第十九話『決着と彼女達』
「何だよ、何なんだよ。あれ人間じゃねーのかよ。」
真鱈目は恐怖で息を荒げながら、自分の家にもかかわらず動転のあまり行き間違い、そしてやっと家を迂回した。
と。
目の前の庭の中心には弧を描きつつ地を抉り、家さえも貫通し、そして自分の目に立ちはだかる巨大な欠落があった。
「ひ、ひぃ」
ずるずる、足を後ろに下げることもままならずに真鱈目はすり足で一歩引く。
追い詰めるように、それにあわせ伸は一歩踏み出す。
「おい、好き勝手やったんだ。もっと何かねぇのかよ。あれだけご執心だった大澤さ……義美を突き飛ばしてここまで逃げてきたんだろ?」
「バ、化け物!」
地面は抉れ、際限なく大きくなっていく領域はどんどん高度を増し、上空に浮かぶ雲に、ぽっかりと巨大な伸のデスマスクを作り出す。
よろつきながら真鱈目は近くに転がっていた竹箒の柄を引っこ抜き、袈裟に構えると伸に向けて破れかぶれの突進を試みた。
「なんだそれ。縛った女の子とか、動けない男とかを蹴り飛ばすのは得意なくせに、一対一になったとたんにそれかよ。」
伸は延々広がっていた透明領域をその体に濃縮。
振り下ろされた竹の棒はあっけなく霧散してしまった。
「行くぜ、歯ぁ食いしばれ!」
思いっきり拳を握り締めて、真鱈目の頬を殴り飛ばした。
「ふぃひゃぁぁああ!!」
殴られた真鱈目の頬は霧散し、歯で切れた口内の血がゆっくりと首のほうへと伝っていった。
「殺さないでくれぇぇ」
「知るかよ。痛みはないだろ?もともとそこにないことになってんだからさ。俺はともかくな、あの二人に散々なことしておいて自分が可愛いですってそりゃねぇだろ。」
普段の伸からは絶対に出ることはない残酷な面が表立っていた。
「ふん。」
ひゅうひゅうと口の大穴から息が漏れている。ダラダラと垂れる血は襟を赤く染めていた。
ついさっき真鱈目が明巳たちを見ていたのと同じ目で鼻で笑い、伸は目を細めて真鱈目を見下している。
「消えろよ。」
伸はゆっくりと拳を上げた。
それは体に濃縮した力を更に腕一本に集めたもの。セカイの欠落ではすでになく。対となる別セカイである。
触れたものはプラスとマイナスで打ち消しあうが如く容易に消滅してしまうだろう。
本能的にそれの危険を察知したのか、真鱈目は過呼吸になったように何度か体を痙攣させて昏倒する。
「伸!ダメ!」
「伸さん!やめてくださいです!」
明巳と義美はきしむ体に鞭を打ってそろって伸に抱きついた。
「ちょっと離れててくれよ。二人とも。こいつはいちゃいけないんだよ。」
「ダメです!人を殺しちゃダメなんですよ。気絶しているこの人を消すって言うならそれはさっき私たちがされたことといっしょじゃないですか。そんなことする人は嫌いです。私と共有したいことって、こんなことだったんですか?」
「伸!こいつはどうしようもないけど、でも、伸が消しちゃっていいみたいなそんなものじゃないでしょ。そんなの伸らしくないよ」
「いいよ。」
「ば、ばかぁっ!」
ガゴンッ!
明巳渾身の大きなアッパーカットが伸のあごにめり込んだ。
「ペギィィィィ!?」
火星人の断末魔な悲鳴を上げて、その場で大きくのけぞって舌を噛んだ伸は後ろに倒れこんだ。
「な、何をするですか明巳。いきなりアッパーカットだなんて。話が違うじゃないですか。」
「う、う〜、思わず。イラッとしちゃって。」
倒れこんだ伸を優しく介抱しようとする義美。
それを見て、肩眉だけ持ち上げて、明巳はそれとなく義美を押しのけ体を二人の間に押し込んだ。
「な、なにをするですか。」
「ゴメン、伸。思わずやりすぎちゃったけど、まあ『いつものこと』だからコレくらい大丈夫、だよ、ね。」
「な、何を言い出すですか明巳!」
「なんのこと?いつもどおりのやり取りをやってるだけだけど。」
「な、ずるいですよ。」
わりと積極的に、ぐいぐいと伸と明巳の間に割り込み返そうとする義美。
「ん〜?」
きょとんとするフリをして明巳は負けじと押しにこらえる。プルプルと体が震えているのはここだけの秘密。
「明巳ぃぃそれはないですよ!」
「義美、何のコトだかさっぱりわからないけれどぉ?」
「いてて。ちょっと二人とも俺の上からどいてくれ。まだケリがついてないんだから。」
真の上で押し合いをしている二人を押し返して、伸は再びゆらりとこぶしを上げた。
「ああっ!伸!?」
「伸さんダメですよ!明巳もアッパーはダメですよ!」
「ちっ」
拳を握っていた明巳は残念そうにそれを解く。
「恥ずかしいですけど、さっきの話の通りに。」
「わ、わかってるわよ。」
「でも、もしあれだったら明巳はしなくていいですよ。私は大丈夫ですけど。」
「なにいってるのよ。別にコレくらいどうってコト……」
「だからさ、悪いけどどいてくれって二人とも。」
力を増しているせいか、二人がかりでも伸をとめることができない。
と、なれば、事前に打ち合わせをしていた通り最終手段しかない。
「い、いっけー!」
「いただきますで〜す。」
ゆらりと拳を上げた無防備な伸の左右から明巳と義美は抱きついた。そして、そのまま伸の両方の頬へそれぞれが口づけをする。
「………え?」
ばぁぁぁぁん!!!
轟音を立てて正面の門が爆発したみたいに開いた。
「だいだいだいだいだぁぁいスクゥゥゥゥプ!!!!アーッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
そこにはカメラを広げる両手に一個ずつ、胸に固定したものを一つ、顔の前に固定したものを一つの計四つのカメラを装備してすべてのカメラからすさまじい勢いでフラッシュを焚いている祇園愛生と、その横で控えめに撮影している桜庭圭吾。
「題は『真犯人を捕まえた青崎伸』か〜!?」
「あれ〜。愛生先輩さっきといっていることがモゴモゴ…」
愛生は残酷に微笑んでその口にハンカチを捻じ込んだ。
螺旋を描いて一度弾けて拡散した透明領域は一気に伸の中へ収束されていく。
その過程で、今まで消し去ったものがすべて伸の周りにバラバラと出現しだし、真鱈目の頬もきらきらと輝く粒子で元に戻った。
「俺、今何を……」
「し、伸!あんた今までのところ覚えてないの?」
「覚えてないのですか?」
「う〜ん、真鱈目に蔵にぶち込まれたあたりからあいまい?」
「じゃあ。…………はぁぁぁぁよかったぁぁ。」
かっくりと明巳は頭を垂れた。
「あれも覚えてないですかぁぁぁぁ。」
逆に義美は残念そうに頭を垂れる。
「まあまあまあまあ。いいじゃないか。いいじゃないか。大団円だろう?これはもう。私も満足、それに義美君もだいぶいいじゃないか。」
やったらご機嫌の愛生は三人の間に割って入り倒れている真鱈目をやたらと撮影。鼻歌交じりに真鱈目の蔵の中隅々まで撮影を開始した。
「……あれ?なんだか、きゅうに。」
かくりと、糸が切れたように伸はそこに倒れこんだ。
不意にそれを支えたのは満身創痍の明巳でも、義美でも、圭吾でもなく。いつの間にか出現した伸の父こと青崎誠だった。
「いやぁ。愚息が皆さんにご迷惑をおかけしました。」
伸を軽々と担ぎ上げ、誠は深々と頭を下げる。
「あ、おじさん、そんなこと。」
「ああああああ!大変だ!明巳君体中打撲だらけじゃないか。ああ、女の子をこんな目に合わせるなんて僕は伸を育て間違ったのかっ!ああああああ」
どたどたと屋敷の隅にかけていく誠。しかし、ここが大衆の面前であることを思い出し、かろうじて戻る。
「明巳君。これは我が家に伝わる秘伝の傷薬だ。コレを塗りさえすれば三日で大概の傷は治る。」
でも、と、物静かな線の細い風貌を、一際縮込ませて誠は頭を深々ともう一度、下げなおした。
「明巳君の体に傷をつけてしまったうちの息子にはキッツイ折檻を入れておくからとりあえず安心して休んでね。でも、その薬は心の傷には効かないんだ。さすがに青崎家ウン百年の秘薬と言えども。だから、もし、明巳君が責任を取らせたいのだとしたら、僕は喜んで伸に責任を取らせるしだいだよ。」
「大丈夫ですって叔父さん。こんなの大会じゃしょっちゅうですし、それにむしろ…いい思いをしたというかなんというかゴニョゴニョ……」
「ん?」
「あの。」
猛然と言葉でまくし立てる誠に話しかける機会をはかっていた義美はやっとの思いで口を開いた。
「はじめましてです。大澤義美と申します。」
「え?君は大澤寿樹君の一人娘、だよね。」
「はい?以前お会いしましたですか?」
「いや。彼とは個人的に付き合いがあるからね。昔一回あったことがあるんだけれど、さすがに昔過ぎて覚えていないかなぁ。お父さんによろしくお伝えくださいね。」
「あ、はい。それで、私、これから伸さんと……」
「ああ、伸の。馬鹿なヤツだけれど根はいい奴だから仲良くしてやってくれるかな。」
「はい。」
義美は春の暖かい太陽が雲間から覗いたように、温かい笑顔を咲かせた。
「よろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げる義美を、うれしそうに微笑みながらこちらこそよろしく。などといっている誠になんともいえない苦笑を浮かべて、明巳も会釈を返した。
「どうやら伸は力を使いすぎたみたいだねぇ。初めてにしては使いこなしていたみたいだけど。復活するまでは三日くらいかな。」
すべて見ていたかのような口調でそういうと、誠はまた一つ、納得したように深く深く頷いた。
そして、優しい目で、明巳を見つめる。
インビジ・ブルーに天然で体勢を持つ、強くて優しい女の子を。
そして、心配そうに肩に担がれている伸を見つめている義美に視線を向ける。
インビジ・ブルーを始めて体感して尚、息子を助けるために奮闘してくれた女の子を。
―――伸は幸せ者だなぁ。
「じゃあ、コレくらいで。本当に、ご迷惑をおかけしたね。」
「そんなことないですよ。」
「大丈夫です。」
「ありがとう。みんな。」
最後まで深々と頭を下げてから、一体どこにその力があるの?と聞きたくなるくらい軽々伸を肩にかついで走っていった。
「相変わらず……すごいなおじさん。」
「明巳。」
明巳は急に改まった口調の義美にきょとんとする。
「なに?」
真っ直ぐに、義美は明巳を見つめていた。その真っ直ぐな瞳の意図を測りかね、明巳は軽く首をかしげる。
「ずっと、明巳は私の親友です。でも。」
「ん?」
真剣な表情は急に、意地の悪い笑みへと変わった。
「でも、明巳は今日から私のライバルですよ。」
「えぅぅ?な、何を言って……」
「ごまかしても無駄ですよ。」
「ん。あ、あははは。」
にこりと微笑んでから、義美は先にいくですよ。といって、去っていった。
「そんなこと……って。まあ、いいか。」
義美の背中を見て、小さく息を吐いてから。
明巳は自分の唇に軽く触れてみた。
そして、軽い足取りで家への帰途に着いたのだった。