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ネクタル 〜神からつがれし者〜  作者: 周防 夕
第三歌 学びえるもの
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3.1

 亡霊を引きつれて、鎧を脱いだネクタルは広場を通る。亡霊の老人が指差したものを買いそろえていく。途中、あからさまに顔をしかめた。表情を隠すのは苦手らしい。

 旧訓練所に戻ると、ネクタルは両腕に抱えた食材をおろした。パンと野菜を無視して、真っ先に肉へ手をのばす。火であぶって、大きな口で食べ始める。それを見てアンティクロスはあきれ顔だ。

『肉は大事だが、偏食はいかんぞ。他のものもしっかりとるのじゃ』

「はあ」

 ため息をつき、おそるおそるネクタルは野菜を手にとる。一口食べて、菜の色が移ったように顔が青くなる。

『お主は野菜が嫌いのようじゃの』

「……ええ、小さい頃から」

『えり好みしおって。しっかりかんで味わえ。野菜は野菜のうまみがあると気づくぞ。死んでからではもう楽しめんぞ』

「切実すぎるお言葉です。しっかり食べます」

 なんとかパンと野菜を食べ終え、ネクタルは器を片付けた。準備運動をし、腹ごなしに槍の素振りを始めた。

『ネクタル、お主は死にたいか?』

 急な一言に、驚き、振り返る。風を切る槍。刃先がアンティクロスの鼻先をかする。老人はびっくりして尻餅をついた。うめき声をもらして、痛そうに腰をおさえる。

「し、失礼しました! あまりにも唐突におっしゃられたので」

 触れられぬことを忘れて、ネクタルは急いで手を伸ばす。鋭い煌めきが彼の動きを止めた。老人が懐から短刀を颯爽と抜き、彼の喉元へ迫らせていた。

『……それほどまで突拍子のないことではないじゃろう? 死の神タナトスは意外にも身近におわすものじゃ』

 そう告げて、アンティクロスは短刀をしまう。ネクタルは冷や汗をぬぐった。この一瞬、確かに死が迫る恐怖を感じていた。

『お主が第一にすべきことはなんじゃろう?』

「すべきことですか?」

『目下の障害は何じゃ?』

「……ペイライオス様との決闘です」

『そうじゃ。お主のしている訓練は確かに立派な男になるために役立つじゃろう。しかし、今すべきことは他にあるのではないか?』

「……というと?」

『リュラ、と言ったか。あの女子おなごに告げるお主の言葉は立派なものじゃった。しっかり伝わり、相手のことを考えておったのお……』

 にやにや笑われて照れたネクタルは、真面目な表情をつくろうとして、おかしな顔つきになった。それが自分でも分かって、不満そうに口を尖らせた。

「茶化さないでください」

『ふふ。すまんの、お前があまりにもうぶで楽しくなってしまう。……負けて死ねば今の努力も気泡とかす。立派な男になる前にまずはそやつに勝たねばならん。遠くの目標ばかり追いかけて、今をないがしろにしてはいかん。勝つためにするのは女を口説くのと同じ。要は相手のことを知り、そやつに適した戦術を考える必要がある。まずは決闘相手の実力をはかろう。偵察じゃ! それから対策を練るのじゃ!』

「ですが、それは、卑怯では?」

『戦に向けて準備をしないほうが神に失礼じゃよ。死んでから後悔しても遅いぞ』

「仰る通りです。どうやら、私はまた愚かな努力を重ねるところでした」

『男ならクヨクヨするでない。行くぞ。方法はわしに任せよ! トロイアとの戦で、わしは偵察にて何度もヘラスを救ったものよ』

 笑顔で杖を天へと掲げ、老人はのりのりのご様子だ。初めは微笑んでいたものの、すぐにネクタルの表情が曇る。

「先生、お待ちください。やはり、私は偵察はすべきでないかと……」

『ほう。何が不服なのじゃ?』

「ペイライオス様は、決闘相手ではありますが、悪党でも、敵ではありません。私が憧れ続けた国の英雄です。やはり、黙って卑怯な真似はしたくないのです」

『ではどうするつもりじゃ?』

「正直に頼みます。何か足らぬものが有れば館に来いとおっしゃていましたから」

 それを聞いて、老人の霊はしばらく顔をしかめていた。愚かなことを言ってしまったかとネクタルははらはらしている。老人は青年を見てにかっと笑った。

『……ふむ。お主がそう言うならそうしよう。教え子の尊敬する男も見てみたい』

 先生の真似をするように、弟子も笑う。

「はい! では行きましょう。先生!」

 訓練所に武具を置き、二人はイタケの市街地へと向かうことにした。

『しかし、そやつは約束もなしに会ってくれるものかのお?』

「おそらく、直ぐには無理でしょう。あの方は借金を背負った平民たちに仕事を与えたり、お忙しいようです」

『ふむ。ならば、どうするつもりじゃ』

「頼み込みます。約束をつけ、順番を待ちます」

『はあ。お主らしいの。……ふむ。承知した』

 はっきりと告げられアンティクロスは呆れてため息をつく。そうして何か考えがあるように、にやりと笑った。

 しばらく歩いていると海沿いの道に出た。昼前で日は昇り始めていたが風は冷たい。潮風に吹かれて二人そろって肩をすぼめる。

『おい、どうした?』

 海の奥にある突き出た岬をネクタルは立ち止まって見つめている。いつも町へ行くときに通る道なので、岬自体は見慣れたものだ。そこに、人がたたずんでいる以外は。

「こんな寒い中、岬の上に人がいます」

『老人のかすんだ目ではよく見えぬ。そいつは知り合いか?』

 相手の顔がなんとか分かる程度の距離だった。それでも、ネクタルは相手に惹き付けられてならない。

「いえ、見たことありません。ただ、あれは人でしょうか? まるで後ろから光がさしているようだ。美しい顔つきです。まるで神像のような青年だ」

『女の次は、男か。最近の若者は節操なしじゃな』

「そんなのではありません! 足を止めてしまい失礼しました。行きましょう」

 町へ向かう途中、一度だけネクタルは後ろを向いた。その時、遠くの人影は顔も分からないほど小さかったが、なぜか目が合った気がした。

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