第十三話『籠城』
ぜぃっ、ぜぃっ、ぜぃっ、っはぁっ!
「っっかしい。ずぅえっったいこの学校の連中頭おかしいぃぃぃ!!!」
息を切らせながら伸は走る。
今居るところは特別棟二階。
地学室を通り過ぎ、その隣の科学準備室に指しかかろうというとき、窓を突き破り屋上からの弓道部とアーチェリー部の狙撃の矢がダメ、絶対!!!と描いてあるポスターの女の子の胸をキューピッドの如くずたずたに貫いた。
狙撃主は特別棟、一般棟の屋上を占拠している。
一般棟には生徒が居すぎて逃げ回ってもすぐつかまるし、かといって特別棟は格好の的。追手もいる。
「コ、殺す気かぁ!!ふざけんなぁ!」
窓際の石壁を背に隠れる。
中腰で五メートルほど移動したものの背後の渡り廊下からばたばたと追手の足音が迫ってくる。
これじゃ、逃げ切れない。
「くっそ!!たまるかぁ!つかまって殺されてたまるかってんだあぁあぁぁ!」
一気に転がり出て、そのまま科学室に転がり込んですぐにドアを閉める。
ドンドンドンドンっと乱暴なノックのような矢が突き立つ音が響き、遅れてきた死のリアリティに、体中、直下型地震みたいな震えが走る。
しかし息つく暇もなく教室中を、隠れる場所を作ったように荒らしまわってから、窓を開け放つ。
窓の外には落下防止用の一メートルほどの足場がある。そこに降り立ち、背中を校舎外壁に擦り付けながらずるずると移動。
地学の教科担当は抜けていて有名な坂下雄三。
賭けではあったものの、案の定開いていた地学準備室の窓から中へ飛び込んだ。
これで、少しだけ時間を稼げるはず。
二つとなりの部屋からは大声と探し回る雑音が響いてきている。時間の問題ではあるけれど、まず現在の状況を考え直さなきゃならない。
パカリと携帯電話を開いた。少しためらってから、明巳へとコール。
コール音が聞こえて七度。
プツリとコールは途絶えてしまった。
「コレ…………どういうことだ?なんかあったのか……?」
ああああああ〜と唸り、頭を抱え込む。
「なんにしてもコレじゃどうしようもねー。手持ちのカードが少なすぎる!」
つぶやいたとき、廊下に人の気配。
「オイ、今ここから声が聞こえたぞ?」
「どれ?……鍵が閉まってる。ホントに聞こえたのかよ?」
「マジだって。唸り声がしてからなんかぼそぼそ言ってた。」
「おい、ファンクラブのやつ集めて来い。俺はすぐに鍵をもらってくる。」
「わ、わかった。」
――やべぇぇぇぇっばれたぁぁっ
こそこそと今更気配を消して、逃げ出そうと窓に手をかける。しかし。
「オイ、もしかしてこの足場を使って別の部屋に逃げたんじゃねぇ?」
「ありえるかもしれねぇな。ここの窓一つだけ鍵が開きっぱなしだったし。もしそうだとすれば地学準備室あたりか?」
「いってみるか……」
かすかに開いた窓から、さっきの科学室捜索隊の声が流れ込んできた。
悟られる前に即窓を閉める。
――袋のねずみだとぉ!?
ああああっバカバカバカバカ俺のバカ。
どうしようどうしようどうしようどうしよう。
ぐるぐるぐるぐる、自分の尻尾を追いかける犬みたいにその場で回る伸。
とにかく隠れる場所を探さなきゃならない。
「掃除用具ロッカー…はありきたりすぎるし逃げ場がない。」
視線をめまぐるしくめぐらせる。
「机の下……なんて丸見えだし。まして……」
「おい、カギ持って来たぞ。」
「よぉし。じゃあ行くぞ。」
ガチャガチャ。
きたッ!隠れる場所、隠れる場所は……そうだ!ここだぁぁっ!
ガラリ。
「年貢の納め時だなストーカーッ!!」
ばたばたと無数の足音が聞こえてくる。最低でも七、八人はいそうな気配がする。
そして伸は。
天井に吊り下げるタイプの超大型世界地図(巻物の要領の型)を天井に吊るし、引き降ろしてその後ろで壁にスパイダーボゥイ(西映発)よろしく壁に手を突っ張って足を浮かせていた。
俺のバカァァァッなんでこんなところ…絶対に不自然だし何よりキッツイしよぉぉっ!!
「むぅ、いないぞ。窓から逃げたのか?」
「ソレはないはずだ。鍵が内側からかかっているからな。」
「じゃあ掃除ロッカーの中……」
バンッ!!
「――には居ないな」
あの声は数学教師の田村久雄?なんでオカシナ暴徒に混じって教師までっ!
「田村教諭、見渡してみたものの机の下にも居ないであります。」
「そうか。じゃあもう隠れられるような場所はこれといって……」
そうそうそうそうそうですとも。そのままオカシイついでにこの隠れ場所に気付かないで帰ってくれ!
「そうですねぇ。」
「この、不自然に降りている地図の裏側くらいしかないか。」
チッッッッックショォォォなんでこんなときばっかりぃ!
終幕の足音が近付いてくる。
思えば短い人生だった。
キラキラキラリィンと光に満ちながらダイジェストで今までの人生がちらほら。
ざわざわと、ご開帳の瞬間に準備しながら腕をパキポキ慣らしているのが聞こえてくる。
ああ、つかまったらセメテ、優しく尋問して欲しい……そしてミス小日向保険医に優しく介抱して欲しい。
諦めムード全開で、ちらりと窓の外を見やった。
本当に、嘘みたいに澄んだ蒼い空。
海の青さをそのままワイングラスに注いだみたいに綺麗で、最後に見るものとしたら上等かもし……
ジャァッ!!ガチン!
地図が上がる音で体が震えた。恐る恐る赤い顔の悪魔たちへと目を向ける。
「…………これは。」
田村久雄が、腕を組みながら無精ひげを撫で回している。
まるで、ホンショクの人みたいにどすが利いた顔でこっちを凝視。シロウトには手を出しちゃいけませんよ、と諭したくなる。
「あ、あははは。どうも皆さんお元気で……」
かすかに残った悪あがきとばかりに笑って見せる伸。しかし、歪んでいて何か歯を食いしばって耐えているようにしか見えない。
すとんと、観念して震える手を壁から離し、地面に降り立つ。
「いっ………!」
「ほら、『居たぞー』とか叫ぶと頭が茹った暴徒が来ちゃうから、出来れば、おとなしくつかまるから優しく連行して欲しかったり……」
「居ないぞ!!?誰だここにストーカーが居るって言ったやつは。」
「………は?」
「い、いや。確かに声がしたんですって。だから調べてみようって…」
「問答無用!無駄な時間を使わせおって!天罰覿面鉄拳制裁!!」
「ぎゃぁあぁぁぁぁ……おふくろぉぉ……」
どさりと哀れな男が倒れこんだ。
――お、恐ろしい………。運よくインビジ・ブルー発動してくれたようだから解ける前に逃げよう。
そろりそろりと、尚気配を消して。
抜き足一歩、差し足一歩と準備室を後にしようとしたとき。
ピィロリィリリィリリィリリィリロン♪
おぉジーザス。我が制服のポッケで鳴り響いているのは明巳からの折り返しのコール音ではないですか。
『………ですか。』
「あ、わわわわわっもしもし?今はマズイって…落ち着いたらまた……」
『こんな薄暗い蔵で……』
「もしもし?蔵って何だ?明巳じゃないのか?もしも〜し!!?」
『ん〜?何だこの声…携帯か。……へぇ。何かの映画であったよね。そういうのムカつくんだよ!』
『きゃ……』
「へ?オイ、この男の声一体ダレの……」
プツ、ツーツーツー………
「おいっ!明巳!どうしたんだ?何かあったのか!!?もしも〜し!!?」
伸が現状も忘れて繋がっていない携帯に大声を張り上げたとき。
「……ン…?ああっ!ストーカーがこんなところに居やがったぜ!」
「は?」
バシバシとぶつかってくる殺気。
あれぇ?インビジ・ブルーが発動してたはずじゃ…
「にゃろうっ、余裕ぶっこいて電話しているだと!」
「沽券にかかわる。ここまでコケにされるとダイダイクラブの沽券にかかわる!」
「あ、あはははは…はっ…どうも。じゃ。」
一瞬だけタイミングを計ったらすぐさま駆け出した。廊下に飛び出すなり、中断していた弓矢攻撃が降り注ぐ。
「くっそぉぉっ!まだ完璧に発動したわけじゃなかった、のっ、かっ、よぉぉぉ!」
三本、致命傷になりそうな矢を声を詰まらせながらくぐり、飛び越え、体を捻ってかわした。
せめてもの救いは、大勢が追いかけてくるものの流れ矢のおかげで追手がそれほど強烈じゃないことだ。
一瞬振り返ってから、差し迫った階段を一気に上る。
嫌な予感がする。
携帯のあの声は一体ダレだったのか。もしかしたら、ストーカーに捕まったんじゃないのか。
「いや、明巳に限って、そんなことあるわけ…」
嫌な予感がする。
あるわけがないって、断言できない何かが胸に浮かんでは消える。
三階に駆け上がり、特別棟の廊下を駆け出した。
少しだけ弓や攻撃が激化してきた。屋上から対岸の棟の廊下を狙い撃ちしているのだから、当然階が屋上に近いほど弓では狙いやすいのだろう。
逃げるのだったら一階に向かうべきだ。でも、インビジ・ブルーを発動するまえに行ったなら絶対に包囲網を突破しきれないだろう。
とにかく、一瞬とはいえ自分の馬鹿さ加減に存在感が薄くなってくれたんだから、あと少しだけ静かにできるところに隠れて、ノンシュガーでハードにビターなマイメモリーを掘り起こしてどっぷりとつかる時間が無くちゃならない。
ただし、コレだけ屋上からマークされてるんだからもう隠れるのは無理だ。
「ああ〜こうなったら手段なんて選んでられっかよ!…後で請求されないことを信じて。」
祈るようにつぶやいて、すぐ目の前に迫った書道室に転がり込む。
そしてすぐさま内側から鍵を閉め、手当たり次第に机を積み上げ、掃除用具のモップと箒をドアの隙間に捻じ込んでつっかえ棒にする。
下手に入ってくるとテレビが倒れるように仕込んで、それをならべた椅子で押さえ込む。
そう、最終手段。篭城でブルーデスティニィー作戦だ。
「ええ〜と。裁縫の時間親指の爪の間に待ち針をズップリ突き刺した。ダチがスカートをめくったとかで、なぜか俺が女子たちにひっぱたかれた。誰にでもなつく犬が、なぜか俺にだけ牙を剥いて手首をねらって噛み付いてきた。純粋だったあの頃、信頼して親父に預けたお年玉のすべてが釣具になっていた。地面から突き出た釘が靴を貫通して、痛みをこらえてすぐに引っこ抜いて足の裏を確認したらなぜか足の裏に穴があいていなかった人体の神秘…」
バンバンバンバンッ!
「もう逃げられないぞストーカー!観念してでてこぉい!」
ガタガタ、ピシ、ガタガタガタタッ!!
「何かが引っ掛かってるぞ?」
「体当たりをかますか?」
「おうっ!みんないくぞぉぉっ!よぉ〜いしょ!」
どーん!
「よぉ〜いしょ!!」
どぉーん!!
「ああああああっ!早く!真冬になけなしのお金でホットココアをかったら、トマトジュース(温)が出てきた!その後三回連続で穴あきのジュースが出てきて未だ返金されず!友達になった女の子にもらったシュークリームが実は賞味期限切れで酸っぱかった!以降シュークリームは大嫌い!松矢で牛丼を頼んだら一時間待たされた!ついでに仲間は失笑して先に映画へ!合コンであぶれる俺の両隣は男ばっかり。まだかぁっ!ううぅ、コレならどうだ!必死になって過去の悲しい話を今掘り返してる!そんな今の俺の悲しさッ!」
自分のあまりの不幸さに頭を抱えてごろごろと悶絶しているものの、なぜかまだ一線を越えられない。
「ぬぅおおおおおおっ!こんなところで、こんなところでぇぇっ本物のストーカー扱いされてぇぇッ!つかまるわけには行かないってのにぃぃまだ青春らしい青春も迎えてないってぇのにぃ!!くそぉぉぉおおぉああぁぁあああっ!!」
「よぉっいしょ〜!!!」
どぉ〜ん!!!メギメギピシッ!
「あと少しだ!みんな命を大事に!心を一つに!!」
どぉ〜ん!!!!
キュォオオオオンン……
不意に、校内放送のスピーカーから強烈なハウリングが漏れた。