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第二話『逆転満塁の秘策』

午後六時。


やっと、数学洗脳カリキュラムが終わった。



まったく意識していないのに、口からはさまざまな公式がぶつぶつと垂れ流されている。


ふらふらとおぼつかない足に鞭打って光り輝く自由への扉を開いたとき、真っ先に目に飛び込んできたのは悪戯っぽく微笑む悪魔、明巳だった。


「おおっ?予想通り十歳は老けこんだな!」


「……うるせー。おかげでこっちは死にそうだ。」


「おかげで、って授業ふけようとした伸が全面的に悪い。まあ、特別に待っててやったんだから感謝しなさい。」


並んで薄暗くなった校舎の中を進みだす。


「そんなん頼んでねえよ。」


「別に頼まれてないもの。」


ほれ、と明巳は缶コーヒーを投げつけてきた。


「お、サンキュ……う?」


受け取ってプルタブを起こすと同時に、ズイ、と目の前に明巳の手のひらが突き出される。


「二百四十円。」


「はぁ?おごりじゃねーのかよ。大体なんで二本分……」


明巳は悪戯っぽく笑いながら空になったミルクティーの缶を揺らして見せる。


「…俺が金欠病なのは知ってるだろ?」


「焼きそばパンを随分たかられたみたいだからね。まあ、空になったコーヒーを手渡して二百四十円請求にしなかっただけありがたいと思いなさい。」


ああ、明巳のヤツ胸張ってやがる。


なんていう横暴。

でも支払う俺はきっと社会の最下層の弱者なんだろうとかおもったり。


いや、この心の広さは神だね。とか負け惜しみ。


「それで?俺を鍛えるって何をするつもりなんだよ。」


「うん、正確には鍛えるっていうか、これ以上ない逆転満塁ホームランを一発決められれば汚名返上できていいだろうとね。」


「なんだよそれ。」


「まあ、簡単に言うと、義美は今、悪質な本物のストーカーみたいなのに付きまとわれてるらしくて、それをとっ捕まえましょうって話。」


「あ〜、だから俺のこといきなりストーカー呼ばわりしてきたのか。」


「いや、単に伸がキモかったからじゃん?まあ、それも在るだろうケド。」


「やかましい。どうせ俺は一般平均値前後の男だ。大澤さんは高嶺の花で、キモがられることだってありますよーだ。」


「もう、真に受けてそんなに卑屈になるなよぅ。冗談なんだからさー」


豪快な音を響かせて明巳は何度もひっぱたいてくる。


まったく、昔から俺を壊れかけのテレビか何かと勘違いしているのか、ずっとこればっかりだ。


帰路、信号が青になり横断歩道を進み出すと同時にそれを受け止めて明巳に向き直った。


「イテーからやめろって。で、俺はどうすればいいんだよ」


「お、話が早くていいね。やることは簡単。伸、あんた明日から義美のストーカーになりなさい。」


「へ?」


何をおっしゃる明巳さん。

いや、きっと聞き間違いだ。


すでにアレだけ言われたっていうのに、そして何で俺がやっても居ないそんな犯罪者を演じる必要があるのか。


「だからさー。」


そうそう、聞きまちが――――――――――――――――


「伸がその悪質なストーカーとして名乗り出るんだよ」


いじゃないぃぃ!!!?



「バ、バッカ野郎!そんなことしたらきっと大澤義美ファンクラブの連中にはブチ殺されてさらし首、そして世間的に犯罪者予備軍。学校にも居られなくなっちまうだろうが!」


「それだけじゃないわよ〜。義美は世界的大手企業、あの大澤コンツェルンの一人娘だから、暗殺されちゃったりするかも。」


「は?尚ダメだろ馬鹿ー!」


「まあ落ち着いて聞きたまい。哀れで浅慮な子羊よ。」


「お、落ち着いて聞いてなんぞ居られるかー!暗殺とか聞かされてるんだぜこっちは!」


ボカリ。

こっちの悲痛な叫びを打ち破って明巳の拳が頬にめり込んできた。


「ウウ…暴力反対。」


「だから話を聞きなさいよ!」


「………はい。」


「素直でよろしい。何でストーカーするのか。それはきっと、振られた男が、自分の愛が相手に伝わらなかったから振られたんだとカンチガイして歪むからよ!そうおじいちゃんが言ってた!」


「いや、何でそんなにおじいちゃん子なんだよお前。」


「いいでしょ別に!それで、まあそのストーカーは何度も靴箱にいろいろなものを詰め込んでみたり、体育後に机からものが紛失したり、油断していたらその使用後の体操着がなくなったりとまあ、『愛を伝えるために』変態丸出し暴走機関車な訳。」


「………はい。」


「……(ここまで素直だと少し張り合いが無いな)。それでその活動を伸が横取りしたら、きっとそいつは怒って、今度は今までのストーカーは自分だって義美本人に分かるように表に出てくるでしょう?きっと、実力行使で。それを伸が捕まえるのよ。そして、自分はこのストーカーをあぶりだすためにわざとスケープゴートに甘んじたんだってみんなの前で、義美の前で公言する。」


「……なるほど……!」


「普通の人には、そんなこと出来ないでしょ?じゃあ、それこそがこれ以上ない絶好のアピールになっているってことじゃないかい?」


「明巳すげー!愛してるー!でも、もし、その本物のストーカーが出てこないで、諦めちまったらどうするんだ?」


ちっ…。


「そのときはまあ、まあ、何とか。私は変わらずの付き合いをしてやるし、まあさっき言った暗殺云々はたぶん無いし、平気だろ。」


「お、オイ今舌打ちしたろ。してたよな?おのれ、哀れで無知な子羊風情がこの作戦の最大の弱点に気付きおったな、って感じでよー!」


「うっさいな。したよ。しました。したともさ。でもそれがどうした。心証がこれ以上悪くなるのが怖いから、ほれた子が嫌な思いをしてるのを知っても放っておく訳だ。伸はそういう奴だった訳ですか。」


上目遣いで明巳はねめつける様に睨み付けてきた。


「それは、」


確かに、いや、好きになっただの、付き合いたいだの、そういう打算を抜きにしても。


きっと、大澤さんはすごく嫌な気持ちで日々をすごしているんだろうと、それこそ俺だったら毎日インビジ・ブルーが発動するような日々を過ごしているんだろうと、ふと、そう思った。


分かる。


それはきっと、あのときのような…。


それなら。


「――いや、言ってみただけだよ。わかった。明日、でいいのか?それを試してみる。」


「よし、よく言った。伸はそういう奴だと思ってた。」


悪戯っぽく微笑んで、明巳は俺の前でくるりと一回転して見せた。


日が沈みかけて、薄ぼんやり街頭に照らされているそんな明巳は、不覚にも、少し可愛かった。


気取られないように少しうつむいて。


「よく言うぜ。まったく。」


「ン〜、本心だよこれは。それに。」


「それになんだ?」


顔を上げると、明巳の向こう、すぐそこに、俺の家と明巳の家の明かりが見えた。


「あ、もう家が見えちゃったな。ふんふん、この香りは伸の家がロールキャベツ、私の家が…やった!ビーフストロガノフ!」


「ん?何のにおいもしねーぞ?」


「それは、伸が鈍感なんだって。じゃあ、また明日な〜」


「あ、おい!門前まで送るって!」


駆け出す明巳の背中に言うと、そのまま首だけ明巳は振り返って。


「バーカ、たった十数メートルで何か起こるわけ…イターッ!」


そんな状態なものだから、ふらふらと蛇行して電柱に明巳は突っ込んでいた。


「だからいったんだ。後、そんなに盛大に転んだから、パンツ丸見えだぞ」


「えぇぅ?嘘…」


「嘘。」


あわててスカートを直そうとしていた真っ赤な明巳の顔が瞬時に影で黒くなる。


「ああ、なんだ。騒がしいと思ったら伸か。おかえり。そろそろ近所迷惑だから…」


玄関を開けて、メガネをかけた三白眼の線の細い男、蒼咲誠あおざき まことこと親父が出てきた。


夜の闇と正面きって喧嘩しそうなほど色白の誠はぼんやり立っていたら幽霊のように見えるという不思議なたたずまい。


「あ、親父ただいま。」


「―――〜〜しぃぃんんんんん!!!てかむしろ死ねぇ!」


「え?ぎゃああああああああ」


何かの影が一瞬だけ見えた。

それが眉間にヒットして、赤い液体を撒きながら俺が倒れているときに、撥ねたそれが、明巳が投げた道端の石だとわかった。


「ああ、明巳君か。こんばんは。いつも伸が迷惑かけてない?すぐ透明になる馬鹿なヤツだけどヨロシクやってくれよ。」


―――オイ、この惨状を何さらりと受け止め流してんだよ馬鹿親父


だらだらと眉間から血を流す俺を家に引きずり込みながら、柔和な笑みで親父は明巳に挨拶をしていやがる。


「今晩は叔父さん。迷惑なんて。それに透明になるのももう慣れっこですよ。」


―――まて、死にそうな俺は放置か?なに猫をかぶっているんだ明巳のヤツ


「ありがとう、気をつけて帰ってくれよ。隣まで十数メートルといえど何が起こるかわからない世の中だからね。伸がもう少しマシなら送って行かせたんだけど。」


「心配性ですね叔父さんは。大丈夫ですよ〜。ご存知、腕には自信ありますから。」


力こぶを作る真似事をして一人頷く明巳をみて誠は一度ゆっくりと頷いて。


「頼もしいね。もう少し伸にも見習って欲しいくらいだ。でも、もし荒事があったら伸に押し付けちゃって良いからね。仮にも男だから。」


「んー、期待しないでその時を待ってます。」


ひとしきり二人で会話に花を咲かせている間に、垂れてきた血は左目に入って視界が半分朱に染まっている。


―――何が『仮にも』男だ!てか、体動いてくれないんだからいい加減介抱してくれ〜!!死ぬぞこれ!


伸の魂の嘆きは誰にも届くことなく虚空に消えた。そしてインビジ・ブルー発動。


しっかりと親父は明巳が玄関に入るのを確認してから、ひょいと俺を担ぎ上げて家の中へ。


「さて伸。何も消えることないじゃないか。ほら、今日はビーフストロガノフだからテンションを上げなさい。」


平然と俺を食卓につかせ、親父は目の前に夕飯を並べ立てる。


あまりのことに、いっぺんに体の麻痺がすっ飛んだ。


勢いよく自分の額を指差して、


「この血をみろバカ親父!こんなに血を流してるのにビーフストロガノフなんかで…」


「僕が精魂込めて作ったビーフストロガノフを、『なんか』呼ばわりとはね。伸。」


――あ、やべぇ。勢いあまって特大地雷踏んじゃった。


勢いよく椅子から立ち上がると親父は居間を越え寝室を通り、まさに電光石火、お袋の仏壇の前に力なく倒れこむ。


「ああ、深雪みゆき、ああ深雪。ついに伸がぐれてしまったよ。君が大好きだったビーフストロガノフを前にしてインビジ・ブルーが解けないなどと。しまいには僕の作った料理を、つまり延いては僕を『なんか』呼ばわり。僕はもうどうしたらいいかわからなくなってしまったよ。」


親父は仏壇を前になぜか十字を切りながら涙と鼻水を拭いたティッシュの山を早くも二つ築いている。


「もう僕は伸に必要とされない存在なのだろうか。いっそ、この世界から消えてしまったほうがいいのだろうか。ああ、深雪、消えてしまうなら君のそばに行きたいよぉ…」


ふわりと風が吹いた。


風に乗せて、親父を中心に『世界』まで希薄になっていく。


親父が消え、天井が消え二階の天井が見える。


畳は消え地面が見え、そしてその地面も綺麗な円形になくなって見える。


次第にその範囲は拡大し、どんどん周囲を侵食していく。


―――やばい。このままじゃ『最後まで』消える。


俺は眉間のしびれるような痛みも流れる血もお構い無しに食卓に並んでいた熱々のビーフストロガノフを無理やり全部かっ込み、肺にいっぱい空気を吸い込んだ。


「あ〜!この料理超ウメー!!おかわりはないのかなー!やっぱ親父の料理はサイコーだなああああああ!!」


部屋の片隅にある緊急時用メガホンで、仏壇のほうへ聞こえよがしに大声を張り上げた。


「……………」


あの親父の『ネオ・インビジ・ブルー』圏内に入ってしまったが最後、アイデンティティーは崩壊し、自己と自我を保って親父を説得する自信はまったくない。


となると、褒め倒してテンションをあげさせるしかない。


向こうの反応はない。

下手をするとそろそろ能力の範囲がここまで迫ってくる。


一つずつ、第六感の赤ランプが点灯していく。


「いやぁ、そこまで褒められるほどでもないよ。でも、今日の夕飯はよく出来たと自負しているんだ。さあさ、おかわりを盛ってあげよう。」


何事もなかったように戻ってきた親父は戦慄しかけている俺をよそに山のように米を盛り始めていた。

警戒の赤ランプもレベルを下げ、とりあえず黄色に戻る。


―――――――疲れる。


早々に食事をすませ(しかし、限界まで食べさせられたのは言うまでもない)仏壇のほうを覗きに行くと、お袋の写真以外の畳、天井、仏壇、ティッシュの山などはすべて原形をとどめないほど歪んで固着していた。


「俺も、そのうちこうなっちゃうのかな……マジで。」


俺は無意識に身震いをしてしまうのだった。



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