第三話『疲れる……』
/五分前。
「ビーフストロガノフ〜♪ビーフなストロガノフ〜♪ビーフでストロガノフ〜♪たっだいまー!」
「おかえり、明巳。何かいいことがあったの?伸君と仲良く帰ってきたとか。」
おっとりとした、しみこんでくるような静かな声を発したのは、玄関まですべるように出迎えに来てくれた和服を着た母、鏑木 揚羽だった。
「なんでそれがいいことなのよ。まったく、カンチガイしないで〜。それよりおなかすいちゃった。」
「じゃあ、すぐご飯にしましょう。あの人を呼んできて頂戴。」
「は〜い。」
私は一直線に部屋に戻り四十秒で着替えて、離れの道場に移動する。
「パパーご飯できたってさ〜」
人の気配がない、暗幕をおろした様に暗い道場に私の声はしみこんで、すぐ消えた。
瞬間、後ろからがっしりと抱きつかれ、身動きが取れなくなる。
私は瞬時に右足を一歩下げ後ろの暴漢の足を容赦なく踏みつけ、体の正中線に沿うように腰の辺りで合掌したまま、息を吐きながら万歳をする。
すると綺麗に、私を抱きしめていた腕はすっぽりと抜けてしまった。
「セイッ!」
その勢いのまま振り返りそこにあるひときわ黒い影の真ん中に真っ直ぐ拳を突き出す。
それは、影を殴りつける直前で静止した。
「はい、お仕舞い。ご飯だってさ。」
パッと電気がついた。
目の前に立っていたのは第一印象として『地上最強の生物ですか?』と問いたくなるような巨躯の野生的な男。
彼が父である鏑木牙羽。
「明巳お帰り。でもな、勝負ってのは抱きつかれた段階で負けなんだぜ?相手がレスリングとかグラウンドを使うタイプの変態だったなら、その段階でお前は美味しく食べられちまってるわけだからな。」
「下品。」
私が繰り出した拳は違う事無くパパの顔面のど真ん中にめり込んだ。
「はっはっはっ、そう、それでいいんだ。さすがわが娘。」
鼻血をたらしながら尚、仁王立ちで平然とからから笑い飛ばす牙羽。
――――――――疲れる。
「わかったから。母さんが待ってるから早く夕飯にしよう。」
「おう。そういえば腹が減った。」
居間へと移動する。
食卓について、私がわくわくしている目の前に出てきたのは、お隣さんのはずのロールキャベツ。
「デストロイ!?なんでここにロールキャベツが!?」
「何でといわれても、私が昼間見ていた番組で、ものたんみさんが美味しいロールキャベツの作り方をやっていたからなんだけど。」
「と、トマトはだめなのよぉ…しってるでしょおぉ…」
「ああ、そういえば小学生のころ、蒼咲の伸坊を道場に連れてきて、空手をさせたら顔を真っ赤に腫らせてトマトみたいだって怖がってたもんなぁ。」
当時を思い出してガハガハと豪快に笑い飛ばしてから、当時の明巳を思い出して悦に入るパパ。
それを見やって、おっとりと笑ってから、思い出して申し訳なさそうにママは口元に手を当てた。
「そうだったわね。ごめんなさい明巳。」
「なーに、嫌いなモンの一つや二つあったほうがかわいげがあらい。まして、伸坊を思い出すからだってんだからいじらしいな。」
「な、なんだっての!?別に、そんなんじゃないんだって。ああ、そうですか。そんなんじゃないんだから、美味しく食べさせていただきますから。」
流し込むように夕飯を済ませて、自分の部屋へと駆け込んだ。
ベッドに座り込んで、携帯を開く。
『でも、もし、その本物のストーカーが出てこないで、諦めちまったらどうするんだ?』
不安そうな伸を思い出して。
「もしダメだったら、このやり取りを義美に聞かせるから、何の問題も無いんだけど。」
携帯からは、先程の伸とのやり取りが録音されたものが流れていた。
彼女がストーカーに狙われているから、それをあぶりだすために自分がその汚れ役を買って出ているのだと、普通に聞けば誰だってわかるやり取りが。
「あ〜あ。伸の馬鹿。………まあ。私のほうが、馬鹿なのか。」
ころりと寝転がったベッドは柔らかかったけれど、どこか、冷たい気がした。