第1章 第7話 最後の学校
長らくお待たせしました。いよいよ旅立ちの日です。
「行ってきまーす」
松村が制服姿で家を出た、毎朝の光景だ。
いつもとは違うことが二つ。
彼は出掛け際に母親を抱きしめ、いつもより長く手を振っていた。
夏の水曜日。
東京の最高気温は36度、北海道さえ最高は34度だそうだ。
そして、今日はいよいよ出発の日。
松村のテンションは著しく揚がっていた。
本来ならこんなにテンションが揚がる日ではない筈だが。
岡田はスケジュール帳にスケジュールを書き込みながら、松村を待っていた。
水曜日
学校終了後、松村と地下室。
その後は未定。
スケジュール帳には、一度ビッシリ書き込んだのを消しゴムで消した様な跡があった。
「おはよう!」
昨日とはうって変わって、松村が元気に挨拶した。
挨拶を受けた岡田は松村の、その異常なまでの元気さがシャクに触った。
「何なんだよ?『おはよう!』って?」
「何って、朝の挨拶だよ。」
「そうじゃなくて、なんで松ちゃんがそんなに元気なのかを聞いてるんだよ!」
「悪いか?セン公曰く『挨拶は元気に』だぞ。」
「昨日、あんなにクソッタレな事が起きたのに、なんでその頭は元気でいられるのかを聞いてるんだよ!」
岡田がブチ切れた、久しぶりに。
本当に久しぶりに。
昨日を除けば。
「だって今日、斉藤が蘇るんだろ?喜ぶべき日じゃん。」
喜んでいた理由は、恐らくそれだけではなかっただろう。でも岡田には、それがとても力強い言葉に思えた。
偽りでもいい。今欲しいのは、一握りの勇気だ。
岡田はそれ以上は何も言わず、学校に向かって歩きだした。
松村も後に続いた。
学校である。
遠い昔、どこかのお偉いさんが「監獄のよう」と発言していたような気がする。
今日は正しくその通りだ。
と言うと多少語弊がある。
「今日は」ではなく「いつも」と言うべきだが…。
今日は別の意味で地獄だった。
この哀れな主人公ら二人を見る全校生徒の目が、見事に哀れみと軽蔑の目なのだ。
哀れみは一昨日の不幸に対する目だろう。
そして軽蔑は、松村が昨日体育館で起こしたあの大事件に対する目だ。
あれは生徒達の脳裏に焼き付いた事だろう。
オマケに、前述の「哀れみの目」を向ける人より、明らかに「軽蔑の目」を向けている人の方が多い。
先程は「全校生徒」と書いたが、「全校教師」だって同じことだ。
皆で寄ってたかって、二人に軽蔑の目を向けた。
この件で二人が知ったことは二つ。
まず、「神様」は人間が作り出した、単なる言葉だっていうこと。
そして、その「神様」の存在を本気で信じるのは、「ある程度苦しんでいる」人だけってこと。
本気で苦しんだこの二人は、もはや神頼みをする気にもならなくなった。
そして、もうひとつ気になったことがあった。
斉藤を蘇らせたら、誰か気づく人はいるのか?
それ以前に…。
斉藤は本当に蘇らせてほしいのか?
「死人に口無し」と言うが、彼がもし幽霊になって化けて出たら、本当に「僕を救ってくれ」と言うのか?
誰にもわからない。少なくとも現時点では。
もう一度アイツに会いたいから死人を蘇らせよう。
この考え自体がエゴなのではないか。自然の掟を破る大罪行為なのではないか。
そんなことまで考えてしまった。
「お前、死ねよ!」
突然の一声が、松村と岡田の耳を貫いた。
誰かが誰かに向かって、笑いながら浴びせかけた罵声だった。
その声は、言い放たれた本人には何一つとしてダメージを与えなかった。
忘れないでほしい。これが主人公達を含めた、彼らの日常会話なのだ。
もはや一日に何回聞くのか思い出せない、「おはよう」や「ありがとう」よりも頻繁に、また無意識に使われる単語だ。
この二人には、その後の授業は上の空だった。
それはいつもの話だが。
岡田が見ると、松村は既にへたばっていた。
朝のハイテンションはとっくに消え去っていた。
昼休み、放課後まであと4時間。
松村、岡田、斉藤はきまって、同じクラスの同じ机をつなぎあわせて、くだらないことを喋りながら昼飯を食べる。
…とは言っても、今日は二人だけで、異常なほど静かだが。
松村は岡田に、先程の疑問をぶつけてみた。
つまり、人の生死に関わる問題だ。
彼の答えはだいたいこんな感じだった。
「何だよ、その理論(笑)。自然の掟なんてもはや存在しないよ。」
もはや?
「いいかい?ここに被害者Aさんがいます。突然Aさんが心臓発作で倒れました。近くには緊急救命装置があります。」
「何が言いたいんだよ?」
「じゃ問題だ。あなたは次のうち、どんな行為を行うことを選びますか?
A、救命装置を使用してAさんを救う
B、そのままAさんの前を通り過ぎる」
松村の答えに迷いは無かった。
「Aだよ!だからなにが言いたいんだよ!?」
「簡単さ!Aさんが斉藤で、救命装置がタイムマシンなんだよ!」
多くの人が納得する説明かもしれない。
でも、何か違う。
何なのかはわからないけど、何かが違う。
その感覚は松村、そして、言い出した岡田本人も薄々感じていた。
しかし、いくらごたくを並べたって、今更救出作戦を中止する気にはならなかった。
特に岡田は。
人々の軽蔑の目を通り抜け、二人はどうにか午後の授業を終えた。
「正に『俺たちに明日はない』って気分だな。」
今のは岡田の意見だ。
学校で叩きのめされてすっかりネガティブ思考になった松村は、正に死刑台への階段を上る気分だった。
普段、放課後の補習や居残りを命じられた時は、まるで終身刑の判決を受ける気分だ。
だが今日ばかりは居残りが欲しかった。
「死刑」よりは「懲役刑」の方がいい。
大人の世界と違って、懲役刑は最終退校時刻には家に帰れる。
だが、死刑は大人の世界と同じだ。
本当に命を失い、二度と戻れなくなる。
特に今回は。
斉藤の事件で、この二人はその事を身に沁みて理解していた。
岡田の家。
こんなにもここに来たくないと思ったのは初めてだ。
岡田は普通に「地下」へのドアを開けて、中に入っていった。
彼にとっては、自分の家であり、聖域だ。
だが、松村にとっては違う。
松村は開いたドアの前で足を止め、目を閉じた。
深く息を吸って、それから、吐いた。
僅か10秒程の出来事だったが、松村には本当に長い時間のように感じられた。
使い古された表現だが、本当にそう感じたのだ。
科学好きの岡田なら「ウラシマエフェクト」とでも表現するだろうか。
松村はしずかに、だがしっかりと目を開き、2010年の外気に別れを告げた。
もう一度再会できるといいが。
岡田がそのドアを閉じる直前、松村にあることを尋ねた。
平凡だが重要なことを。
「覚悟は?」
日本でも珍しい、地下室へのドアが閉められ、その5分後、ドアに取り付けられた防犯ガラスの窓から、太陽のように輝く怪光がもれ、そして消えた。
二人の高校生と、機械の乗った大きな座敷と共に。
第1章最終話、いかがでしたか。
こんなに間を空けたのには実は訳が…。
今制作中の自主制作映画の編集がピークをむかえていて、こっちの更新が遅れてしまいました。読者の皆さん、すみません。
次回は第2章…と行く筈なのですが、次回はちょっと寄り道して、時系列不詳の章に飛びたいと思います。
本編とどう関係あるのかは、読んでみてのお楽しみ。
では、今後も御愛読よろしくお願いします。