第十話『出陣』
「あの〜、すいません誰かいますか〜?」
圭吾は半分だけ開いた視聴覚準備室のドアから頭だけ室内に突っ込んで、おっかなびっくり声を張り上げた。
「あの〜、ここが新聞部の部室だって聞いてきたんですけど〜、誰かいますか〜?」
「用があるならまず入ってくればいいだろう。」
顔も覗かさずに奥から声が帰ってきた。紛れも無くその断定的な声は今朝聞いた祇園愛生のもの。
「はい、失礼しま〜す。」
遠慮なく踏み込んだ。踏み込んだとたんふわりと紅茶の香りがした。
U字型に棚で仕切られた向こう側へ回り込む。そこではこともなげに紅茶を飲みながら、視聴覚室のパソコンで新聞記事をまとめている祇園先輩がいた。
つい、と事務的な動きで顔を上げ、わずかに愛生は眉を上げた。
「君は今朝の桜庭君…だね。」
愛生が左手を伸ばすと、制服の袖口からは勢い良く漆黒の手帳が飛び出して手のひらにおさまった。
どこからか取り出した鍵を、その手帳のベルトについている鍵穴に入れ、中の何かを読み、ふむふむと一人頷く。
「どうしたんだい?君は応援部に入っているようだけれど、今この新聞部に応援は必要ないはずだ。まあ、私と一年生が一人だけだから人手こそ足らないといわざるを得ないものの、ね。」
応援部というのは一時的に部員が足りない部活、人手が必要な委員会などからの要請を受けて人員を派遣するこの学校独自の部だった。
部員になるには相応な条件をクリアする必要があるが、入ってしまえば要請が無い限りは帰宅部と同義であるというもの。ちなみに伸も応援部である。
「あの、僕この新聞部に入部したいんです。」
先程とは違う、怪訝そうな表情で眉を持ち上げる愛生。
「応援部は掛け持ちを禁じてはいないようだけれど、一体どういうことだい?」
「なんというか、祇園愛生先輩みたいな素敵な人の下で部活動をしたいんです〜!」
また、ふ〜む。なんて唸ってから、愛生はティーカップに残り半分ほどの冷めかけの紅茶を一気に飲み干した。
「悪いけどお断りだ。そういう動機で入部志願する者は人手が足りなくてもゴメンなんでね。」
愛想笑いにしては綺麗過ぎる笑顔を浮かべて、はっきりと拒否の意を表した。その笑顔はなまじ不快な顔をされるよりもよっぽど他人を拒絶しているように見える。
「そこを何とかお願いします!この愛生先輩への情熱は等しく新聞にも向けられるはずです!」
柔和な笑顔で平然と愛の告白まがいのことを言ってのける圭吾に苦笑して、では。と愛生は前置きをした。
「今日中にその類まれなる情熱で私が納得するスクープを見つけ出して来れたなら入部を認めよう。」
「それなら、すぐにでも。」
なるほど、常に笑顔の桜庭は、その表情から心情を察することが出来ない。たいしたものだ。
意味を図りかねて口元に手を当てる愛生。
「どういうことかな?」
「これから伸ちゃんが、昨日ふられた一年生の大澤義美さんにある重大な告白をしに行くんですよ。それが大スクープです。」
「ほぉ。」
再び封を解き、愛生は自分の手帳を読み返す。
「私の調べだと、青崎伸クンとキミは親友といっていい位置づけだったはずなんだけれどね。新聞部に入るために彼を売る、と?」
愛生の口には不敵な笑みが浮かんでいる。それはその卓越した女の勘ともパパラッチの勘とも言えるものが、その言葉が真実で、さらに予感していたスクープに繋がると告げているからだ。
圭吾は笑顔を崩さずに、わずかばかり頬を高潮させて。
「勘違いしないでください。愛生先輩に認めてもらうために、ですよ〜。」
「ふふふ、それは光栄だね。では、実際に行ってみようか。このスクープが納得いくものだったなら、キミの入部を認めよう。」
さらりと立ち上がった愛生は、自慢の愛器が入っている漆黒のバックを肩に引っさげた。
「あ、荷物なら僕が…」
「結構。これは私の武器だからね。」
圭吾の申し出をばっさりと切り捨てて、愛生は準備室の扉を開いた。
圭吾は愛生の背を、目を細めて見つめる。
放課後の傾いた日の光が差し込む廊下を愛生の向こうに見越して。
思わず敬礼をしたくなるくらい、その『出陣』は勇ましかった。