第七話『遭遇、ターゲット』
突然、校門横からの声に飛びとめられた。
かすかにハスキーな声質に混ざる強い意志を感じさせる呼びかけに、誘導されるように伸はそちらへ向き直った。
まず目を引いたのはその風に吹かれ、なびいている腰にかかるくらいの黒髪。
シルクのような髪とはよく言ったもので、つややかなそれは風の流れで切れ目ができなければ、上等の一枚布に見えてしまうほど滑らかだった。
視線が髪からその女の人の全体へ。品格と知性を同居させたようなシャープな体のシルエット。
その人は角のない下縁メガネをかけ、やや釣りあがった目で真っ直ぐにこっちを見つめている。間違いなく美人に分類されるタイプだ。
「…俺、ですか?」
面識は無い。
あったら忘れるわけも無い。それほどの美人だ。
ただこの言葉は初対面だからではなく、まったく無意識に彼女のオーラに対して敬語になっていた。
この時間に校門前に立っているのだから、風紀委員か何かなのだろうか。
ただ、肩に風紀の腕章はついていない。
確かにイメージだけで言うならはまり役のような気がするけれど。
「そう、キミ。」
彼女のそんな何気ない一言一言には、断定というか有無を言わさない色がある。
かすかに頷いてから、すべるように伸へと彼女は歩み寄り、一気に一メートルほどの位置まで接近してきた。
「な…。」
「キミ、なんて名前?」
「青崎…伸、です。」
伸はドギマギしながら半ば反射で答えていた。
「そう……。」
こぼれたような呟きと同時に目の前に何かが突き出される。
目を細めてみると四角くて銀色で、真ん中に直径三センチほどの透明なレンズ。
―――デジカメだった。
「うわっ」
急に焚かれたフラッシュで二三歩後ずさり。
目をこすって再び彼女を見やると、見ようによっては不敵な、でも彼女にはぴたりと似合う笑みを浮かべていた。
「やっと見つけた。青崎伸君。キミのこと、今日一日密着取材しても良いかな。」
「へ?密着……取材?」
「ああ、自己紹介が遅れてしまったね。私は…」
「あ、愛生さーん!!おはようございまーす!」
今更ながら明巳が校門をくぐってきた。
アイキ先輩?やはり面識もない。
でも、その名前はどこかで。
「やあ、鏑木くんか。おはよう。」
ばたばたと駆け寄ってきた明巳にさっきとは違う色の優しい笑みを向ける愛生。
「愛生さん、伸と知り合いだったんですか?」
「ん?たった今知り合ったところさ。鏑木くんは彼と知り合いなのかい?」
「あ〜、家が隣なんですよ。たった今ってことは……伸に何か?」
「いや、何。私の新聞部部長としての勘が、ね。彼を密着取材すべきだと囁くものでね。」
『新聞部部長』という単語が耳から入り電気信号として脳内で組み合わさる。さっきからの疑問がそのピースで一気に組みあがり、脳は答えをはじき出した。
そう、彼女は学園三美人として有名な、そして悪名高い新聞部部長、祇園愛生先輩だ。
その事件を探り当てる手腕は自他共に認める天才である。
ただし、そのやり口には容赦など無い。ネタとして上等であるならば校長のスキャンダルだって新聞に起こすことをいとわない姿勢は、教師からみても畏怖の対象であるほど。
俺が今日、ストーカーあぶり出し作戦を実行することは俺と明巳しか知らない。
これは圭吾だって知らない情報だ。
それを、勘で、探り当てるなんて。
「っ!!」
驚いた拍子にはれた頬に痛みが走る。
「おや、どうしたんだい?急に困ったような顔をして。」
目ざとく伸の変化を見つけ出し、ハンターのような笑みを浮かべながら愛生はくるりと向き直った。
「いや、急に学園三美人の一人に一日密着取材させてくれなんていわれたんで、びっくりしたんですよ。先輩。」
「ああ、私のことを知っていたのか。ただ、その呼び方は好かない。好きなように呼んでくれてかまわないから、以後その呼びかただけはよしてくれるかな。」
「分かりました、祇園先輩。すいませんが俺を密着取材のほうはお断りします。」
「おや、なんでだい?」
「いや、あははは。俺つい最近女の子に振られちゃって。できるなら一人で過ごしたいんです。まあ、この暴力怪獣明巳と圭吾は別として。」
「ど〜も〜。桜庭圭吾です。はじめまして先輩。」
静かに俺の後ろでたたずんでいた圭吾はぺこりと一度頭を下げた。
「ふーむ。」
目を細めて、手のデジカメを愛でながら祇園先輩は一つ頷いた。
「このスキャンダルに関係ありそうな顔だって、そもそも明巳の悪ノリのせいですし。」
痛みで顔が引きつる。それを指差して、ははは、なんて笑いお茶を濁した。
嘘をつくのは気が引けるが、この顔なら嘘とばれることも無いだろう。
ストーカーあぶり出し作戦どころか、新聞のせいで後の汚名返上が出来なくなるほど確定でストーカーに仕立て上げられるのは断固拒否だ。
「それに、自分で言うのもなんですが、俺はそんなに大きなスキャンダルに絡むようなタイプじゃないと思いますよ。」
「そうか。思い違いなら仕方がないな。じゃあ、今回は諦めることにしよう。時間を取らせて悪いことをしたね。」
手に持っていたデジカメは瞬時に愛生の制服の袖口に引っ込んだ。
「うわぁ、すごい…」
圭吾の呟きを聞き流して。
「いえ。今日はいつもより少し早いんで、ちょうどいい時間になりました。じゃあ、失礼します。」
「ああ。くれぐれも、今日は気をつけて過ごしてくれよ。私の勘は妙な当たり方をするから。」
「はい。」
あくまで自然に、且つ早足で教室へと逃げこんだ。
「はぁ〜。なんだあれ。超能力か?」
あながち、ベクトルは違えどインビジ・ブルーのような能力なのかもしれないと戦慄していると。
「伸ちゃん。さっきのあれ、嘘だよね。」
思いつめたような顔で、圭吾が俺の前の席に座り込んだ。
「何のことだよ。」
「ほら、まただ。分からないと思うの?伸ちゃんこれから何かしようとしてるでしょ。僕にはさっきのが嘘だったってわかったんだから。」
優しい顔を固めて、じっとこっちを見つめ返してくる圭吾。
こうなったらこいつはてこでも引かないことはもう知っている。
まして、ここまで言うほどの確信なのだから、こいつには本当のことを言わなくちゃならない。
――圭吾が、大澤さんの事を好きだったりすると困るから黙っていたんだけどな。
「わかったよ。ここじゃマズイからトイレに行くぞ。」
「わっかったー」
間延びした声と同時に、たった今の今まで固まっていた圭吾の表情がへにゃりと崩れた。
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「ふふふ、ふふふふふ」
青崎伸。
なるほど、面白い。彼には天性の、他人の嗜虐心を刺激する才能でもあるのだろうか。
私の勘に狂いは無かった。やはり、青崎伸は今日、何かをしでかすつもりだろう。
あの顔の傷は鏑木明巳くんがつけたんだろう。そういう子だ、彼女は。
その点については、なんら、疑問も問題もない。微塵も無い。
そう、問題は、彼が最後に言った言葉が顕著に嘘であること。
「くくく、あははははは」
胸に粘性の高いマグマのようなうねりがわきあがってきている。
場違いな恍惚とした昏い輝きがその瞳に燈っている。
祇園愛生は自慢の一眼レフを分解し、すべてのレンズを専用の布で拭き、クラスメイトたちの視線を気にとめることさえせずにほくそ笑んだ。
クラスメイトたちは知っている。
いいや、彼女の性根をかじる程度でも知っている人物はみな知っている。
あれは、愛生の張った蜘蛛の巣に、上等の哀れな獲物がかかってしまったのだと。
クラスメイトたちはとばっちりを恐れ彼女の気を害さない程度に一定の距離を保ち避難。
そして、どこの誰かもしれない被害者にささやかなお祈りをささげてあげるのだった。