち、その隣で扇動美鈴が苦笑いをしている。
他にも葛西神楽や相川聡史など数人が同じ状態でギブアップしている。
セイロン達アンドールはそんな子供達が勉学で悪戦苦闘する様を眺めていた。
「っなんでお前達はこんな小学校問題で躓くんだぁああああああああああああああ!!!」
「たかが小学校問題!!されど小学校問題だよ!!明良!!」
「言い訳する前に分母の意味から出直して来いこの大馬鹿野郎!!!」
叫んだ玄武明良に対して言い訳した竜宮健斗の頭に丸められて竹刀の形に似た形状の新聞紙がぶつかる。
小気味いい音は威力が高いことを示しており、竜宮健斗は蹲って頭に手を当てる。
ちなみにノートには分母と分子の数字を間違えた計算式が書かれており、これには隣に座っていた崋山優香も苦笑いすらできない。
葛西神楽は漢字ドリルで完璧という璧という字を壁と書いてしまいバツをつけられている。地味な間違いである。
相川聡史は社会の歴史で金閣寺の変と書いてしまい、本能寺の書き取りをさせられている。
その他はまだ許容範囲内の間違いのため今のところ玄武明良の怒りは落ちてきていない。
しかし袋桐麻耶の字は汚すぎるので、間違えを指摘しにくいため習字を瀬戸海里監修の元行われていた。
「あ、明良くん。自分の勉強も見てほしいなー…なんて」
「お前は心配ないだろう」
顔を赤くして照れる猪山早紀に対して一刀両断する玄武明良。
許嫁にも容赦がない玄武明良は馬鹿一直線の相手をするのに精一杯であった。
落ち込む猪山早紀に対し扇動美鈴がさり気なくフォローし、絵心太夫が訳の分からない迷言を喋っている。
「全く騒がしい…」
「本当にね。で、なんで僕と君は隣同士なのかな?」
適当に席を選んだ結果、あまりそりが合わないのに仁寅律音と籠鳥那岐が隣同士になっていた。
籠鳥那岐の隣には錦山善彦が、仁寅律音の隣には葛西神楽がちゃっかりと座っている。
錦山善彦の横には伊藤三つ子が仲良く並んでいる。しかし真面目に勉強はしておらず、デバイスで東エリアの布動俊介とメールのやり取りをしていた。
病院に訪ねたのはエリアチームのメンバーだけであり、布動俊介などの所属しているが役職がないものは遠慮したためいないのだ。
しかし絵心太夫が試したいことがあるからと言って、布動俊介を放課後に呼んで欲しいと頼まれているのだ。
「ぐすっ…人を伝書鳩のように扱うなんて…酷い男」
「涙を輝かせる少女よ、それは違うぞ!!俺が頼んでも素直には来ないが君ならすぐに来るだろうと踏んで…」
「いいから勉強しろ、この病人がっ!!!!」
机から身を乗り出して説明しようとする絵心太夫の頭に玄武明良の丸まった新聞がヒットする。
身を乗り出していたせいでバランスを崩した絵心太夫は机ごと倒れることになり、同じ机で勉強していた数人が犠牲になる。
そして看護婦長からうるさいからもう少し静かに勉強しろと怒られる羽目になるのであった。
そんな賑やかな会議室の端で柊は置物のように座っていた。
一言も発さずにただ考える。これから起こるであろうことを。
未来は少しずつ別の世界へと変化していってる。楓の来襲から時永悠真の昏倒は予想外の出来事なのである。
些細な変化であるが、この細かい事変が積み重なることによって未来世界は形成されていく。
同じ過去に来ても違う行動を起こすことによって世界は幾重にも変わっていく。それがクローバーという天才が辿り着いた答え。
だからこそ柊にもこの先何が起きるかわからないのだ。時永悠真が死ぬかもしれないし、柊も壊れるかもしれない。
ただし予想はできる。楓は必ず時永悠真の安否を確認し、生きているとわかったら止めを刺しに来る。
それは迅速に行われるだろう。少しでも早くクローバーの安全を確保するため、そして邪魔されないためにも。
機械的で感情のない思考が効率的な結果をはじき出す。柊はそこまで考えて、僅かに視線を上げる。
そこには一人の少年がいる。まだ自分の可能性に気付いてない、幼い少年。
柊の役目はクローバーの命を実行すること。そのために生まれてきた、生産されたというよりはそちらが語彙的にあっていた。
だがそれ以上に柊自身はクローバーを大切にしている。創造主に近しい男を、その過去や未来を守りたいと考えている。
おそらく楓も同じなのだろうと考えるが、同じアンロボットと言っても別個体。確実とは言えない。
それでも柊にはそこに勝算があると感じた。危ない橋を渡り、自分自身の存在意義すら揺らすほど危険な賭けだが。
「…少しよろしいでしょうか」
柊は勉強している子供達に声をかけた。
これから話すことは命を巻き込む話だ。それでも言わなければいけない。
子供達が時永悠真を守りたいと願うなら、クローバーの意思を守るために必要なことである。
例え真実が子供達の望まない物だとしても、苦しくて救いようがなくても、未来を変えるために。
「アダムスとその所有者…笹塚未来の能力について…そして悠真さんの命を守るために必要なことを…話させてください」
いつだって真実は竜宮健斗を立ち止まらせる。
柊話したことを何度も反芻して、竜宮健斗は病院の休憩室でジュースを飲んでいた。
笹塚未来がアダムスとクロスシンクロをしたこと。
そして絵心太夫達と同じように特殊な能力を手に入れていること。
アダムスと一緒に電波ジャックして、アニマルデータを世界に広めたこと。
時永悠真を脅威と見なしてもしかしたら今にでも襲ってくる可能性があること。
竜宮健斗達を騙し続けたこと。
柊の簡潔で事務的な話は、事後報告のようで味気なかった。
その分感情が一切挟み込まないため、少しだけ冷静に聞くことができた。
だがそれでも竜宮健斗は衝撃を受けた。何かを隠しているとは思っていたが、そこまで根が深く絡んでいるとは思わなかったのだ。
時永悠真と笹塚未来、二人は敵対関係にある。しかし竜宮健斗は両方と友達である。
片方はアニマルデータを通じて一緒に遊んできた仲間、もう一人は同じクラスに転校してきたクラスメイト。
優劣をつけることはできない。竜宮健斗はそんな器用なことができるほど頭が良くなかった。
「…困ったなぁ」
竜宮健斗は独り言のように呟く。頭の上にセイロンがいるが、相談するような声ではない。
片方は殺したいほど相手を憎んでいる。片方は死にたくないと抗うのは目に見えている。
かつてした道徳の授業を思い出す。友人AとCに挟まれたBの対応である。
百%の未来を予言する機械によって、片方が片方に殺される。その両方と友達であるBはどうするか。
竜宮健斗はその時深く考えずに笹塚未来の意見を跳ね除けた。しかし今はそんな簡単に答えは出てこない。
本当に命がかかっている。何度も味わう羽目になった誰かの命の危機である。
子供でありながら何度も、何度も考えてきたが明確な答えが出てこない問題だ。
「ケン」
「…優香か」
声をかけられて面倒そうに竜宮健斗は崋山優香の名前を返す。
今はあまり話したい気持ちではなかった。特に崋山優香のような同じ境遇の者とは。
それでも崋山優香は竜宮健斗が座っているソファの横に座り、真っ直ぐな視線を竜宮健斗に向ける。
「どうする?」
「…俺は両方助けたい。欲張っていいなら…悠真の友達二人の未来も守りたい」
竜宮健斗は本音を話す。嘘偽りのない子供らしい我儘全開の心の声。
守れるなら全部守りたい。救えるなら全部救いたい。かつての地底遊園地で目指した同じことを。
失うのは嫌だった。失うのは必ず心に傷を残す。むしろ心が剥がれるような錯覚を味わうのだった。
時永悠真も笹塚未来も、会ったことのない豊穣雷冠や求道哲也も。全部を助けたいと願っている。
しかしそれは簡単なことではない。地底遊園地の時とは違う、救えば終わりじゃない。何百年も維持しなければいけない気の遠くなる話だ。
それくらい時永悠真が抱えていた問題は大きかった。未来が現実に関与した難しい話だった。
さらには消失文明の王子すらも加わっている。アニマルデータによる世論だって落ち着いていない。
竜宮健斗は手詰まりなのではなく、どこから手を付けたらいいかわからない状態だった。
崋山優香はそうだろうと思って声をかけたのだ。きっとらしくないことで馬鹿な幼馴染は悩んでいるだろうと。
「じゃあ全部守ろうよ」
「…え?」
「まずは悠真くんが無事に目覚めるように頑張ろう!そして未来ちゃんと色々話そうよ!」
「…」
「アダムスのこともなんとかしよう!哲也くんと雷冠くんのことは…もっと後で考えよう!」
「それで解決するかな?」
「解決してきたのがケンと私達でしょ?ね、セイロン」
<…そうだな。健斗、一人じゃないんだ…無理かもしれないと諦めるより、頑張ろうと声を出せばいい>
崋山優香の言葉とセイロンの言葉、その二つに押されて竜宮健斗は心に押し寄せてくる波のようなものを感じる。
いつだって無茶なことをしてきた。成功ばかりじゃなかったけど、無駄なことなんて一つもなかった。
泣いて悔しかったこともあれば、辛くて苦しいこともたくさんあった。その度に誰かが背中を押したり手を引っ張ってくれた。
変なことが起きれば誰かが助けてくれた。その誰かがは次々と増えていった。子供だけじゃなく大人も増えていった。
一人じゃない、それがどれだけ大きいことか竜宮健斗は知っていた。
「うん…そうだな!!おっし、悠真も未来もアダムスもその他全部!!全部守ろう!!!」
「やっぱりケンはその調子じゃなきゃ、ね」
<そうだな。さすが優香だ>
解決の糸口は見つかってない。そんなのは竜宮健斗にとっていつものことだった。
だからまずは動いたり声を出して自分を奮い立たせる。考えるのは馬鹿な頭では時間の無駄だった。
考えることは竜宮健斗の仲間で担当分野の誰かがやってくれる。だから竜宮健斗は考えてくれるように自分が動くのだ。
少しでも事態が動いて答えに辿り着きやすくなるように。最後には皆で笑いあえるように。
しかし子供達の意思とは違う所で動く存在もいる。
その存在は全てが救えるとは思えず、必要最低限だけ救う方法を算出している。
青頭千里に与えられた研究室でマスターは犠牲が必要だが解決するための機械を作っていた。
マスターは何度も感情や心の動きを含めた計算をしていく。計算してはその結果に溜息を零す。
「…最低犠牲者は二十…だな」
実際はそれよりも数が増えるだろうとマスターはさらに計算を高度にしていく。
天才すら軽く凌駕する存在である女科学者は限界に挑んていく。少しでも結果が変わるように。




