第十八話『二人』
最近、どういうときに俺はインビジ・ブルーを発動した?
そうだ。
俺、最近大澤さんに振られてインビジ・ブルーを発動したんだ。
簡単なことだ。
じゃあ、後ろにいる大澤義美さんにもう一度振られてへこめばいいんじゃないか。
名づけてブルーブルーキングオブレジェンド大作戦!!
星の数ほどいる人間たちの、いや、生物全般におけるオスのなかで恐らく唯一。
確固たる意思を持って伸は一年のアイドル、大澤義美に『手ひどく振られるために告白する』決意を固めた。
全力を費やして一度だけ半回転体を回す。
――それも生半可じゃ駄目だ。
伸は硬く目を瞑る。
事前に振られることが確定しているんだから、衝撃は半減してしまうのは道理。
――ならば、どうするか。
ただ告白するだけじゃ、恐らく足らない。
――ならば、どう告白すればいいのか。
急に自分に向き直った伸を見つめ、先程真鱈目に掴みかかられたときみたいに義美はたじろぐ。
結論はこうだ。そう、酷くシンプル。
『末代まで語り継がれるような気障でくさくてどうしようもなく泥臭いありったけの言葉で告白する。』
ただ、それだけだ。
「大澤義美さん。急な話なんだけど、俺、本当に君のことが大好きだ!飯を食っていても、勉強しようと机に向かっても、寝ても覚めても。そして一日の終わりに考えるのは決まって君のことだった。」
「え…いきなり…なんです?」
一瞬、わけが分からないと義美は目をむいた。
それも当たり前。こんな局面でこんなことを言うのは多分伸を置いてほかにいないだろう。
『ありったけの恥ずかしい言葉を、もっている語彙から引きずりだす。』
「おまえ、何を言って……」
真鱈目は急に後ろでおっぱじまった恥も外聞もない告白大博覧会を信じられないと目をむき振り向いた。
「あ、あは、ははは。伸め。……ばかだなぁ。もっといいタイミングがある、でしょ。」
その足下では明巳が身をよじる。
痛みが原因じゃない涙を、ジワリと目じりに一滴浮かび上がらせながら。
「きっと俺は俺以外の誰かがいなきゃダメなんだ。大澤さんがいなきゃダメなんだ。大澤さんのことを知りたい。くだらない話を何時間も何日も何年もしていたい。」
『明日から、振られたら生きていけねぇよってくらい恥ずかしげもなく言葉を紡いで。』
「誰かがいなきゃ………だめ?」
義美の瞳に、幽かに、そう、恐怖以外の感情がともった。
「きっかけは一目惚れだけど。でも、この気持ちは本当なんだ。俺、いい男じゃないかもしれないけど、金持ちでもないけど、頭だってそんなにいいほうじゃないけど。でも俺が手を伸ばして届く以上のすべてを大澤さんにあげたいと思うから!俺が大事に抱えていたい何かを共有したいと思うから。だから……」
『そして、それを上乗せした衝撃で一気にインビジ・ブルーを発動してやる。』
義美は、ぐったりとだらしなく床に投げ出されている伸の腕を見つめた。
彼は、私と同じコトを大事にしたいと思っているんだ。
彼は、私が大声で言うことができないことをこうもたやすく叫べるほど強いんだ。
彼は、もう誰も助けに来てはくれないと絶望したこの蔵へ、一人で私たちを助けるために駆けつけてくれたんだ。
「ふざけるなよ!」
真鱈目は肩を震わせてゆっくりと伸たちへ迫ってくる。
最後の一言を、言わせまいと足を踏み出す真鱈目は、義美の変化に気付いていた。よもや、と思いつつ、しかし最後まで言わせてしまったときの義美の返事が、彼女が自分と同一だと思っているからこそ予測できてしまったのだ。
「だから、大澤さん!俺と付き合ってくれないか!?」
彼は、私たちを助けるためにこんなにぼろぼろになって。
明巳といい、彼といい。
私のために。
義美は眼をつぶり、体を丸めて縛られたままの手で肩を抱いた。
触ると、真鱈目の爪が食い込んだ肩はまだ痛んだ。
でも、あの時息も苦しくなるほど押しつぶされそうになっていた胸には、温かい何かが湧いてくる気がした。
「義美は!お前みたいな!半端なヤツのことなんか!邪魔で仕方がないんだよ!お前みたいに箔付けで義美と付き合いたいだなんて言うまがい物なんかが近付いていいようなそこらへんの穢れた女じゃないんだよぉぉ!!」
頭を踏み潰そうと真鱈目は勢い良く足を上げた。そして容赦なく、それが勢い良く振り下ろされたとき。
義美は縛られている手で勢い良く寝転がる伸を引き寄せた。
一般的な高校一年生よりもだいぶ発育している柔らかな双丘がふわっと伸の顔に押し付けられる。
「ほふぁは?」
「なぁっ!?」
「義美……」
義美は、伸を抱いていた。当然体が満足に動かない伸は柔らかい義美の胸へ体重のまま頭を預けている。
「初めてですよ。ここまで私に熱心に告白した人は。本当に、馬鹿みたいですよ。大声を出して。」
言葉というよりも吐息に近い小声で、伸の頭には義美の言葉が降ってきている。
「聞こえますか?私、今どきどきしてます。あなたがストーカーでもいいです。私を好きになってくれたからそういうことをしていたのなら、私もそれを飲み込みます。……うまく、付き合えるかは分からないですけれど、私でいいって言うのなら、よろしくお願い、します。伸さん。」
「え?オオサワサン?」
「義美と呼んでくださいです。」
「えぇぇえぇえぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
うれしいけどうれしくない。
どうしよう。
てか、このままだと俺の僕自身が元気満々になりそうな空気が。
これもどうしよう。
いや、目的は完遂に近いんだけど、だけど、だけど。
ちらりと視線を後ろに流す。痙攣しているのではないかと心配したいほど体を震わせている真鱈目が見えた。
これ、やばくない?
インビジ・ブルー絶対発動できなくない?
「……違う。」
真鱈目は俺の肩を掴むと勢い良く掴むと倒す要領で思いっきり引っ張った。
勢い良くスッ転がった伸は後頭部を床に強打!
「ぐぅぅぅぅっ」
「違う!こいつはストーカー行為なんてしちゃいない。アレは全部俺がやったんだ!俺がやったことをこいつは全部横から自分がやったみたいに言っただけで!アレは愛を伝えるために全部俺が……」
「ばぁぁか。」
明巳は必死に自分のしでかしたことを告白している真鱈目の小さい背中に嘲笑を送りつけた。
「それは勇気じゃないってゆーのよ。それこそ伸の勇気を横取りするだけの最低の根性じゃない。」
「う、うるせぇええ!」
未だに床に転がりっぱなしの明巳に駆け寄り、勢いもそのまま真鱈目は明巳を蹴り上げた。
抵抗できないまま体を少し浮かせて、ゴトリと明巳は無茶な体制で転がった。
「し……ん…」
苦痛の嗚咽でもなく、暴力への恐怖の悲鳴でもなく、体が浮き上がるほど強烈な一撃を食らって尚明巳が口にしたのは、ただ、伸の名だけだった。
プツリ。
地面から人の胸の高さに持ち上げたりんごは、手を離し地面に落ちると砕け散る。
しかし、一度、更に高い学校の屋上に持っていってから落とせば、地面についた段階でもはやそれは粉微塵、ジュースになる。
この状況で浮き足立っていた自分への絶望はインビジ・ブルーの枠を超え、他人に認識されない域を超え、ネオ・インビジ・ブルーに突き抜けた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
伸の叫び声が狭い蔵の中に響き渡る。
一瞬だけ伸から風が全方位に吹き、そしてその風の数十倍の吸引力でセカイが、透明になった伸に引きずり込まれていく。
「な、なんだよこれぇ!」
父である誠のネオ・インビジ・ブルーの暴走とは異なり、伸のネオ・インビジ・ブルーは伸の体型の形の『穴』がどんどん巨大になり、巨人のようになっていく『セカイの欠落』が歩いてくるように見える。
伸は欠落が明巳と義美に触れないように気をつけながら二人を縛っている紐に触れた。
とたん透明になった紐はアイデンティティーを崩壊させ、その戒めを解く。
真鱈目はよろよろと後ずさりをした。すると後ろにいる義美にぶつかり盛大なしりもち。
「じゃ、じゃまだぁ!どけぇ!!!」
すぐ横にいる義美を押し飛ばし、振り向いた真鱈目は蔵の扉を開け放つ。そして外から鍵をかけた。
「逃がすかよ。」
伸はそのまま真っ直ぐに蔵の入り口へと進んでいく。
手をかざす必要さえなく、歩むスピードも緩めずに蔵の扉へ。
透明境界が蔵の壁に触れた瞬間、病院でCTスキャンされている人間の胴体のようにあっけなくその壁は消えてゆき、そして中心の伸が壁にぶつかる頃には、そこにもともとそんなものがなかったかのように蔵の外から真っ赤に染まっている夕日が差し込んできた。
「コレはいったい何が起こっているんですか。」
「大丈夫だよ、義美。」
ずるり、と後ろで音がして我に返る。
「明巳!明巳ぃ!こんな無茶して…ごめ…」
ごめん。それを言い切る前に明巳は手を伸ばして義美の口を塞いだ。
「それはなし。これは私が好きでやったことなんだから。義美がそんなに泣きそうになること無いんだから。」
子供をあやすように、優しく微笑んだ明巳はうつむく義美の頭をなでてあげる。
「明巳……。うん。」
「それよりも、今は。」
「はい。あの伸さんの様子はどういうことなんですか?」
通常のインビジ・ブルーは伸が世界に溶け込んだように見える。しかし、どうやら今の伸はその律を逆転させているように見える。だから、穴があいたようになったセカイが普通の人間にまで目視できるのだろう。
「あれはね、伸の家系らしくて、テンションが下がると本当に透明になっちゃうんだよ。伸のヤツは。」
「透明に?」
「そう。義美、初めて伸のことを振ったとき、いつの間にかあいついなくならなかった?それこそ消えちゃったみたいに。」
「え、ええ。」
「それ、すぐそばにあいつがいたんだよ。でも、見えなくなってただけ。」
信じられないと口元に手を持っていこうとして、義美はそれを胸に当てた。
まだ、温かさは残っている。いや、むしろどんどん温かくなってきている。
「テンションが下がると消えるって言うのですか?」
「そう。信じられないかもしれないけどね。」
「信じます。あなたがそういうなら。伸さんがそうだというなら。」
「ふふふ。すごいな義美は……」
なんだか、酷くあいまいな笑みを浮かべる明巳。
「明巳?」
「いつもはテンションが上がれば戻るんだけど、あれはどうすればいいかなぁ。なんか激情に駆られてるようだし、いつものインビジ・ブルーとは違うし。」
「……?明巳には『いつものインビジ・ブルー』も見えているんですか?」
「ん〜、何でだか知らないんだけどね。幼馴染だからかもしれないし、何かあるのかもしれないし。」
義美はそこまで聞いて、かすかに胸が痛むのがわかった。
私は、本当に伸さんのことを好きになったのですね。そして、だからこそ、私にもわかったのですが。
「明巳。」
「ん〜、そうだなぁ。あいつのテンションをあげさせるにはあの透明空間に入らなきゃだよ。どう考えてもさぁ。」
トーンが違う義美の声には気付かなかったのか、腕を組んでウンウンと愛生はうなり続けている。
「ん?ゴメン考え込んでた。何か言った義美?」
「………いえ、なんでもないですよ。」
「そう。義美、さっきあそこの壁が消えちゃったのを見ても、伸を元に戻すためにあの透明空間の中に飛び込む度胸はある?あのままじゃ伸、あのストーカーヤロウを消しちゃうかもしれないからさ。それはさすがにいろいろまずいっしょ?」
「え、ええ。それは確かに。」
では、と前置きしてもう一つ頷く義美。
「あの中に飛び込めば伸さんを元に戻せるんですね?」
「その確信はないんだけど、私と伸を信じられる?」
と。
その一言は酷く軽かった。
まるで、あ、会計足りないからちょっと百円貸して、というくらいの軽さ。
しかしそれは、とんでもない信頼を伸においていなければ出てこない一言だ。
眉をひそめて、義美はきゅっと手を強く握る。
「ずるいですよ。まだ、私は伸さんのことをぜんぜん知らないんですから。」
「やっぱり、信じられないか。」
「違います。私は私のことを信じるのと同じく、明巳と伸さんのことを信じますですよ。ただ、私が言ったのはそういう言い方はずるいですよということですよ。私が入り込む余地がないって言いたいんですか?」
「えぅぅ…?なんでそうなるの?さあ、早く行かなきゃ行かなきゃ!」
満足に体を起こせない明巳は真っ直ぐに義美へと手を伸ばした。
「ええ。いくですよ。」
義美はその腕をしっかりと掴み優しく肩にかけた。
お互い頷きあってから、抉れている地面の行き先を目印にして二人は伸を追いかけ始めた。